2019年度予算案、公布
- 2019年 2月 8日
- 評論・紹介・意見
- 青山森人
青山森人の東チモールだより 第388号(2019年2月8日)
2019年度予算案、公布
拒否権行使の理由
2018年12月22日に国会を通過した総額21億3200万ドルの2019年度国家予算案は12月24日、フランシスコ=グテレス=ル=オロ大統領(以下、ルオロ大統領)に送られ、公布するか、拒否権を行使するのか、30日以内に判断を下すことになっていました。
ルオロ大統領は予算案を国会から受け取ったのち、判断の参考にためにと各方面から意見を集約する会議を複数回開きました。しかし大統領は拒否権を行使するだろうというのが一般的な世論の見方でした。情報筋の話ですが、ルオロ大統領と領海交渉団長であり最大与党CNRT(東チモール再建国民会議)党首のシャナナ=グズマン氏の二人が解放闘争時代から引きずる確執が表面化して生じている現在の政治的袋小路がこれ以上こじれると2006年の「東チモール危機」のような混乱・衝突が起きかねないと心配する人たちによって、水面下でルオロ大統領に拒否権行使を思いとどまるように説得を試みられたものの成果はなかったといいます。予算案にたいする大統領の腹は早々に据わっていたといってよいでしょう。
かくして2019年1月23日、ルオロ大統領は大方の予想通り2019年度予算案にたいし拒否権を行使すると声明を出しました。大統領府が発表した拒否権行使の主な理由とは、もちろんシャナナにたいする“胸の内”は微塵もださず、過去最大額となる2019年度の国家予算は国民の利益になっていないという、常識的な、そして十分に予想された内容でした。つまり予算額の配分は大規模事業にかたより、社会福祉事業や経済成長にたいする最低限の要望に応えていないというものです。予算額にはコノコフリップス社とロイヤルダッチシェル社(以下、シェル社)の保有する「グレーターサンライズ」田における権利の買い取り金額6億5000万ドルが含まれています。この額は予算総額21億3200万ドルの約30%を占める一方で、教育・保健・農業・観光への配分率の合計がわずか10%程度であることが拒否する理由として強調されました。
ルオロ大統領の予算案にたいする拒否権行使の理由は、タウル=マタン=ルアク首相が大統領だったときに2016年度国家予算案にたいするそれと趣旨はほぼ同じといってよいでしょう(東チモールだより第315号を参照)。しかしこれは表向きの理由です。真の理由、つまりそれは現在の政治的袋小路の本質ともいえるのですが、ルオロ大統領とシャナナ=グズマン氏が昔から引きずっている対立関係にあるのです。同じ予算案にたいする拒否権行使であっても、二つはまったく性質を異にしています。
表向きの理由とはいえ東チモールの現状をそれ相応に反映しているので、以下、大統領府が発表した拒否権行使の理由を整理してみます。
◆深刻な非持続性。過去最大額となる2019年度予算は、ESI(持続可能な評価収入)の249%にも及ぶ「石油基金」から引き出しを余儀なくされ、国内の財政能力不足から物理的な欠損を表している。石油収入は減少し、また世界的に石油価格が下がり、「バユウンダン」油田の石油埋蔵量もかなり残り少なくなっており、石油収入が減少しているので、「石油基金」からの多額の引き出しがこのまま継続されれば「石油基金」の持続性が損なわれてしまい、「石油基金」消滅に拍車をかけてしまう。政府は、新しい石油資源にともなう適時な新財政のあり方を示していない。政府は適切な評価をせず持続可能な財政対策に向き合っていない。
◆憲法と法律に反する方向性。2019年度予算案は、経済政策として憲法と法律の原則に矛盾する。加えてこの予算案は、経済の多様性と雇用創出そして社会資本の経済発展への投資にかんして、政権が国会に提出した「政府計画」に沿っていない。
◆高額予算の不均衡。この予算配分によって最も損害を被るのは市民である。予算の大きな塊、つまり32%、三分の一が外国企業(コノコフリップス社とシェル社――青山)の権利の取得にまわされる。一方で約10%が教育と職業訓練・保健・農業・観光に割り当てられているだけだ。その内訳は、農業への1%以下、約6%が教育関係、3%が保健、観光は0.54%だ。この数値はあまりにも低く、社会事業と経済成長にたいする最低限の要望に応えていない。
拒否権行使への反応
ルオロ大統領が拒否権を行使したことにたいする要人たちの反応は、一般的には抑制されたものでした。与党CNRTによる大統領糾弾声明のようなヒステリックな反応はいまのところ出ていません。同党幹部のアラン=ノエ国会議長は、ルオロ大統領の拒否権行使は政治的な措置であり、控訴裁判所に予算案の違憲性を諮っていないので法律上の措置ではない、と語り、これから国会で再審議し再び大統領に送られることになると述べました。
「ノーベル平和賞」受賞者で元首相・元大統領のジョゼ=ラモス=オルタ氏は、ルオロ大統領は拒否権を行使したことによる政治的・経済的・社会的結果にたいして準備しなければならないと、婉曲的に大統領を批判しました。野党や多くの要人・知識人たちは政治的袋小路の打開のため指導者たちの対話を呼びかけています。
タウル=マタン=ルアク首相は予算案が拒否された翌日にルオロ大統領と会談しました。会談後の記者会見で記者たちに、予算案が拒否されたことについて懸念を大統領に伝えた、本日よりこの問題について政府と国会は解決に向けて動き出し、次に踏み出すステップを議論する、(コノコフィリップス社とシェル社の権利を取得するための)6億5000万ドル削減も選択肢に含まれる、「鍵のない南京錠がないように、解決のない問題はない」、といかにも実務的な性格を垣間見せました。かつて自分が大統領だった時代に予算案を拒否したことについてルアク首相は、「大統領がいましていることは、わたしが4年前にしたことだ。だからわたしには理解できる」と述べ、1月31日、予算案を再審議する国会の場で、「わたし自身、予算案を拒否したことを憶えている。拒否したのは、ただ一点、政府に市民生活を考えさせるためだった。今回の拒否権についてもまさにそうであり、政府の活動をここぞとばかりに邪魔をしようと国会に圧力をかけるためではないとわたしは信じる」と大統領にたいして節度ある冷静な姿勢を示しました。(GMNニュース、2019年2月1日より)。
ではルオロ大統領と対立する張本人シャナナ=グズマン氏の反応はどうだったでしょう。1月26日、海外から帰国したシャナナ氏は空港で大統領が拒否権を行使したことについて、「ああ、大統領は拒否したのか、そうか、かれは何といったのか、対話だって? 対話はない、かれは愚か者だ、かれの(拒否権の)弁明を読んだが、すべて不要なものだ…論理的な知性がない…」(GMNニュース、2019年1月28日)とバッサリ切り捨てました。二人の対立の溝の深さを窺い知ることができます。そして野党フレテリン(東チモール独立革命戦線)のマリ=アルカテリ書記長や様々な要人たちが対話の必要性を求める発言をしていることについて、対話は必要ない、ルオロ大統領には論理的知性がないからだ、わたしは国民のために仕事をするだけだ、と冷たく突き放しました。他の指導者たちは少なくとも節度と品位を保った発言をしているのに、歴史的な最高指導者であり現政権の最高実力者であるシャナナ=グズマン氏が大統領を愚か者呼ばわりしたのでは、政治的閉塞状態の打開はさらに遠のくというものです。
憲法論議の再燃
タウル=マタン=ルアク首相は自らの発言どおり拒否された予算案の国会再審議をただちに開始しました。ここで論争になったのは、大統領に拒否された法案を国会再通過させるためのルールです。タウル大統領が拒否した2016年度予算案の場合、当時はCNRTとフレテリンは大連立を組んでいたことから野党が存在せず、大統領は自分が野党だと孤軍奮闘していた政治状況にあったわけですが、拒否された予算案は変更なし“無傷”のまま全会一致であっさりと国会を再通過しました。憲法によれば、3分の2以上の賛成を得られれば大統領に拒否された法案は国会を再通過することができ、大統領は8日以内に否が応でもその法案を公布しなければならない決まりになっています。もし、なおも大統領が抵抗したいとなると、控訴裁判所に法案を送り違憲性を諮ったり、もしくは辞職したりすることが論理的に考えられます。当時、タウル大統領は8日以内に予算案を公布しました。
上記のように拒否された予算案の事例が存在するので、今回もその先例にならって国会議員の3分の2(43議席)以上の賛成が得られるか否かの攻防になるかと思いきや、そうなりませんでした。今回は国会議員の過半数が得られれば国会を通過するという通常の法案のように取り扱われたのです。3分の2が必要だ、いや過半数でもいいのだ、憲法解釈を巡って論争が起こりました。
憲法では、法案が大統領によって拒否された場合、国会を再通過するための条件としてどの法案が3分の2以上の賛成が必要で、どの法案が過半数の賛成でよいのか規定がはっきりしていないのです。これは2017年総選挙後に物議を醸し出した、大統領による首相任命の条件と同様に憲法のあいまいさを露呈した形となりました。3分の2以上の賛成で国会再通過した場合は、大統領は8日以内に公布しなければなりませんが、過半数で再通過した場合、大統領は再び30日以内に公布するか拒否するかの判断を下すことができます。つまり安易な国会再通過にはリスクを伴うということです。なお去年、「石油基金」活動法の改正案をルオロ大統領が拒否しましたが、過半数を越える41の賛成票で国会を再通過(このときフレテリン議員は退席)した同改正案は、1月10日、大統領は二度目の拒否権を用いることなく公布に踏み切っています。
予算案、変更されて再び大統領の手に
1月31日、当初の2019年度予算額からコノコフィリップス社とシェル社の権利を買い取る6億5000万ドルを削減した改正案を国会は賛成40・反対25で可決しました。フレテリンは、6億5000万ドルが削られてもなお、農業への配分率は2%、教育へは7%、保健へは4%、水・衛生関連へは1%以下という低率であるのにたいし、石油・ガス関連事業への配分率は21%と高率であることから、国民生活を最優先するという与党勢力の公約に反するとして反対しました。一方、タウル=マタン=ルアク首相は先述したとおり、自分が大統領だったとき予算案を「拒否したのは、ただ一点、政府に市民生活を考えさせるためだった」と述べ、さらに、もし大統領が二度目の拒否権を行使するとなったら経済は大変なことになるだろうと発言しました。
3分の2の賛成を得られないと判断した政権はリスクを伴う国会再通過を選択したのでしょうか…? このへんの事情をわたしはよく呑み込めていません。ともかく2月1日、2019年度予算案は再びルオロ大統領の手に委ねられたのです。そしてルオロ大統領は30日以内に公布か拒否かの判断を下すことになります。なお本年度の予算が未決定の事態をうけ、またしてもしばらくのあいだ東チモールは「12分算方式」で月々の国家運営をやり繰りしていくことになります。
もしルオロ大統領が再び拒否権を行使したら、経済の低迷だけではすまなく、怒ったシャナナ=グズマンCNRT党首が大統領を糾弾する何らかの措置をとり、これにたいし大統領が対抗措置をとって……と東チモールは混迷の海に沈んでいく危険性があります。今年の5月で独立17年目を迎える東チモール民主共和国は試練に立たされています。
…と、このように書いているとき、1月7日、ルオロ大統領は2019年度予算を公布すると発表したというニュースが入ってきました。
~次号に続く~
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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