メリルリンチへの惜別 - 私的金融史の一コマ -
- 2019年 3月 8日
- 評論・紹介・意見
- メリルリンチ半澤健市金融
《ウォール街・1974年春》
近くメリルリンチの名前が消えるという報道を見た。
メリルリンチは米国の証券会社である。「リーマン金融不況」時に、大手銀行「バンク・オブ・アメリカ」の傘下に入り、2009年1月に、「バンクオブアメリカ・メリルリンチ」となった。それが「BofAセキュリティーズ」になるのである。私にはメリルリンチに小さな関わりがある。曖昧な記憶を辿って金融史の一コマとして記録しておきたい。
1974年春に私は、メリルリンチのニューヨーク研修センターにいた。
同社の新入社員研修コースにゲストとして参加したのである。
その頃、私はS銀行・K銀行・N證券の3社が設立した信託銀行で、個人富裕層の株式ポートフォリオを運用、管理する仕事をしていた。「投資顧問業務」(商品名は「投資管理室会員」)である。
証券会社の営業が、売買手数料稼ぎに傾斜するのに対して、我々は預かり資産の価値増減に応じた管理手数料を受ける。この仕組みが、売り手買い手の双方に合理的である。これがウリであった。勿論、課題もあった。今でこそ銀行が市場商品を扱うが、株式投資を商品とすることは、銀行は固定利率商品しか売らないと思う人―信託銀行の経営者を含む―には、行儀の悪い、リスキーな仕事だと見られていた。今でも銀行が売った投信で損をしたというトラブルが起こっている。
《メリル日本営業の前哨戦》
しかし、時代は高度成長の始点たる1960年から10年余を経ていた。過剰流動性相場も、第1次オイルショックも経験している。個人資産も成長してきたことを仕事の上でも私は実感していた。米国では60年代に機関化現象―市場参加者と株式所有が機関投資家に集中すること―が進んでいるという情報が伝わってきた。外国の金融機関が増大する日本資産を狙うのは当然である。メリルリンチは、72年に外国証券として初の東京支店を開設した。営業の前哨戦として彼らは、当局と市場関係者に、米国市場の啓蒙とPRに注力した。私のいた職場にも、メリルリンチの日系カナダ人M氏が米国市場を紹介したいと週一ベースで来社した。英語の勉強にもなるといい、同僚何人かで会話に加わった。
メリルリンチの研修センターは、ウォール街に近い高層ビルの29階にあった。1クラス百数十名、午前9時から昼食を挟んで午後4時頃まで。期間は2ヶ月8週間にわたる。一度に何クラスの講義があったかは記憶がないが、相当数のクラスが間断なく行われていた。私はそう記憶している。地方からの受講者は、会社の指定したホテルに宿泊していた。私が個人で中期滞在したキッチン付きの「シェルバーン・マレイ」というホテルに彼らも大勢泊まっていた。
《熱心な研修を見ていたら》
老若男女の受講生は長いカリキュラムを真面目に聴いていた。
なぜ長時間なのか。受講者は全員途中入社、年齢・性別・前職は様々、証券外務員(社内・業界の2種)の資格取得を要するという条件もある。今年、大学を出た者も勿論いる。一方で、子供が数人もいる高齢者もいる。昨日までIBMの技師やGMのセールスマンだった者がいる。経済、金融のイロハから教えなくてはならない。時間と手間がかかるのである。
どんなカリキュラムなのか。
ニューヨーク大学の経済学部教授が経済原論をやる。金融論もやる。勿論、証券市場や証取法をやる。と思えば、新規開拓の電話外交―cold callという―から、既得意先への電話のかけ方、個別銘柄の勧め方、売買成立伝票の書き方、ニューヨークの観光案内。NYCをよく知らない受講者もいるからである。つまり理論から些末な実務までであるのだ。
なぜ熱心なのか。
受講生は良く聴きよく質問した。仕事を変えて、しかも、就業に必要な試験に合格しなければならない。生活がかかっているのである。講義の進め方は、講師と生徒の掛け合い方式である。米国でMBAをとった仲間から、彼らの掛け合いは絶妙だと聞いていたが、こういうものかと思った。阿吽の呼吸である。日本の大学の今はどうなのだろうか。
《一回で終わらないメリルリンチ論》
自分の感想を書いておく。
「新卒入社・終身雇用・年功序列」という日本式経営の特色―または奇怪さ―を痛感した。
私自身は日本的経営の崩壊開始時(95年)に退職したが、いまの日本企業はどうなっているのだろうか。
受講者の99%が、必死に勉強しているのを、私は気楽に見ていた。「ゲスト」で試験不要だったからである。外国人ゲストは4人いた。日本人は大手証券Dから1人、大手生保Nから1人、信託Tから私。スペインからの投信運用者1人であった。D証券勤務のS氏は試験を受けたかは聞かなかった。
講師の英語が分からなかった。大学の先生の発音は半分ほど分かったから話題と内容は推測がつく。講師によっては、タブロイド紙を手にしながら、タレントの話題などから始める。たとえば「日刊ゲンダイ」を手にプロ野球キャンプの話をするようなものである。こういう場合は俗語と話題の両方分からない。
メリルリンチのことは、もう一度書くことが残った。それはメリルが小売屋から卸屋へと変貌する話である。(2019/03/01)
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