流砂16号
- 2019年 3月 11日
- 交流の広場
- 三上 治
少し春めいてきました。もうすぐに桜が咲き出します。花見好きの当方としてはこころがうずきます。そして何となく花(桜)に魅せられ、花の下にて死んだ西行のことが浮かびます。西行のことは昔から好きでした。下獄したときに持って行ったのは『山家集』でした。やはり彼がこころ(意識)にこだわり、悩み、歌ってきたことが根源にあるのだろうとは思うのですが、最近は「西行と戦争」のことを考えたりもします。西行は武士でしたし、戦争を生業とした家業の出でした。彼は戦乱の激しくなる時代に生きました。彼は戦争にどう立ち向かおうとしたのか。出家と漂浪の人生は戦争とどう関係していたのか。そんなことを時々、考えます。戦争とういうか、近現代史の戦争については目が行く世界だし、日頃よく読んではいるのですが…。西行と戦争のことはこれまであまり触れられてはいないのですが、そんなところを探索してみたいと思ったりしています。
季節の動きが呼び起こすもの、解決なきままに残してきたもの、あるいは権力の動きが触発するものなどを考え考えしながらの日々ですが、こうした中でやつと流砂16号を発行いたしました。この号は安倍晋三の提起している憲法改正について言及することが念頭にあったのですが、それより1968年のこと書きました。昨年が1968年から50年目ということもあったのですが、自分の中で対象化できないで残っているものがあるためだと思います。今回。1968年のことを書いたのですが、それで対象化できていないと思ってきたことが解決したとは思っていません。これは今後も残っていくし、また、1968年のことは書くことになるのだと思います。ただ、1968年のことについて僕が考えてきたことの一端は、いくらかは出せたとは思っています。それは1968年の運動(闘争)の根幹にあった意識(人々の意識)ということであり、そのことは今日に関わる問題でもあります。僕のなかではこれは自由に深く関係していることでもあります。あの時代に僕が革命という理念で求めていたものは自由の事だったのというのが深くあるからです。
今回も多くの寄稿をいただきました。毎号、寄稿していただいているみなさんに加えて、今号ではあたらしい人の寄稿もいただきました。細かな紹介はできないので目次だけになりますが、それぞれ力のこもったものだと言えます。本を手にして是非、読んで欲しいと思います。流砂16号。『現在の<私>-イデオロギー言説―固有の<私>(1)(伊藤述史)』、『水飲み鳥は国体なる観念の古層を飛ぶ』(橋本克彦)、『憲法の今と未来』(中村礼治)、『戦争思想の行方』(宮内広利)、『小林美代子<髪の花>と精神医療の一九六八年』(高岡健)、『吉本隆明のゼミナール』(柴崎明)、『ミッシエル・フーコ―と吉本隆明の対話について』(中村明徳)、『平和主義を巧妙に捨てる日本の防衛政策』(上村信一)、『憲法が奏でる<甘いコンチエルト>』(小林蓮美)、『福島三号機核爆発は,旧日本軍原爆開発の実証実験』(藤原節男)、『松田式で原発の耐震基準を計算することは科学的に不可能で』(田内雄司)。収載論稿は以上ですが、他に三上の書評が2本あります。
『流砂』は市販もされているのですが、部数も少なく、手に入りにくいと思います。その折は、こちらに連絡いただければと思います。
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