テント日誌3月12日
- 2019年 3月 15日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
- 誤ちに誤ち重ねなおもまた誤ちつづく国の行く末
- この国が亡びることも知らぬ気に忖度などとじゃれあっている
- フクシマに学びこの国変えていく
- フクシマに誰が責任とるという
- フクシマが怒りに充ちた春重ね
経産省前テントひろば1807日後
寒い中、高齢者も頑張る 3月8日(金)
午前中、急に仕事が入り、経産省前には1時間遅れの到着となった。いろはのお姉さん方がセッテングしてくれたのだ。感謝、感謝である。1時過ぎに正門前行くと,賑やかに女性陣が座り込みをしている。今日は瓦せんべいのKさんも参加している。絣の衣装をまとい座り込みをしながら談笑している。木曜日に参加することが多いのだが、今日は珍しく金曜日の参加だ。いずれにしろメンバーが増えるのは大歓迎だ。
暫くすると女性の3人組が通りがかり、「テントがなくても頑張っていたんだな」と声をかけてくれた。どちらからですか?と訊ねると、茨城からとのこと、茨城は福島原発からも近いし、東海原発もある。原発なんかいらない。東海第2の再稼働なんかだめだ。許せない。頑張ってください。と励まされた。チラシを渡し、3.11の古賀茂明の講演会の参加を呼び掛けた。
Tちゃんの友人の福島から来たAさんがやってきた。今日はいつもの派手ないで立ちでなく頭に手ぬぐいを撒いてやってきた。11日までいるの?と訊いたら12日の裁判までいるそうだ。
更に、Iさんが現れる。今日は安保法制違憲訴訟・女の会の裁判があったからきたそうだ。僕らよりもっともっと御高齢の方々が頑張っておられる。そういえば、病気療養中のTさんも元気に顔を出して座り込みに参加している。弱音をはいてはいられない。
3時ごろ文科省抗議のtyさんが立ち寄り暫しの座り込み。アボジの再審無罪を勝ち取り、その報告文をいただいた。tyさんが中学生のころアボジが新軍部に逮捕され、でっち上げで北のスパイのレッテルを貼られ死刑判決を下された。それから再審無罪を勝ち取るまで味わった家族たちの辛酸をなめた生活。想像を絶するものがある。困難な闘いではあったが諦めずに闘う中で勝利を勝ち取ったのである。朝鮮学校の無償化問題も原発問題も最後まで諦めずに頑張ろう。(S・S)
3.11を目前に経産省抗議行動 3月8日(金)
17時になって座込みをしていた人たちが立ちあがり。堀口さんのコールで経産省抗議行動が始まる。三上さんが経産省に強く反省を促し、ひさしぶりに勝さんが8年前の事故を振り返り安倍政権・経産省の施策を糾弾、沖縄民意を無視して無謀な土砂埋め立を続ける安倍政権への怒り、…。
中でも亀屋さんが双葉町の7千人近くの町民から多くの方が亡くなっているとの話は怒りと悲しみを呼んだ。3.10と3.11の行動で怒りをぶつけることを確認して終了。
やはり3.11目前で報道も多いからか、座込み時のチラシまきの受取は多かった。椅子類の片づけをお願いして首相官邸「裏」の行動、4人で「安倍は止めろ」等コールで数々の悪政を糾弾した。峠の茶屋も行なわれた。事務所ではYさんが3.11集会準備。 (K.M)
嘘が嘘を生み続ける、これが我が国の権力構造だ 3月9日(土)
今日も快晴で気温が高かった。相変わらず風が強かったが寒さは感じなかった。TKさんが来てくれたので一気ににぎやかになる。彼ひとりで私の5人分くらいかな。何人かで東海第二原発再稼働反対のリーフレットを通行人に配ったがSさんだけが受け取りがよかった。やはり年期の違いか。何人かの若い人が「大丈夫です」と言って受け取りを断った。大丈夫じゃないからここにいるのに。
〇国策は嘘を復刻する
除染でできた汚染土壌は中間処理施設に入れるはずが8千ベクレル以下のものは農地や道路整備に使うという。復興を旗印にしながら放射能を封じ込めることはできないと告白しているわけだ。国策を進めるためには放射能は危険であってはならない。ならば安全ということにしよう。嘘は嘘を生み続ける。
〇抑止力は原子力の最後の拠り所
アイザック・アシモフの小説に「暴力とは、無能者にとっての最後の拠り所である」という座右の銘がでてくる。原子力技術を維持・推進することは抑止力になるというが、日本列島を取り囲むように作られた究極の自爆装置・核地雷・核機雷である原発は果たして抑止力になるのか。忌野清志郎さんと同様に「さっぱりわかんねえ」のである。 (O・O)
今日の毎日新聞社説に思う 3月10日(日)
https://mainichi.jp/ch151021807i/社説
過酷事故8年の原発 政策転換はもはや必然だ
毎日新聞2019年3月10日 東京朝刊
世界を震撼(しんかん)させた原発過酷事故から8年。東京電力福島第1原発の構内は整備が進んだが、当時の悪夢の爪痕は厳然として残る。
メルトダウンした1~3号機の中には溶けて構造物と混じり合った燃料デブリ計約900トンがそのまま存在する。先月、特殊な器具でデブリに触れることはできたが、取り出しの見通しが立ったわけではない。
廃炉のゴールは何十年先なのか。何兆円の費用がかかるのか。わかっているのは道のりの困難さだけだ。
一方、この8年で誰の目にもはっきりしてきたことがある。持続可能性のない原発の未来像だ。こうした状況で、私たちがめざすべき道は何か。現実を直視し、エネルギー政策を転換していくことが急務だ。
廃炉作業の道のり遠く
東電は今後、燃料デブリを詳しく分析し、2021年から本格的な取り出しを始める計画だ。しかし、原子炉建屋内は放射線量が極めて高い。スケジュールありきで作業を急げば思わぬトラブルに直面するだろう。作業員の安全をないがしろにすることがあってはならない。
事故直後からの課題である汚染水問題も作業の困難さを象徴する。対策の切り札とされた「凍土遮水壁」は完成したものの、原子炉建屋への地下水流入は止まらず、処理水は構内のタンクにたまり続けている。
放射性トリチウムが残留するこの水をどうするか。薄めて海に放出すれば確かに作業の安全性は高まる。しかし、漁業者らから懸念の声が上がるのは当然のことだ。政府と東電は、透明性のある国民的な議論を積み重ねなければならない。
こうした困難な廃炉作業を尻目に政府は「原発維持政策」を進めてきた。福島の事故以降、再稼働した原発は9基。例外だった運転40年を超える老朽原発の延命も「原則」となった。被災した老朽原発「東海第2」を再稼働させる計画さえあり、「原発依存度の低減」という政府の方針は有名無実化しつつある。
一方で、小規模原発の廃炉決定も相次ぐ。東電の被災原発を除くと7原発11基。事故後に求められるようになった安全対策の費用が回収できないとの経済合理性からの判断だ。
高額の安全対策費は「原発輸出」の破綻にもつながった。今年に入って日立製作所が英国での原発建設計画を凍結、三菱重工業もトルコでの建設計画から事実上撤退する見通しだ。東芝はすでに海外の原発事業から撤退。安倍政権が成長戦略と位置づけてきた原発輸出に経済性がないことはもはや明らかだ。
こうした状況をみれば事故当事国である日本での原発新増設は事実上不可能だ。少なくとも西側諸国では原発が持続可能性のない斜陽産業となったことを政府は認識すべきだ。 その上で、昨年改定したエネルギー基本計画の「30年度に原発比率20~22%」を見直し、新たなエネルギー政策の構築に踏み出さねば、対応が後手に回るばかりだ。
再生エネ活用に投資を
中でも重要なのは再生可能エネルギーの「主力電源化」だろう。もちろん、それは簡単な課題ではない。太陽光や風力で従来の原発分をどう補うのか。変動する再生エネの調整に火力発電を使うと温暖化対策に逆行する、という問題をどう解決するのか。一朝一夕にはいかない。
ただ、これまでの原発依存政策が再生エネの成長を妨げてきたことも確かだ。世界で拡大する太陽光パネルや風力発電機の市場で日本の影が薄くなってしまった背景にも、政府の失策があるだろう。
今後は、再生エネを活用するための投資にこそ力を入れるべきだ。「国のインフラ」としての送電網の整備、原発優先の給電システムの見直し、原発廃炉で余った送電網の有効活用などが重要だ。
同時に、再生エネを安定運用するための気象予測や電力需要予測、需要と供給のバランスを取るシステム、蓄電池の開発など、日本の得意分野をビジネスとして発展させる方向にかじを切ったほうがいい。
今後、国内外で多数の廃炉が必要となることを思えば、廃炉人材を育成し、廃炉ビジネスを展開する戦略も立てるべきだ。
事故炉と通常の原発の廃炉作業は異なるとはいえ、福島の経験を一般の廃炉に生かすこともできるはずだ。福島で得られる知見を統合し、一般の廃炉技術の開発につなげる。官民が協力し、「原発後」の産業にも活路を見いだしてほしい。
毎日新聞はよく書いてくれたと思う。
今日の座り込みは藤原節男さんが40インチの大画面テレビにパソコンを繋いで、大阪大学で行われた藤原節男さんの講演会の模様を繰り返し放映していた。311から9年目を迎え明日の311集会のリーフレットを配るが受け取りが悪い。道行く人の表情が暗いのである。それでも、この日に座り込み現場に来てリーフレットを受け取りカンパをまでして下さる方もいて勇気づけられる。今日は東電前抗議と原電前抗議があり、そちらへ行く前に立ち寄って下さる方も数人いらした。今日の参加者は、群馬からのTkさん(40インチテレビを寄贈して頂いた方)、Obさん、斎藤美智子さん、Iwさん、等であった。
3時に撤収のあと、恒例のお茶会が開かれ、楽しいひと時を過ごして帰宅した。
(SK)
「3・11」の日とあって経産省前は賑やか 3月11日(月)
今日は東日本大震災から満8年目であり朝からテレビでは当時の映像を流していた。いつもの時間に事務所に着いてテントひろばニュースなどをチェックしていたら大間原発裁判の関係者が院内集会で配る資料を準備するために来られた。
早番のSさんが来られたので我々は経産省前へ出掛けた。事務所を出たら強い風が吹いていたので経産省前でも覚悟していたがそれほどではなくいつものようにバナーを張ることができた。大間原発裁判が午後1時からあるため寄られる人が早くからありテントひろばは賑わった。福島から来ている―私の古い友人でもあるーA・Tさん、高級自転車の人―今日も小銭を沢山詰めた缶を持ってきてくれた、金曜日担当のSさん等々。
大間原発裁判の抽選券を取るために皆が去ったあと一人の人がお菓子を差し入れて下さった。あとから来た人にも食べていただいた。慌てて裁判所の方へ行かれたので大間裁判の関係者であろうと思われます。そのあと勝さんが来られた。原発再稼働に反対して日比谷公園から霞が関を一周して新橋から銀座を通って東京駅前までデモだそうです。
そのあと日本祈祷団四十七士の人が一人スーツケースを持って来られた。3時から東日本大震災の犠牲者に対する鎮魂の祈祷会をされるとのこと。皆が院内集会に行かれているので経産省前は少人数しかいないけれど支援しなければ、と思いました。川内原発再稼働反対の赤いノボリ旗を持ってIさんが来られ椅子にくくりつけて大間裁判傍聴の為に急いで行かれた。3時から日本祈祷団の祈祷が始まる。その直後、大間裁判を傍聴していた人達が戻ってきた。30分の予定が大幅に超過して50分に及んだため。急いで院内集会に行かれた。
今日の座り込み当番としては電話での問い合わせをしっかり頼むと言われていたので電話番をしていたが午前・午後合わせて二人から、どうしたら今日の古賀さんの後援会に参加できますか?とありましたので担当者が札を持っているので行ってみてください、と伝え了解してもらいました。最後に。祈祷会は私の予想に反して40人以上が参加した。半分以上は祈祷団の人達であったが、これに参加したくて来られた人も多かったように思う。今日ここに来る必然性のない人も参加していたので。映像を取っている人がネットに載せていて開催日を知ったものと思う。祈祷団から金一封を頂きましたことを報告して終ります。
(保) かつて東電に勤めていた方が訪れいろいろと話された 3月12日(火) 相方のOさんが、病気療養中のFさん宅に急用があるとの事で、そちらに出かけましたので、木曜日当番と同じく一人で事務所を出発する。経産省正門前に座り込みの準備が終わる頃には常連さんが到着して4人での座り込み開始。 先日、缶に入れたコインをカンパして下さった人がおられ、それを郵便局に持って行くと5440円も入っておりました(感謝)。 今日の前半は、暖かくてコートはおろか上着も要らない位でしたが、風が強く人が座っていないと、ノボリ旗が倒れてしまい、いつもは横断幕を二段にセットするのですが一段で様子をみました。後半に入ってからは、一瀬弁護士が1時間位参加され、お天気が良かったせいかSさんも久し振りに来てくれました。また東電の子会社に勤務していたという人が自転車で訪れて来て、勤めていた当時は、原発は安全だという、「噓」を散々書いていたし(どの様な物に書いたのかは聞き落としました)また言って来たと話されて、言い終わるとサーと自転車で去っていった。 郵便受けに、鹿砦社さんからのカンパの通知書が届いていましたので、お礼の電話をしましたところ、3月発行の「NO NUKES voice」vo1.19に渕上さんへの、インタビュー記事が掲載されていますので、皆さんに、よろしくとの事でしたのでお知らせ致します。渕上さんの闘病生活はご存知で、非常にご心配されておりました。(Y・R)
報告】3.11脱原発テントひろば院内集会 ~古賀茂明さん「原子力ムラとの最後の戦いが始まった!」~ 木村雅英 日時:2019年3月11日(月)16時半~18時半 場所:参議院議員会館 講堂 講演:古賀茂明さん 「原子力ムラとの最後の戦いが始まった~3.11から始まった経産省の長期戦略とは?」 主催:経産省前テントひろば 東北大地震と東電福島原発事故が起こった丁度8年後、経産省前テントひろばと大間原発反対関東の会が参議院議員会館講堂で大集会を開催した。
前半(15時~16時半)では、大間原発裁判の報告集会を開催、大間原発訴訟の会の竹田とし子さんが、2018年3月19日に函館地裁で負けたが、控訴して札幌高裁で闘っていて次回5月28日(火)に裁判が行われることを報告。 続いてあさこはうすの熊谷厚子さんが大間を造らせない闘いをとても元気に丁寧に説明した。裁判が遅れている中で、鹿児島蓬莱塾の江田忠雄さんが蓬莱塾と川内原発の3号機用造成の状況を説明した。4時過ぎに弁護士さんが到着、駆け足で裁判の状況を説明。電源開発の大間原発工事再開は早くても来年後半になる、次回の裁判は7月17日に開廷、などが話された。
後半の古賀茂明さんの講演会(16時半~18時半)。はじめに大賀英二さんが駆け足で経産省前テントひろばの7年半を振り返り、今も毎日経産省本館前で座り込みを続け、金曜夕刻には抗議行動を続けていることを話した。 続いて、テント設立の2011年9月に経産省を退官した古賀茂明さんにたっぷり1時間スライド画面を使った興味深い講演をしていただいた。渕上さんの闘病の話を受けてご自身の闘病経験からお見舞いの言葉から始まり、原発がコストが高すぎでビジネスとしては成り立たない、それでも国策として続けることがあり得ると明言。
続いて、東電トップや資源エネルギー庁トップの顔が出て来て、経産省と東電とメガバンクがつるんで東電を潰さずに原発を続けるに至る経緯。原発事故の責任を誰もとらなかったこと、大阪府・滋賀県が大飯原発再稼働を止めかけたのにそれを抑え込んだ経産省、核武装維持の為の原発推進、中西経団連会長の「国民」的議論提案、などなど、書ききれない程興味深い話を聞いた。 中でも、普通でなく、何をするか分からない安倍首相を官僚が恐れていること、それ故安倍政権から他に変えることが重要である、は正に私たちの実感でもあった。
また、質疑応答で、科学を尊重するドイツと自然を大切にする日本と対比されていたにも拘らず、福島原発事故を起こした日本が再稼働し自然との調和に反するとドイツで思われていること、ドイツでは福島事故のあと、社会学者や哲学者や宗教家を交えた倫理委員会が脱原発を結論づけたことを述べ、日本でもそう言ったことができないと脱原発が難しいと話した。
そして、一人一人が現状に甘えていてはいけない、と説得的な回答で講演を終了した。なお、集会には福島みずほ議員にもお出でいただいたが講演途中でご挨拶いただけず失礼した。また、記者を含めて多くの参加者ゆえ、用意した配付資料が足りなくなる程の盛況であった。 多くの参加者は、これからの「原子力ムラとの最後の戦い」に勇気を与えられて帰途についた。 経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき!111 経産省と東電の闇取引、官僚の嘘と安倍政権 ~古賀茂明さん講演会(テントひろば主催)で分かる経産官僚の横暴~ 2019年3月12日 木村雅英(経産省前テントひろば) 「3.11脱原発テントひろば院内集会~原子力ムラとの最後の戦いが始まった!~」(参議院議員会館講堂)には200名近くの人が参加し、古賀茂明さんの講演に聞き入り、質疑応答で脱原発実現への道の糧を得た。その一部を紹介する(文責:筆者)。 東電を潰さない闇取引
東電刑事裁判の結審を迎えた3月12日の院内集会で、井戸謙一弁護士が「東電を潰すことが重要であった」と述べた。実は前日の3.11集会で古賀さんが東電を潰さなかった経緯を、スクリーンに写った顔写真に固有名詞を交えて詳しく話した。 原子力損害賠償法には、誰も想定できないような「天災地変」の場合には電力会社の責任が免責となる規定がある。東京電力は、当然この規定を使って自分たちの責任を逃れようと考えた。そうなると経産省の責任が問われることになる。 そこで、資源エネルギー庁幹部が何度も東電の勝俣会長(当時)に足を運んでこの免責規定の活用を思いとどまるように懇願し、「東電を絶対に潰さない、最後まで守る」の見返りをエネ庁が提示して、東電が経産省との取引に応じた。 さらに、2011年3月末に3メガバングなどから1.9兆円もの緊急融資を引き出して、経産省は東電との約束を果たした。菅直人総理が東電本店に乗り込んで「逃げるな」と恫喝したなどと報道されていたが、その裏では、東電―経産省―メガバンクのあいだで闇取引が行われていた。 本来なら事故責任は、東電と経営者―>株主―>銀行―>国民の順に負うべきであるのにそうはならなかった。そして2011年4月が、原発復旧の月となった。 官僚の嘘
続いて、官僚がなぜ安倍政権を忖度するのか、なぜ記憶を無くし記録を無くしたり改竄したりするのか。安倍首相が普通ではないから、安倍首相にためらいが無いから、官僚から見て安倍政権が何をするか分からないから。 それゆえ、何とかして安倍政権を変えるしかない。 3月15日(金)経産省前抗議行動 17時~18時
官邸前抗議行動(首都圏反原連)は18時30分~
乱鬼龍の森羅万笑 乱鬼龍 3月12日
狂歌
川柳
脱原発青空川柳句会は3月31日(日)昼~3時 経産省前ひろば
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