新制度下の就学前教育・保育 ― それを支える思想の問題
- 2019年 4月 2日
- 時代をみる
- 池田祥子
私はすでに、「降ってわいた『幼児教育・保育無償化』」というタイトルで、ここちきゅう座の論壇に書かせていただいた(2019.3.4)。しかし、複雑な新制度の構造の中で、充分に理解してもらえなかったのではないかと危惧している。
確かに、2015(平成27)年に本格的にスタートした「子ども・子育て新制度」は、これまでの幼稚園、保育所という二つの制度を一部分「一体化」した「幼保連携型認定こども園」を創設し、新制度に包括された公私立幼稚園や公私立認可保育所とともに、財政措置を「施設型給付」に一本化している(内閣府管轄および市町村支弁)。また、それ以外の小規模保育、家庭的保育、居宅訪問型保育、事業所内(企業主導型)保育は「地域型保育給付」、さらに、その他の市町村を主体とするさまざまな「地域子ども・子育て支援事業」(一時預かり、病児保育等々)は、国・都道府県・市町村それぞれ1/3負担の交付金を財源としている。これらの施策は、地域のさまざまな保育の需要に細かく対応し、少しでも「待機児童」を少なくし、保護者の「育児不安」を解消しようとするものである、という政策意図は分からなくはない。
しかし、財政措置はシンプルになったものの、施設の種別は複雑であり、制度の総体を理解するのはなかなかに容易ではない。それゆえ今後、必要に応じて、あるいは質問に応じて、追々説明できればと思っている。
ここでは、新制度を支えている就学前の教育・保育に関わる思想の問題をまずは指摘しておきたい。この思想の問題を抱えるゆえに、制度自体もすっきりシンプルになっていかないのではないか、と思っているからである。
「保護者の第一義的責任」をめぐって
これは、子どもの就学や夫婦の離婚、あるいは最近問題になっている親の子ども虐待にも関わる「親の権利と義務」すなわち「親権」の問題でもある。
旧児童福祉法(1947年12月制定)では、第1章第2条で「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」と規定されていた。その後、「子どもの権利条約」が国連総会で採択され(1989年)、1990年に発効された後、日本でも1994(平成6)年に批准された。当初は、未成年である「子どもの権利」についてはかなり強い疑義や抵抗があったものの、国際的な流れの中、日本でも認める他なく、事実、児童福祉法の第1条は、「条約の精神にのっとり」全ての児童は権利を有する、と改定されている(2016・平成28・年)。しかし、上記した第2条第2項に次のような一文が付け加えられたのである。「児童の保護者は、児童を心身ともに健やかに育成することについて第一義的責任を負う」と(安倍内閣)。
子どもを産むのも、子どもを育てるのも、親が責任を持つのは当たり前!という社会的な通念はあるものの、法的に「第一義的責任を負う」と規定することとはまた意味が異なるのではないか。「子どもの健やかな育成」に「保護者とともに」国や地方行政が責任を分かち合う、というのではなく、明らかに、保護者の「責任」を法的に明示しているのである。つまり、国や地方行政は、子どもの育成の最終的な責任からは「我関せず」と、逃げていることになる。
この構造は、児童虐待の現場では、加害者=悪者は即「親=保護者」となり、国・地方行政は被害者=子どもの味方=救助者、という構造となってしまう。どこまでも、子どもの権利保障は、「保護者とともに国・地方行政の責任」という、当初の責任意識は見当たらない。
そして、残念なことに、新制度の中心的な「子ども・子育て支援法」でも、第2条第1項に、この「父母その他の保護者が子育てについての第一義的責任を有するという基本的認識の下に・・・」と規定されているのである(2012年成立、2017年改正)
日本の民法(一部教育基本法など)に残り続けている「親権」については、歴史的にも、戦前の「家父長的な家制度」を引き継ぎ、今なお非常に難しいテーマではあるが、この児童福祉法や子ども・子育て支援法の前提に付け加えられた「保護者(親)の第一義的責任」という観点(思想)は、今後、より広く批判的に問題にしていくべきだと考える。
認定される「保育の必要性」とは?
― 「希望するすべての乳幼児のため」の教育・保育であってほしい
ここで詳しくは論述できないが、もともと「保育」という言葉は「幼稚園教育」のことを言い表すものである(あった)。にもかかわらず、明治の終わりから、子どもを預かってもらわなければ働けない家庭(特に母親)を対象に「託児所」が設けられ、やがて「幼稚園保育」に倣って、一般的には「保育所」という名前が用いられるようになる。しかし、いずれにしても、乳幼児の育ちを支え促す場(施設)であることに変わりはなく、いわゆる「幼保一元化」が提唱され始める。
にもかかわらず、戦後、議論が尽くされる間もなく幼稚園だけが学校教育法に規定され、保育所は児童福祉法に規定され、いわゆる「幼保二元」体制が固定されることになった。したがって、本来、幼稚園教育ひいては幼児教育概念であった「保育」が、教育以前の「福祉」概念として変質させられ固定化させられたことを、私たちは忘れてはならないのである。
しかも、当初は「すべての子ども」を対象として発足した保育所が、幼稚園との棲み分けのため、さらには財政上の理由から、「保育に欠ける」乳幼児を入所条件とするようになる(1951・昭和26・年、児童福祉法第5次改訂)。こうして、「保育に欠けることのない」通常の一般家庭の子どものための幼稚園が主流(普通)となり、「保育に欠ける」例外的な家庭の子どもが保育所という、序列構造が出来上がっていく。
だがやがて、この幼稚園/保育所という二元的構造が、女性労働の増加あるいは財政上の問題などから、再度「幼保一元化」として政策課題に上ってきたのが、そもそもの今回の新制度成立の発端ではあった(小泉内閣の下での「総合こども園」構想、2003~2006年)。
しかし、その後の民主党政権の時代を挟みながらも、この「総合こども園」構想は、一方での幼稚園や認可外その他の保育所を残しながらの「認定こども園」となっていく。その「認定こども園」の中でも、今回重点の置かれている「幼保連携型認定こども園」は、結局は、従来の幼稚園と保育所を、一つの建物の中に「一体化」させたものであり、長時間保育を希望する子どもは、事前に、市町村に「保育の必要性」を認定してもらうことになっている。つまり、とりわけ母親の就労状況によって「保育の必要性」がランクづけられるのである。何のことはない、以前の「保育に欠ける」のランクづけが、単に用語が変わっただけである。
「認定こども園」の中の子どもの類別化 ― 1号認定、2号認定、3号認定
現在の就学前の教育・保育の現場で、何の抵抗もなく上記のような子どもの類別化が行われている。
1号認定・・3歳以上、基本的に午前中のみ「教育」希望、これまでの幼稚園該当子ども。
2号認定・・3歳以上、午後午睡を含み、夕方まで。これまでの保育所該当子ども。
3号認定・・満3歳未満(0,1,2歳)、夕方まで保育。これまでの保育所該当子ども。
以上のような、1,2,3という数字を用いた類別化は、国や地方の財政業務上は便利かもしれないけれど、一人ひとりの子どもたちの名前や個性こそが大切な教育・保育の現場で、当たり前に「あの子は1号認定子ども」「この子は3号認定子ども」などと語られているとは・・・。しかも、保護者(とりわけ母親)の就労状況は、時として変わりうる。その度に、子どもの類別を変えなければならない。また、給付金の配布事務も煩瑣になるであろう。
すべての子どもを視野に入れながら、それぞれの子どもの特性に対応する、真の意味での「一元的施策」はどこに行ってしまったのだろうか。文科省でも厚労省でもない「子ども家庭省」(仮称)の創立なども課題に上っていたはずなのだが・・・。まだまだ課題は多い。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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