「令和」を最後の元号にして、西暦に統一しよう ―「時代」はもっと広義、現実の日本の何が変化したのか
- 2019年 4月 13日
- 評論・紹介・意見
- 元号坂井定雄
9日朝のNHKニュース、政府が高額紙幣の更新を決めたことを「新しい時代をことほぐ狙いがあるものとみられる」と報じていた。NHKに限らず、民放も新聞も、新天皇が即位し、新元号「令和」が施行された際に、新聞も放送も、「新たな時代」をもっと騒ぎ立てるのではないか。
いうまでもなく憲法では、「天皇は日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。(第1条)」、「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」(第2条)、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権限を有しない」(第4条)など8か条が定められている。
しかし、元号については、憲法にはなく、元号法(昭和54年制定)で「元号は政令で定める」とあるだけで、前回 、今回のように内閣が決定したのち、その元号を公表した翌日から施行されることになっている。
憲法で国家の公式暦日を西暦にするか、固有の和暦にするかを全く記載せず、下位の政令で定めたのは、世界では他に例のないという。もちろんイスラム諸国のように、西暦を公的には使用しながら、宗教歴も使用する国はあるが、それは宗教行事の場合などに限られている。日本では第2次大戦敗戦後、現行憲法を制定したさい、なぜ、西暦と和暦の併用にしたのか。おそらく、西暦一本化の主張に和暦使用を固執する保守派が強く抵抗し、一本化はできなかったのだろう。
いずれにせよ、現行法のもとで、天皇が崩御し、後継天皇が即位して、元号が変わっても、それによって政治も、社会も、国民生活も文化も変化するはずがない。
それなのにマスメディアが、「新時代」だとか、「時代が変わった」と騒ぐのは怪しい。時代の意味を勝手に変えるな!歴史学もマスメディアも、日本史時代区分を下記のように、区分してきたはずだ(ウイキペディアによる、西暦)
旧石器時代: 数十万年前―約1万年前
縄文時代: 約12000前―紀元前3世紀
弥生時代: 紀元前3世紀―紀元3世紀
古墳時代: 3世紀後半―8世紀初頭
飛鳥時代 6世紀末―710年
奈良時代 710年―794年
平安時代 794年―1185年
鎌倉時代 1185年―1333年
南北朝時代 1336年―1392年
室町時代 1336年―1573年
戦国時代 1493年―1573年
安土桃山時代 1573年―1603年
江戸時代 1603年―1868年
明治時代 1868年―1912年
大正時代 1912年―1926年
昭和時代 1926年―1989年
平成時代 1989年―2019年
上記のように、時代は、江戸時代まで特定の天皇の在位した期間を指すわけではない。明治以降はそれぞれの天皇の在位期間となったが、新天皇の就任で国と国民生活にかかわる重要な何かが変わってはならないはずだ。せいぜい紙幣のデザインを変えるのも、麻生財務大臣は、天皇が変わったためだ、とは言わなかった。最初に紹介したNHKの「新しい時代をことほぐ」などということを、麻生大臣はさすがに口にしなかった。
新時代などと、はしゃぎたてるのは感心しない。それだけの変化は何もないではないか。ウイキペディア(今日現在)の「時代」の記述を紹介させていただく。苦労して書いているようだが、本来の時代区分以外に、「平成時代や昭和時代は、天皇の在位によって区分されている」と扱っている。
ウイキペディア(2019.4.19)
時代(じだい)とは、時間の継続性の観点で特徴を持った1区切りを指す。観点によって様々な使われ方がある。
歴史の分野では、政治や社会の形態の変化によって時代を区切る(時代区分)。国家体制が明確になっている時代であれば、政権の在処の変遷によって時代を区分する。日本の江戸時代、鎌倉時代などは当時の実質的中央政府である幕府の所在地を時代の名としている。飛鳥時代のように権力者にとって主流な文化として体系化され、普及し、栄えていた文化を時代の名とする場合もある。
平成時代や昭和時代は、天皇の在位によって区分されている(一世一元の制)。
それ以前の歴史(先史時代)では、生活の状態を規定する道具を持ってその生活状態を代表させ、時代の名としている。旧石器時代(打製石器)や弥生時代(弥生土器)等がその例である。時代の名としては使わないが、石器、青銅器、鉄器などの使用も時代を分けるものと見なされる。同様に、広い範囲に影響を与えるような道具や機械などによって時代を分けることもある(テレビの時代など)。
より古い時代は、地質学の分野であるが、そこでは代と紀を用いて体系的に名前を付ける。ただしやや通俗的に上記のような、たとえば恐竜時代といった表現は存在する。
その他にも、象徴的な事柄や社会の情勢、流行、栄えたもの、あるものの幕開けや区分、終わりを「時代」と表現する場合がある。また、最近では、通俗的な表現にとどまってはいるが、ファッションなどの風俗の在り方で時代を区切る考え方も普及している。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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