テント日誌5月4日
- 2019年 5月 6日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
半世紀前を振り返りながら、安倍政権批判・経産省批判 4月26日(金) 17時からの抗議行動はHさんが司会。さようなら原発リーフを地下鉄入口で撒きながら参加した。Kさんが東電福島原発事故被害者への家賃補助打切りに怒り、Hさんが経産省の政策を批判、私から前々日の「原発 テロ対処施設遅延なら運転停止へ 川内は停止の可能性」報道についてとADR和解案を拒絶し日本原電に資金支援する東電への怒りと官邸によるメディア圧力と反撃、Sさんが長年の抗議の声を聴かない経産省への怒り、KさんがIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の「温暖化のCO2原因説」への疑問、Hさんが1960年4月26日の全学連の警官隊との激突と国会デモを思い起こしながら外交でも経済でも失敗している安倍政権と経産省の終りを訴えた。その後、首相官邸「裏」の抗議行動や峠の茶屋も。 (K.M)
連休中で人通りも少なく 4月29日(月・祝)
今日は10連休の三日目ということで地下鉄などの乗り物は空いていてずっと座って来られたので楽であった。今日の天気予報は一日中曇りで夜遅くには雨が降る、気温は17度ということだったが経産省前に着いたら風もないので暖かく感じた。
今日の経産省前は初め歩いている人もあまりいなかったが2時過ぎぐらいから通る人も出てきた。が日本人で我々の声かけに反応する人はほとんどいなかったー残念ながら。外国の観光客は多いかなと期待したがほとんど通らなかったー観光バスが一台通っただけであった。
しかし座り込みに来てくれた人は入れ替わりであり座り込み者が五人になることもあった。北区のKさんは御煎餅を二袋も差し入れてくれたし、群馬から来られたTaさんは久しぶりに来られたとのことでお菓子の差し入れてくれたばかりか帰りには事務所まで重いテントグッズを運んでくれたので我々は多いに助けられた。ひと月半ぶりなら淵上さんのお通夜の弔辞は読んでいないと思いテントニュースセットをお渡しした。 レジェンド・Sさんは2時半過ぎに来られたが着くなり腰が痛いと言って椅子に腰掛けられたので、明日もあるから今日の夜の集会には行かないように説得して、昼間だけで充分ということで片付けが終わったところで帰ってもらった。(保)
連休の盛最中で経産省の鯉のぼりも 4月30日(祝) いつものようにYさんが手際よく椅子などを台車に積み込んでくれた。その台車を押してテントニュース165号を一瀬事務所と大口事務所に配りながら経産省前に着く。
途中から降り始めた小雨のなかで日傘を広げて、その下に椅子を並べ終えると、雨が止んで一瞬だけ陽が射したりしたものも、空を見上げると海からの風が強く吹いて雲が流れていて雨も断続的に落ちてくる。経産省の正面玄関わきのポールに括りつけられた鯉のぼりが風に吹かれて、隣接する木立に絡みついてしまう。今日からは年頭の国会で可決された今年だけの特別立法により5月2日までの特例休日とされて、昼過ぎの官庁街には人通りが殆どなかった。しばらくすると通り掛かったご婦人が足を停めて、近所の職場を5年前に退職してから久しぶりにこの近辺にやってきた、と言いながら財布からお札を出してカンパを寄せられた。雨が上がった夕方4時、事務所に戻ってから6時までの会議を終えて解散となる。(O・E)
メーデーのデモ参加の人たちと交歓して 5月1日(水)
天気予報では雨のようだったが晴れて青空まで見えた。しかし、やはり雲行きは安定してないようだったので、パラソルや雨合羽や傘を積んで事務所を出た。 途中で、全労協のメーデーのデモに行き合った。そうだ、今日はメーデーで、それに天皇代替わり行事を安倍はぶつけてきたのだ。経産省前には11時40分頃に着いたが、日比谷野音を出発したデモ隊が次々と通るので、座り込みのセッティングをしつつ、すぐに幟旗を立てて、デモ隊と交歓した。デモ隊の宣伝カーも「経産省は原発再稼働をやめろ」「被災者を守れ」などのシュプレヒコールをしていた。また、「経産省前テントひろばの人たちが頑張っています」などと言ってくれた。
12時前に、福島の黒田節子さんがメーデーと天皇制反対の行動に参加するつもりで上京してこられ、まずテントひろばに来てくれたので、黒田さんを含めて、デモ隊に「原発はやめましょう」と呼びかけた。デモ隊には割と顔見知りの人、テントひろばに参加しくれた人もいて心強かった。天皇賛美の「バカさわぎ」に対して、異議申し立てをする意味もある労働たちのメーデーなので、なんかみんな元気がよい感じがした。 黒田さんはその後集会に参加した。そのあとも、いろいろな人が寄ってくれた。 通りすがりのご夫婦は、私たちに、こういうことをやっていて効果があるのか、意味が有るのか聞いてきた。効果があり、意味があることを述べたら「頑張って」と言ってくれた。少しして、そのご夫婦は戻って来られて、「カンパをした方がいいじゃないか、金は余裕があるかを相談して、カンパできることになったので、ひとり千円で、二人で二千円をする」と言ってカンバをしてくださった。感激。 水曜日なので通常は規制庁前で抗議行動があるが今日は休日なのでなかったが、Kさんは座り込みの方に来て、経産省に向かって「経産省は原発政策をあらためよ」と演説していた。普段は仕事なので来られないが今日は休みなので来たとWさんが今川焼を持ってきてくれた。全労協のデモが終わってAさんもSさんも寄ってくれた。レジェンド斎藤も来られた。その他にも常連のSさん、ときどき来られるBさんたち。 3時頃、茨城のSさんが知り合いと待ち合わせで来られた。相手の方は京都の人だそうだ。カンバをくださった。3時過ぎには、皆さんそれぞれ夜のデモに参加するとか用事とかで散って行かれた。3時30分ころから霧雨が降り出した。保っちゃんはタモツベーカリーのおいしいパンを黒田さんはじめいろんな人に分配した。「ああこれがおいしいパンなのですね」という人もいた。4時に今日の行動を終える。斎藤さんはいつも最後までおられて、片付けを手伝ってくださる。雨はシトシトと降りしきっていた。(T・I)
経産省も明かりは見えず、やはり10連休か 5月2日(祝)
11時40分過ぎ霞が関に着いて早すぎたかな?と思ったのにもうYさんがセッティング始めていたのでびっくり! 事務所を出るとき大雨だったそうだ。 私が着いた時もまだパラパラ降っていたが、すぐに止んで助かった。 明日の憲法集会の準備でTさん・家庭の事情でSさんの二人が休みと言うことで困ったなと思っていたら勝爺が来てくれて嬉しかった。 12時半ごろには雨はすっかり止んで陽が差してきた。 Yさんは昨日の日比谷のメーデー集会・終わりにしよう天皇制・新天皇いらない「おわってんねっと」のデモにも参加したと話してくれた。 テレビは平成の終わり・令和の始まりとそればっかり! そして浮かれている人たちを見てがっかりです。 1時前に通りがかった上品な老婦人と娘さんと思われる人が立ち止まって見ていたのでチラシをお渡ししたらカンパして下さった。 座り込んでいて良かったと思える瞬間でした。 しばらくしてS・Tさんが来て3時まで座って下さった。 2時ごろにはたんぽぽ舎のボランティアのOさんも来てくれちょっと賑やかになって良かった。レジェンドSさんは一人で議員会館前に座っていたそうで片づける間際にやって来た。 さすがに10連休のせいか経産省の窓に明かりは見えず鯉のぼりだけが悠然とたなびいていた。(I.K)
今日は憲法集会もあって有明臨界防災公園に行く人も多く 5月3日(祝)
今日は憲法記念日で、有明臨海防災公園に行く人も多く、テントの座りこみの準備は女性3人でした。Mさんのお連れ合いも途中で参加して貰いました。連休で人は少なく荷物運びはスムーズでした。お弁当を食べた頃に毎日来ていらっしゃるSさん、続いて病気療養中のTさんも見え賑やかになりました。とても爽やかないい天気で道を歩く人も観光の人もいるのかなと思うようにのんびりしていたので、チラシを配り始めました。しかし、「大丈夫」とか、会釈だけとか、手を降って話しかけるなという素振りをしたり、受け取った人は3人位でした。
高齢の女性の二人ずれの方が最初に受け取ってくれました。よく考えている人だろうなと心強い思いでした。警察官が一人来て「こんな事をしたらいけない」というような意味のことを言って、少し離れて待たせてあった大きなパトカーに乗って帰りました。福島の事故があったときは、東京では誰であろうと、ガソリンがなかったり、交通信号が停止したり、食べ物の不安におびえたり、怖い目にあって、もうそんなことはないとは言い切れないのに、関心がないのは不思議です。(W・K)
好天に恵まれて憲法集会と経産省前座込み 5月3日(祝)
朝、紙上の二つの意見広告を見て大急ぎで有明に向かう。「さようなら原発一千万人アクション」のリーフ撒きをし、公園内のブースを覗いてから、経産省本館前に移動。イロハの人たちや斉藤さんがゆったりと座っている。男性が有明からチャリで駆けつけてきて「ご苦労さんです」とエール。本館も蛍光灯が付いているのは4階だけ。
道行く人にリーフを配布しているといつの間にか4時。文科省前の抗議行動も経産省の抗議行動も休み。既に有明のブースから撤退してきたKさんYさんSさんも応援してくれて椅子類の引き上げはとても樂だった。有明ではテントのチラシも沢山はけたそう。峠の茶屋は開店。 (K.M)
テントの川柳句会が土曜日に行われるのは何年ぶり 5月4日(土)
テント句会を土曜日に行うのは何年ぶりだろう。普段の倍の椅子を用意したが連休中ということもあってか空席ができてしまった。
でも普段会えない人たちの顔を見られたので満足。
午後3時を過ぎると雲行きが怪しくなってきた。ほんの僅かだが雨がポツポツと落ちてきた。遠くで雷の音がしたので地下鉄に
避難する準備をした。結局雨は降らなかったのでほっとした。 (O・O)
脱原発青空テント川柳句会 5月4日(土)
選者は乱鬼龍氏、席題は「変」「愚」15時投句締切、15時15分より入選者の発表、披講となりました。
14時くらいまでは夏のような日差しが照りつけていましたが、15時前から急に黒雲が出てきて涼しくなり、雷が鳴る中無事終了いたしました。
今回の参加者は8名、選者により入選句が読み上げられ、入選者へ雑誌やビール、和菓子などの景品が手渡されました。
入選句は以下の通りです。(S.E.)
「変」 特選
・10連休遊ぶ人々食えぬひと - 芒野
秀句
・おかしいをおかしいと言えぬこの国は - やまつつじ
・改変も嘘もラクラク安倍政権 - 草地
・変人と云われた人も脱原発 - 乾草
・変わらない戦争責任問わぬ国 - 無位史膳
・安倍政治変な世はもうお断り - 落葉
「愚」 特選
・空洞の政治気づかぬ愚者の国 - 草地
秀句
・九条をいじって平和こわす愚者 - 乾草
・核のゴミ捨て場ないのに再稼働 - やまつつじ
・最悪の愚と云うべきか現政権 - 落葉
・地震国今なお止めぬ原子力 - 芒野
・愚かなるメディアが民を馬鹿にする - 無位史膳
次回の脱原発青空テント川柳句会は2019年6月30日(日)13時から開催いたします。
是非ご参加ください。
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原子力ロビーによる放射線被曝の押付けを拒否しよう! その14
WTO最終判決「韓国の水産物輸入規制は妥当」が示す世界各国の日本への不信 ~食品中の放射性物質基準は「世界で最も厳しいレベル」では無い~ 2019年04月29日 木村雅英 去る4月11日に世界貿易機関(WTO)の紛争を処理する上級委員会が、韓国が福島をはじめ8つの県産の水産物の輸入を全面禁止していることをWTO協定違反とした1審(紛争処理小委員会)判断を破棄し、日本が逆転敗訴した。更に4月26日に外務省が<WTO紛争解決「韓国による日本産水産物等の輸入規制」上級委員会報告書及びパネル報告書の採択>とサイトにアップした。 https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007380.html 更に、「日本産食品の科学的安全性は認められた」との記載が第一審の判決文にあたる報告書になかった(朝日新聞ディジタル)こと、現在も23カ国・地域が日本産食品の輸入規制を続けていることも明らかになった。 安倍政権や外務省が悪あがきしているがこの現実を私たちは真摯に受け止めないといけない。世界貿易を推進する世界組織が韓国の放射線汚染を理由とする食品輸入制限を認めたのだ。私たちが毎日食べている食品は大丈夫だろうか? 残念ながら大丈夫ではない。官僚も税金も私物化し官僚から記憶も記録も無くさせている安倍政権だ。食品の安全についても嘘をついている。 例えば、復興庁他10省庁による「放射線リスクに関する基礎的情報」や復興庁「放射線のホント」や文科省「放射線副読本」に記載されている表「食品中の放射性物質の基準」には、日本の基準(一般食品100、乳児用食品50、牛乳50、飲料水10)【Bq/kg】に対して、EUやアメリカやコーデックスでは1000【Bq/kg】以上と記載している。しかしながら、同表には作為があり、日本のは「平常」時の値であり他国のは緊急時(事故後)の数字だ。この表で「日本は世界で最も厳しいレベルの基準」と主張しているがこれが真っ赤な嘘なのだ。
日本政府がこの様に「日本は世界で最も厳しいレベルの基準」と偽って我々「国民」に放射性物質を押し付けている中で、近隣諸国が心配して水産食品の輸入を制限することは当然だ。今回のWTOの決定により、他国にも輸入制限が拡がることが懸念されているのも分かる。本当は「内部被曝から体を守るためには徹頭徹尾、放射能汚染された食品を口にしない」ことが大事なのだから。政府による放射性物質含有食品押しつけを常に警戒しないといけない。
5月8日(水) 「東海第二原発 20年延長許すな 日本原電前抗議行動
時間:17時~17時45分 場所;日本原電本店前(銀座線末広町4番出口
5月8日(水)第68回東電本店前抗議行動 18時30分~19時45分
場所;東電本店前 134団体の賛同行動
5月11日(土)子供を被ばくから守ろう 第12回新宿デモ
時間:13時アピール 14時デモ 集合:アルタ前
今こそチエリノブイリ法日本版を、政府の被ばく隠しを許さない
5月10日(金)経産省前抗議行動 17時~18時 官邸前抗議行動(首都圏反原連)は18時30分~
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