日韓基本条約(1965)とはー韓国大法院(最高裁)判決を考える
- 2019年 5月 7日
- 時代をみる
- 小原 紘韓国
韓国通信NO596
韓国の最高裁判決が徴用工への「補償」を日本企業に求め、日韓の外交問題に発展した。「補償」を求められた企業が事実を認め、謝罪と金銭を払えばそれですむことだが、日本政府が立ちふさがり、日韓条約を盾に韓国の最高裁判決の取り消しを求めた。また日本政府の主張に歩調をあわせたマスコミ報道によって、今や日韓の「オール対決」になった観がある。
日本が「すべて解決済み」と一歩も譲らないなら解決の糸口は見いだせそうもない。
<15年かかった日韓交渉>
「日韓条約」をめぐる歴史と諸問題をあらためて振り返って見た。条約締結に至る道のりは平坦ではなく、予備会談(1951)から始まり、締結までに15年かかったように紆余曲折を経た。
背景にはサンフランシスコ講和条約(1952)による日本の独立、朝鮮戦争(1950~1953)、学生革命による李承晩政権の失脚(1960)、軍事クーデターによる朴政権の誕生(1961)。国際情勢、とりわけアジアにおける冷戦構造が一層深刻さを増し、ベトナム戦争が激化した影響がある。しかし何よりも、日韓の主張にあまりにも大きな隔たりがあったのが大きな原因だった。
<条約をめぐる日韓の対応>
日韓条約について、韓国では一般的にどのように理解されているのか。『韓国現代史』<ソ・ジュンソク著 歴史問題研究所企画2005>から日韓条約に関する記述の概略を以下にまとめた。
1. 朴正熙政権は政権基盤を固めるために、最重要課題として日韓の国交正常化に取り組んだ。それは中国・ソ連と対抗するためのアメリカの強い要請にもとづくものだった。
2. 朴正熙はこれまでにない親日政権であり、対日姿勢は屈辱的なものだった。
3. 1962年の金鐘泌(キムジョンピル)・大平外相の「密談」には疑惑が多い。
4. 反対運動を押さえるために、政府は非常戒厳令、さらに衛戍令を発動して軍隊で鎮圧した。
5. 運動は市民の共感を呼び、野党も反対したが強行採決によって承認された。
6.条約は過去に日本との間に結ばれた条約は「もはや効力を失った」と確認したものの、日本側の植民地支配に対する謝罪はなく、個別補償は封じられ、経済協力が約束された。
日韓条約への評価は厳しく、「通史」ながら屈辱的な条約の説明に数ページを費やしている。断っておくが、本書は専門書ではなく中学生でも読める絵入り写真入りの「やさしい」現代史である。
日本では歴史専門書は別にして、「現代史」で日韓条約の扱いは極めて軽い。高校教科書では「難航のすえに日韓基本条約を締結した」と説明があるだけだ(山川出版1991)。従って今さら日韓条約で「すべて解決済み」といわれても、ピンとこない人も多い。
日本に対してアメリカは日韓が共同してアジアにおける「反共の砦」となることを強く求めたことは言うまでもない。締結を急がせたことと、韓国がベトナム戦争に参戦したこと、日本の防衛力強化と米軍基地化が進んだこととは無縁ではない。
難航を重ねた交渉が締結へ一挙に現実味を帯びだしたのは、過去を問わず未来を重視する朴正熙政権の誕生(1961)による。韓国では屈辱的な対日姿勢が批判を受けたが、日本は「親日的」と評価し歓迎した。
日本でも野党を始め在野勢力がこぞって日米韓の軍事同盟を危険視して反対した。全国的にも数次にわたって「ベトナム反戦、日米安保破棄」の運動とともに闘われたが、韓国の反対運動に比べ盛り上がりに欠けたものだった。
<過去を封印し、経済協力(独立祝い金)に転化した日韓条約>
交渉は請求権が最大のテーマとなったが、「賠償」ではなく「経済協力」になった。数次にわたる交渉は請求権問題で決裂を繰り返したが、植民地支配の責任を認めない日本側の主張が大平・金鐘泌の密約によって合意されることになった。
朴政権は国内の猛反対を押し切って、名を捨てて実を取ろうとしたと言われる。
交渉の当初、韓国政府は「カイロ宣言」「ポツダム宣言」を前提に、「奴隷状態にあった」植民地支配に対する賠償と謝罪、「保護条約」1905、「日韓併合条約」1910の廃棄、独島(竹島)の帰属問題の解決、文化財の返還などを求めた。また60年の第五次会談で、韓国は個人補償を含む8項目要求を提出したが、植民地支配は朝鮮に対して「経済的にも文化的にも貢献」したと日本は主張を譲らなかった。
1962年、日本共産党の野坂参三が、国会で日韓会談の中止を求め、「朝鮮人に奴隷労働を強いたことへの反省」を問うたが、池田首相は「朝鮮を併合してからの非行に対しては寡聞にして十分存じません」(第43回参院議事録)と答えるなど、日本側の歴史認識は最後まで変らなかった。
韓国側を激怒させた発言には枚挙にいとまがないが、交渉団の久保田代表と後任の高杉代表の発言は日本側の本音を知る上で欠かすことができない妄言だった。
1953年の第三次会談における久保田貫一郎の発言は請求権をめぐる議論から飛び出した。
「(韓国が)賠償を要求するなら日本は、その間、韓人に与えた恩恵、すなわち治山、治水、電気、鉄道、港湾施設に対してまで、その返還を請求するだろう。日本は毎年二千万円以上の補助をした」「当時を外交史的に見たとき、日本が進出しなかったらロシア、さもなければ中国に占領され現在の北韓のように、もっと悲惨だったろう」(請求権委員会議事録)。
また、64年の第七次会談の代表高杉晋一の発言、「日本は朝鮮を支配したというが、わが国はいいことをしようとした」「日本は朝鮮に工場や家屋、山林などをみなおいてきた。創氏改名もよかった。朝鮮人を同化し、日本人と同じく扱うためにとられた措置であって、搾取とか圧迫とかいうものではない」と述べ、植民地支配を正当化した。交渉に支障が生じ、発言は撤回されたが、基本的な認識は現在の日本政府にも受け継がれているといってよい。
調印した椎名悦三郎外相の「お祝い金」発言はあまりにも有名だ。「あくまで有償・無償5億ドルのこの経済協力は、経済協力でありまして、韓国の経済が発展するように、そういう気持ちを持って、また新しい国の出発を祝う点において、この経済協力を認めたのでございます」(第50回参院本会議1965/11/19)。
条約締結に付随して交わされた請求権協定」、無償3億ドル、有償2億ドルを供与、請求権問題は「完全かつ最終的に解決された」。今日の徴用工被害者たちの補償問題の根本的なルーツはここにあると言ってよい。
日本側は「補償した」かのように主張するが、「経済協力」であって「補償ではない」とする矛盾。姑息な謝罪隠しがボタンの掛け違いとなって今日まで続いている。
日韓ともに「強行採決」によって批准成立。だが、韓国の反対運動は想像を絶する凄まじいものだった。64年3月の抗議デモは「朴政権下野」を求める大規模デモに発展、政府は非常戒厳令を発して1200名の学生を逮捕した。さらに背後の存在に北朝鮮があると「人民革命党事件」をデッチあげて運動を威嚇した。
デモの規模は波状的に数万人規模で激しく闘われた。ハンストを含む多彩な抗議行動は軍隊によって封じ込められたが、その精神は1980年の光州事件、1987年の民主化抗争に受け継がれ、2016~17年のローソクデモにつながる。圧倒的な軍隊の力を背景に締結された事実は日韓条約の悲劇として記憶したい。
<韓国最高裁判決を読み解くーあらためて問われる日本の歴史認識>
韓国の最高裁が新日鉄住金に「支払い」を命じた根拠は何か?
判決文を読んだ。個別請求権が「経済協力」のなかに「封じ込められた」という従来の見解を越えた理路整然とした説得力を持つ内容だ。A4で44ページの判決文の一読をすすめたい。
◎東洋経済オンラインニューズウィーク日本版(2018/11/09)は記事「徴用工判決が突きつける『日韓国交正常化の闇』韓国大法院判決全文の熟読でわかったこと」は、国交正常化の闇として、日本側が謝罪や賠償の意味を持つ「請求権」の中身を曖昧にしたことを論破した今回の判決を評価した。判決は「原告らが求めているのは未払い賃金や補償ではなく、強制動員への「慰謝料」であり、請求権協定に含まれない「慰謝料」は請求できるとした。また判決では被害者の基本的権利である請求権は請求権協定では完全に解決したとは言えないとした。
植民地支配を正当化し、国交正常化を急ぐあまり、「あいまい合意」をして、1996年に柳井外務省条約局長が国会で「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と明言した日本側の矛盾に言及した。
◎さらに朝日新聞RONZAは、「日本は『あり得ない』だけでいいのか」と市川朝日新聞論説委員の記事を掲載して、「日韓国交正常化の根幹に踏み込んだ韓国の最高裁判決」として紹介した。日本は日韓交渉の記録の公開を拒んでいるが、韓国で公開された記録では個人の救済が国家間の秘密交渉によってなおざりにされた。「解決済み」「終わった」ではすまないという主張だ。
最高裁判決で日韓条約そのもの、居直りに近い無責任な日本のありようが問われることになった。
<安倍・麻生コンビでは解決は難しい>
国家間の取り決めと個人の人権のどちらが優先されるべきか。個人の人権が優先するという判断は国際的な常識である。一度締結されたらどのような条約でも有効というわけではない。資金援助欲しさに国内の反対を抑え込んだ韓国。強行採決で成立を急いだ日本も、条約を金科玉条として、個人が不当に侵害された補償要求まで斥けるわけにはいかない。朝鮮侵略を認めない日韓併合以来続く韓国・朝鮮に対する蔑視と軽視意識の上に成立した日韓条約からは、日韓間の「正常化」「相互理解」は生まれるはずはない。
徴用工判決は決して「反日」ではない。韓国の最高裁が示した法理は、日本と対等な関係を望む韓国の民衆の声に支えられた新たな日韓関係を築く一歩になるものと評価したい。
<最後に>
わかり難い請求権協定の「無償3億ドル有償2億ドル」について説明したい。
無償3億ドル(1080億円)が協定の根幹であり、日本政府は認めないが、いわば「償い金」に相当すると考えられている。10年間にわたって日本の生産物と日本人の役務を無償で購入する。その総額が3億ドルである。理論的には毎年3千万ドルずつ、10年間。その内訳は日韓の委員会が決定し管理した。さらに、供与は「韓国経済の発展に役立つものでなければならない」という条件付きだった。この資金で「個人の請求権」を消滅させたという理屈には説得力はない。
有償2億ドル(720億円)は政府借款(貸出)であり、供与と区別される。返済が必要な借金。借入金だが自由に使えずで、やはり日本の生産物と役務購入が条件になっていた。
日本の「経済協力」によって韓国経済が発展を遂げたのは事実だが、日本も経済協力資金特需で大いに潤った。「韓国というニワトリはやせているから、タマゴをどんどんいただくには、まずよいエサを与えることが必要」といった参院日韓特別委員会広聴会発言は、「経済協力」の目的は日本ためにあると言わんばかりで、一面の真理を言い当てている。
日韓条約では日本政府の旧態依然とした歴史認識が明らかになった。それは日本人全体の歴史認識の反映でもあった。「自国主義」から脱して日韓の市民が連帯して運動に取り組むのはまだ先のことだった。
しかし1965年当時、日韓条約の本質を見抜き今日の日韓関係を心配した人たちがいなかったわけではない。高崎宗司は著書『検証日韓会談』のなかで「強制労働に対する請求権が反故にされて、経済協力にすりかえられた」「それでは道義上の問題はおこりませんか」と批判した公明党黒柳明の国会質問を紹介し、被害者補償という「道義上の問題」が残されたと、日韓条約の欠陥を指摘している。
韓国大法院判決は日韓条約の闇を明らかにしたものとして評価すべきものだ。日韓関係の将来を見据えるなら、個人補償問題を含めて欠陥をどう補うのか、信頼にもとづく日韓関係をどう築くか、根本的で前向きな議論が必要になった。
韓国の最高裁判決に対し、むき出しの敵意を示した安倍首相、菅官房長官、河野外相の発言に驚き、本棚をひっくり返し勉強しなおした。最新の本を探しに書店に出かけたが、日韓会談に関する本は見当たらず、百田尚樹、桜井よしこたちの「ヘイト本」ばかりが目についた。私は、本と資料と格闘した。「白を黒」と言いつのる人たちには通じそうもない虚しさを感じる一方、冷静に物事を考える人に希望を託したいという思いも強い。
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