私が会った忘れ得ぬ人々(8) 田中優子さん――女は度胸。愛嬌なんかじゃ、もたない
- 2019年 5月 9日
- カルチャー
- 横田 喬田中優子
東京六大学では初の女性総長で、TBSテレビの情報番組「サンデーモーニング」に時々解説者として清楚な和服姿で登場する人だ。私は男性でも女性でも、いささか風変りな人に惹かれる。万事に常識的では面白味がないからだ。現法政大学総長・社会学者のこの人は、間違いなく風変りだ。例えば、このシリーズにも登場した、かのフェミニズム学者(東大名誉教授)・上野千鶴子さんとの以前の対談で、田中優子さんは「(もし江戸時代に生まれていたら)太夫(遊女の最高位)になりたかった」と明言している。
西鶴は『好色一代男』で傾城・吉野太夫について、大略こう記す。
――魂も消え入るばかり素晴らしい唄をうたい、琴を弾き、和歌もつくり、茶をたて、花を活けてみせる。碁の相手ができ、気が優しく、話が面白く、相談事にも乗ってくれる。
同時に、彼は『世間胸算用』で地(素人)女については、
――物がくどくて、卑しいところがあって、(中略)床では味噌塩のことを言ひ出して、始末(けちの意)で、(中略)萬に気のつまるばかり。
と散々だ。田中さんは前記の上野さんとの対談で、要旨こう語っている。
――遊郭の中での勝負は、やっぱり人柄。気の大きさ、大胆さとか視野の広さ。女は度胸なんです。愛嬌なんかじゃ、もたない。度胸と大胆さ、勢いがまずあり、それが外見の身体(の見栄え)に結びついている。
彼女には今から四半世紀余り前の一九九二年に法大多摩キャンパスでインタビューを試み、差しで一時間ほどやりとりしている。『朝日新聞』の当時の紙面(要旨)を引くと、
――「江戸ブームの仕掛け人」「行動する江戸学者」との聞こえ高く、原稿執筆に、講演会や座談会に、ここ数年引っ張りダコだ。法大教授、40歳。男にはまぶしい独身の美人だが、高ぶらない、率直な人柄と見受けた。
「多摩で困るのは本屋がとても少ないこと。図書館が未整備なこと。学生が都心志向になる一つの理由は、必要な本がこの辺にないこと。学生に住んでほしいと行政が願うなら、情報のシステムの格差をなくす対策を立ててほしい。」
横浜の下町に育ち、法大文学部で日本文学を専攻、博識で批判と遊びの精神に富む故石川淳の評論に触発され、江戸の文学や芸術に傾倒する。奇才で知られる蘭学者・平賀源内と『雨月物語』などの読本作者・上田秋成を手がかりに江戸の社会を生き生きと再現してみせた著作『江戸の想像力』で五年前、芸術選奨文部大臣新人賞。
「政治史とか経済史だけではその時代はわからない。文化全般を含めたトータルな生活面を見ないと、だめ。例えば、日本が技術立国になっていく始まりは江戸。海外からの技術導入が不自由になった分、技術を開発する努力を地道に積み重ねるしかなかった。日本人は好奇心の強い努力家。器用だとか、頭がいいとか思いこむと危ない」――
ちなみに、田中さんが幼い頃に同居していた祖母は遊女上がりの人だった、とか。江戸時代の太夫贔屓といい、清楚な和服志向といい、出自との所縁が偲ばれる。生まれ育ったのは横浜の下町の長屋で両隣には朝鮮系の人が住み、通う小学校には米国人との混血や在日華僑・在日朝鮮系そして港湾労働者の家の子たちがいた。そうした生育環境も預かり、高校生の頃から社会問題に自ずと関心を強めるようになる。通学に利用する私鉄電車で乗り合わせた米兵に対し、「ベトナム戦争をどう思うか」と問い質したりした、という。
ちょうど‘七〇年安保闘争たけなわの時期に中核派の拠点校・法政大へ進学。学生運動に参加し、思想的に鍛えられる。西欧流の構造主義言語学を一通り学び、大学院ではロラン・バルトの分析学に則って修士論文を書き、本格的な研究者コースへ進んでいく。
法大社会学部教授当時の田中優子(敬称略)は劇画家・白土三平の大河マンガ『カムイ伝』を「比較文化論」のテキストに用い、異彩を放った。二〇〇九(平成二十一)年に著した『カムイ伝講義』(小学館)では、こう説く。
――『カムイ伝』は江戸時代を舞台にしながら、その向こうに近現代の格差・階級社会を見ている。21世紀にもなって、この日本は驚くほど変わっていない。ちゃんと階級もあり、格差もますます健在だ。私たちは歴史の中で、いったい何者なのかと問い、何ができるかと考え、カムイはいまどこに潜んでいるのか、と耳をすまさなければならない。
教材に用いた『カムイ伝』は、時代設定が江戸前期の十七世紀中頃から後半にかけての約三十年間。物語の主舞台となる花巻村は関西所在と思しき架空の日置藩(禄高七万石)に所属する。主役はカムイ・正助・竜之進と名乗る三人の青年だ。
アイヌ語で「神」を意味するカムイと名乗るのは、非人集落出身の双子の兄弟だ。熱血漢の弟は物乞いに甘んじる仲間を嫌い、自由と誇りを求め、単身で生きようとする。集落の子供が百姓の小頭たちに殺され、復讐のため立ち上がるが捕われ、斬首される。死んだはずのカムイ(双子の兄の方)が再び姿を現す。弟と比べ冷静沈着で、体得した忍びの秘術を駆使し、権力側と対抗する様々な場面で超人的活躍を重ねていく。
二人目の主役・正助は花巻村の下人の出で、カムイの姉のナナと結ばれ、夫となる。勤勉で聡明、かつ慈悲深いから仲間内の信望が厚い。後には本百姓となり、農民の生産力を高め、全ての百姓や非人の暮らしと経済を向上させ、平等な世界を築こうと人々を導いていく。蚕を育てて糸を作り、商人と提携して流通の経路を広げようと努力する。養蚕には、桑の栽培をはじめ蚕種の商い、生糸取り、生糸集めの商人との折衝、機織り、布の売却という難儀で複雑な過程が付きまとう。綿花栽培に欠かせぬ干鰯の入手やその加工の苦労があり、便所を作り直して下肥を確保する段取りも欠かせない。大都市で下肥市場が成立し、やがては百姓から問屋(商人)に成り上がっていく者まで現れる。農民は百姓という呼称に誇りを持ち、多種多様な技量を備えていた。自治的な村落経営を行っていて、領国での非道な圧政に対しては一揆を起こしてでも、自分たちの意見を通そうと努めた。
第三の男が草加竜之進。元次席家老の子息で、親を殺され家をつぶされて、非人集落に潜り込み市井で暮らす。農民たちの厳しい日々の営みを己の目でつぶさに確かめ、<百姓が作り、それを武士が奪う。武士は一体何のために存在するのか?>と彼は自問せざるを得ない。食べ物がどこから来るのか知らず、考えようともしない。これは現代の日本人も同じだ。昼に食べた納豆の原料がアメリカや中国から来るのを知らない。教壇で<現代の日本人は、まるで江戸時代の武士の人口が膨れ上がったかのように見える>と田中教授は説いた。
私は‘六〇年代半ば『朝日新聞』社会部で警察回りの頃、記者クラブの溜り場で他社の
記者が持ち込んだマンガ雑誌『ガロ』によって『カムイ伝』の面白さを知った。事件待ちのサツ回りは結構暇で、雀卓を囲む同輩たちを横目に私は近くの貸本屋から白土三平の作品を次々と借り出し、夢中で読み耽った。白土作品は数々あるが、壮大なリアリズムによる群像劇ばかり。どの作品も実に見事で描写や人物像がしっかりし、大事な事柄を沢山教わった。
田中優子さんは近著『日本問答』(岩波新書)の中で、こう提言している。
――(今後の日本は)アメリカに従属するのではなく、アメリカの成り立ちを見習ってアメリカから独立すべきだ。アメリカはヨーロッパの紐付き状態から(様々な闘いを経て)現状のような仕組みの合衆国を作り上げたのだから。
政財界の要人たちには彼女の見識をとくと見習ってほしい、と切に願う。
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