テント日誌5月16日
- 2019年 5月 19日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
今年初めてウォータータンクを用意した 5月10日(金)
今日は暑くなると聞いた。事務所を出るとき今年初めてのウォータータンクを用意した。水と氷を途中で仕入れ経産省前に着いてからテーブルの上に設置した。これからは日よけの傘も必要になるだろう。しかし、まだ初夏の日差しでそれ程強くなく、座り込みにはもってこいの季節となった。風も弱くバナーを久しぶりに2本取り付けし、座り込みを開始する。
腰痛で休んでいたYaさんも参加し今日は久しぶりに常連のいろはネットのメンバーがそろった。座り込みを開始してからすぐに見慣れた年配の方が座り込みに参加してくれた。また、暫くしてから編集長のOさんもやって来た。その後2人そろって、お出かけになった。
Yaさんや横浜のOさんも、じきに顔を見せ経産省前は10名もの座り込み参加者で溢れる状態であった。闘病中のTさんもお見えになる。通りかかった年配の方が頭を下げ「ご苦労様です」と声をかけてくれた。時々カンパをしてくれる方もいる。有難いことだ。
選挙で忙しかったWさんやMさんがお見えになるころになると間もなく4時近くになり、文科省前に移動した。文科省前は日差しが遮られ、幾分か過ごしやすかった。参加してくる朝鮮大学校の学生たちが堂々と力強くコールしスピーチを繰り返す。朝鮮学校への無償化を求める運動に対する日本の支援者も数多く参加するようになり、今日は延べで20人近くに及んだ。日本人の中にも着実に広がりを見せている。朝鮮学校にも無償化を即時適用せよ! (S・S)
原発推進も辺野古基地建設も終わらせよう 5月10日(金)
毎週カンパしてくださる方と雑談。連れ合いさんも一緒にカンパしてくださる。ただ、原発はいいけれど他の問題ではなかなか連れ合いを説得できないそう。他の人を説得するのはもっと難しい、と。
経産省抗議では、コールや歌に挟んで次のアピール。久方のKさんが経産省・安倍政権を責め沖縄と原発と国のやり口が同じだと。Hさんが経産省職員の覚醒剤問題を糾弾し福島県「急性心筋梗塞ワースト1」(週刊金曜日、明石昇二郎さん)報道を心配する。Kさんが、双葉町には事故前に1700名弱が住んでいたのに何と637人が亡くなったと衝撃の報告。私から賠償についての「3つの誓い」を東電に守らせず、省内職員を管理できないのに、MOX燃料再処理中止報道で共同通信記者を10回も非難する世耕経産相を糾弾。Aさんが特重猶予・再稼働・沖縄問題を追求。Mさんが連休を振り返り象徴天皇制を論じ国民主権・平和主義・民主主義を強調。Hさんが経産省のエネルギー政策の変更を訴える。Nさんが特重猶予でなく即時稼働原発停止を訴え安倍政権のオリンピック政策を非難し東海第二を止める為のアメーバ行動(6月1日)を紹介。
なお、今経産省他が実施しているパブコメ「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略(仮称)(案)」の提出をeシフトの用紙を配付して呼びかけた、「パリ協定口実に原発を生き残らせるな」、締切は16日。 抗議終了後は片づけをHさんとMさんとにお願いして、私は首相官邸「裏」の抗議行動。イベントカレンダーを見て来たSさんとTさんとともに、「安倍は止めろ」と大声を張り上げた。 (K.M)
いつまで何のために鯉のぼりを飾っているのか 5月11日(土)
まさに夏日。気温はかなり高いが風はカラッとして爽やかだった。13時をすぎると日傘から熱が伝わってきたが涼風がすぐに吹き払ってくれた。周囲の省庁ではまだ鯉のぼりを飾っていた。江戸時代に武家で始まったとされる鯉のぼりは旧暦の5月5日、つまり6月の梅雨時期の雨の日に飾ったらしい。霞ヶ関では慣習に従って飾っているだけなのか、本当に子供たち(他人の子供を含め)の幸福を願っているのかはわからないが。
一ノ瀬弁護士がやってきて例の裁判資料を渡してくれた。記念撮影を一枚撮ったらすぐにお帰りなった。いつもお忙しそうな方だ。(O・O)
座り込みメンバーも段々と増えて 5月12日(日)
今日は藤原節男さんが用事で3時ごろになるとのことでTrさんと私とで座り込みセットを経産省前へ運んだ。既に自転車隊のお二人が待っておられて、すぐに座り込みのセッティングにかかる。
慣れたものでセッティングはすぐに完了。記念写真を撮ってお二人が帰られた後はTrさんと私の二人だけだ。やがて、タンポポ舎の女性Wmさんがテント日誌を読んで私も行かなければと思って座り込みにいらしてくれました感激。斎藤美智子さん、阿佐ヶ谷のSnさん、堀江君、永瀬さん、横浜のObさん、三上さん、3時30分頃に藤原節男さんが来て途中で帰られた方も含めて延べ人数にして10人が座り込んだ。4時に撤収後は事務所でコーヒーと味噌鍋を食して帰宅した。(SK)
正清さんがなくなられていた 5月13日(月)
今日の天気予報では夕方から所によっては雨が降るということなので傘も2本持っていった。経産省前は何時ものことだが風が強かったが蒸し暑いのと陽射しが強いのが入り交じっていて座り込みは楽ではなかった。それでも何時ものメンバーは元気で、座り込み準備は順調に終わることが出来た。
準備が終わって間もなく(火)担当のYRさんが自転車で通りかかった。間もなく裁判所前で始まる袴田さんの再審無罪を訴えるビラ配りに参加する為とのこと。帰りに、獄友を初めとする金聖雄監督の冤罪三部作のチラシ等を皆に渡してくれた。3時頃、たんぽぽ舎のチラシが欲しいと言ってカンパしてくれる人がいた。最後の一部を渡した、先週も同じような人がいたとあったので同じ人か確認したら違う人であった。ひと月ことにこちらに来られるとのこと、もう少し多目に置いて貰おうと思います。
3時頃、黒色の警察車両が地下鉄出入り口付近に来た、憲法記念日の時のように中年のお巡りが降りてきて文句を言ってくるのかと注視していたら5分くらいして去っていった。今日は男ばかり5人だったので文句を言いに来られなかったのか? そのあと若いお巡りが様子を見に来ていたが何事もなかった。 4時半ごろレジェンド・Sさん御一行が来られた。しばらく話しているうちに咳き込んでいるのに気付き5時過ぎに帰ってもらった。御付きの人も言っていたがどうしてもテントひろばに行くと言って来られたとのこと。体の免疫力が低下していないか心配である。本人は毎週水曜日に行っている病院で体全体を診て貰っているから大丈夫だと言うけれど。最後に。今日は担当を除いて七名の人が参加してくれました。 夕方になって風が冷たくなってきましたが雨が降らずに済みました、明日は雨だそうで担当の人は頑張ってください。以上。正清さんについては別のメールにてお知らせしたことが全てです。(保)
何事もなく過ぎた一日だったが 5月14日(火)
朝から雨が降り始める。テレビの天気予報では雨はたいしたことはないようだったが、上下の雨具を来て4人で座り込む。途中で雨は上り、日傘の修繕をしたけれど、夕方にはまた強くなって6時前に撤収。 この日は何事もなく座り込んだ一日だったが、経産省別館2階の会議室では午後1時から放射能汚染水処理対策の第22回委員会が開催されていた。傍聴から戻った方が立ち寄られ、会議の様子をお聞きした。(O・E)
座り込みは後半に長く感じる 5月15日(水)
今日は沖縄に施政権が返還された日だ。沖縄では平和行進をしていると思う。良い天気だ。グッズをもって経産省前に着くと、すぐに勝爺が来てくれた。風はあるので、幟やバナーを括り付けた椅子にはしっかり座っていないとだめだ。通りすがりの人がカンパをしてくれる。経産省に用事があった人が「自分も原発反対だ。みなさんともに闘いましょう」と言ってくれた。 保っちゃんはいつものようにパンを2キン焼いてきてくれた。1キンは少し膨らましすぎたという。それでもおいしい。三上さんたち4人が経産省前で落ち合った。三上さんが来るまで、物知りのYさんはいろいろなことを話してくれた。本当に運動の歴史をよく知っておられる。思わず「Yさん長生きして下さい」と言ってしまう。それから、前日の「5.14日韓労働者連帯の集い」(争議団主催)に参加した韓国の争議をしている労働者たちが通訳たちと経産省の前を通って、ちょっと励まし合った。通訳の人たちはテントにも来られる人たちだ。今はどこの国でも労働運動への弾圧はひどいが、弾圧の一つに資本家が超巨額損害倍書請求を出すことが韓国でもやられているそうだ。 レジェンドの斎藤さんは4時過ぎに来られた。腰が痛くて少し休んでいたが来たと言われた。持っているリュックや手提げカバンが重そうなので、保っちゃんと一緒に整理させてもらう。斎藤さんはやっぱり昔の人で、なんでももったいながって、リュックやカバンにいろんなものが入っていた。 5月から座り込みは6時までで、4時を過ぎてから長く感じる。(T)
正清太一さんのこと 5月15日(水)
テントひろばの代表だった正清太一さんが亡くなられていた知らせを受け取った。正清さんとは諸事情もあって昨年から連絡が取れない状況にあった。彼のことは元気でいることを願っていたのだが、こういう報を手にして無念の思いがする。僕が正清さんにはじめて会ったのは「9条改憲阻止」を目指す集まりにおいてであり、十何年も前のことだった。1960年代の全学連や全共闘運動に関わった人たちが安倍晋三の改憲の動きに抗して集まった会だった。淵上さんとも一緒だった。あれから、僕らは多くの行動を共にしてきた。
改憲の動きに抗しての国会前での座り込みを皮切りにしてだ。多くのことが、思い浮かぶのであるが。「3・11」の後、僕らは福島に水や果物などを届ける活動をしていた。彼は車を運転し、この支援活動の先頭に立って何度も福島に通った。箱根に名水があるというので車を連ねてもらいに行った。また、福島に届ける甘夏を伊豆まで頂に行った。車の中で彼とは若かったころの話などを何度もした。彼は熊本出身だったのだが、故郷のことに愛着もあったように思う。「3・11」の後に僕らが、脱原発の闘争に取り組み、とりわけ、経産省の一角にテントを張つての闘いでは彼は中心にあった、
彼は経産省前テントひろばの代表となった。渕上太郎とともにテントを代表し、その闘いの先頭にあった、彼はテントに集まってくるメンバー、また、たずねてくる多くに人によく話、対応をしてくれていた。対外的な交渉というか、スポークスマンの役割を果たしてくれていたのではないだろうか。あまり、そういうことの好きなというか、役割を担える人が少なく、彼に自然にフわれたのかもしれない。彼の人柄とあいまってこの役割をよく果たしてくれていたと思う。また、彼はテントひろばの代表として経産省から渕上さんと一緒に当事者として訴えられたのだが、その裁判においてよく闘った。訴追され、膨大な金が課せられことは、大変なことだったと思う。この大変さは当事者以外にはなかなかわからないものだったに違いないのだが、淵上さんともどう正清さんはよく対応してくれた。彼等はさりげなく振舞ったのなのだが、これはなかなかできないことだったのだ。僕はあらためてそれを思う。
テントは強制撤去されたが、経産省前テントひろばの闘いは続いている、もう8年を超すことになるのだが、僕らは多くに人を野辺送りしてきた。テントの初期にいた吉岡さん、大胆な行動で僕らを驚かした蔵屋敷さん(彼女は福島へ正清さんと支援の車で出掛けたこともある)など、多くの人が記憶に刻まれている。最近は第二テントを担っていた寺崎あき子さんや馬場千恵子さんを送ったばかりだ。高齢者の域に入った人たちが多いのだから、これはもう宿命のようなものだが、それでもやはりつらい。彼等や彼女らは記憶として生きているし。何かの折に思い出し、自然と会話をしている。そういう事がおおくなることは生きてあることそのことなのだろう。僕らは彼等。彼女らの記憶が僕らの生を豊かにしてくれることを知っている。出会えたことを感謝して、原発再稼働阻止実現に一歩でも近づくように闘っていきたい。(三上治)
長閑な一日と言ってよい日だった 5月16日(木)
晴れ時々曇り、空には積乱雲が現れていた。 初夏ですね。日差しのわりに風がさわやかで座り込み日和だった。 まずYさん・勝爺と一緒にセッティング。 Yさんが時々修理してくれて使っていたパラソルがいよいよ駄目になったので新品を買って来てくれた。 陽ざしが強くなりパラソルがあると助かる。 Yさんは午前中,内閣委員会「小型無人機等(ドローン)の禁止に関する一部改正する法案」の傍聴をぎりぎりまでしてきたそうだ。 福島みずほ議員の突っ込みが素晴らしかったと話してくれた。 しばらく3人だけの座り込みだったが、突然三上さんがおやつの差し入れを持ってやってきた。 その後も時々来て下さるIさんが来てカンパして下さった。 気持ちの良い陽気に居眠りする人もいる長閑な日だった。 3時前に後半当番の方たちが来てくれたので私は帰路につく。(I.K)
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産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その116 東
京電力に除染土壌の責任をとらせよう、自治体に汚染土を押し付けるな ~超党派国会議員連盟「原発ゼロの会」の「除染土壌…意見聴取会」に参加して~
5月13日夕刻に超党派国会議員連盟「原発ゼロの会」開催した「除染土壌の再利用および最終処分をめぐる意見聴取会」は、環境省が市民の意見を聞かずに進めている除染土壌対応について、ひろく意見を聞く有意義な意見聴取会であった。
環境省の福島県外・県内の担当の簡単な説明の後、原子力市民委員会及び意見表明者11人の意見が述べられ、野党議員がコメントした。 明らかになったことは次のようなことだ。 ◆ 環境省が、福島県内で「除去土壌の再利用」を進め、県外で埋立処分を進めている。
◆ 法律的根拠は「…放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法」で、この特措法に問題がある。政治の責任。
◆ 原子炉等規制法に基づくクリアランス基準(セシウム100Bq/kg)と特措法で定めた特定一般廃棄物・特定産業廃棄物(8000Bq/kg)の二重基準が問題
◆ 一旦集めた除染土壌を、再利用あるいは県外埋立などで、拡散させることはナンセンスであり、被ばく労働を伴う
◆ 環境省の、情報隠しと示威的な解釈と管理を伴わない処分が問題。
また、意見表明者の一人として前原子力規制委員長田中俊一氏が「飯館村復興アドバイザーとして長泥住民が自分の故郷を取り戻したい思い」を述べた。引き続き住民に被曝を押しつけている。 私が最も共感した意見は、今中哲二さんの<「除染された物はすべて東電に引き取らせる」を原則とすべきである>だ。 私が、「東電と共に脱原発をめざす会」で4月24日に東電に対して事故の責任と放射能汚染について尋ねた折の質疑をご覧いただきたい。
<3 事故の責任について (質問)2011年にイチエフ事故で排出された放射性物質について東電が「無主物」だとの見解を示されました。8年間に膨大な費用をかけて除染が行われましたが、東電は今もこの放射性物質は無主物だとお考えでしょうか? 東電の見解をお教え願います。 (回答)当社福島第一原子力発電所における事故、および、放射性物質の漏えいにより、立地地域の皆さま、さらには広く社会の皆さまに大変なご迷惑と心配をおかけしていることを、心より深くお詫び申し上げます。当社としましては引き続き、事故の当事者として責任を果たしていく所存です。> そう、東電は、もう「無主物」とは言わず、「事故の当事者として責任を果たしていく所存」なのだと回答した。除染土壌も東電に引き取らせるべきだ。除染土壌問題をなぜ福島県や周辺地域の住民が心配し環境省が情報隠しして除染土壌を拡散しようとしているのか。知らんふりしている東電を糾弾しよう。それを容認している経産省と環境省と安倍政権を糾弾し続けよう。東電から電気を買うのを止めよう。 (木村雅英 )
5月24日(金)経産省前抗議行動 17時~18時 官邸前抗議行動(首都圏反原連)は18時30分~
5月19日(日) 老朽原発動かすな!関電包囲全国集会
場所;関電本店前(大阪市中之島) 時間:13時~
5月19日(日)午後2時~ 安倍改憲NO! 憲法審査会に自民党改憲案を提示させるな! 場所 衆院第二議院会館前を中心に 総がかり行動実行委員会など
5月25日「示そう!辺野古NO!の民意を」全国総行動
場所:国会周辺 時間:14時~15時30分
主催:「止めよう!辺野古埋め立て」国会包囲実行委
月例祈祷会「死者の裁き」5月30日(木)
場所:経産省前ひろば 時間:15時~16時
主催:日本祈祷団47士
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