大震災被災現地に見るPTSD―5月7日の「原発やめろデモ」に参加しよう!
- 2011年 5月 6日
- 交流の広場
先日ある会合の席に、今回の大震災被災地である岩手や福島県郡山などでボランティア活動を続けている仲間が来ていたので、色々現地での話を聞いてみた。先ごろ福島県の佐藤知事が発表していたように、たしかに物品の寄贈にはすでに十分足りているものも出ていて、何でも受け入れるという段階は過ぎたようである。 しかし、その半面で、精神的な不安、将来に対するいたたまれない不安が、どこの避難所でも蔓延しているという。ふさぎこみ、廊下で泣き崩れているお年寄りをしばしば見かけるそうだ。都会から、歌手やお笑い芸人たちが慰問に訪れてはいるが、その効果は一時的か、あるいはかえって彼らのうつ状態に拍車をかけるものでしかないとのこと。家族も家財も住居もなくした彼らが、将来の生活におびえるだろうことはわかりやすい。PTSD(ポスト心因性障害とでも訳されているのだろうか?)であろう。
どうにも慰めようがない、と言っていた。まさに社会問題である。個々のボランティアの親切では何ら解決できる問題ではないだろう。中学生ぐらいの少年が、拾った煙草をくわえているのもよく見かけたそうだ。ふと、戦後の闇市と、戦災孤児を思い出した。僕の希望的観測では、それでも何年後かには、東北の被災地はそれなりに立ち直っているだろう。しかし、問題は福島の原発災害地である。政府の発表はくるくると猫の目のように変わる。当初の「大したことはない」から、次には一転して、「最初から装置が故障していて計測できなかった」などと言う。その発言から数日後には、今度は「5000ぐらいのデータをもっていたが、発表すればパニックを起こすかもしれないと思い、発表を控えた」などと、無責任な答弁に転換する。その都度、現地の被災者は、振り回され、家に帰れるものやら帰れないものやら、避難すべきなのかこのまま残るべきなのか、とにかく後かたずけも、避難準備もできないまま、生活圏の外(つまり、将来の生活設計が全くできない状態)に放り出されている。地域の再建、自分たちの生活の再建に対して限りない不安を抱くのは当然であろう。ちなみに、政府の『原子力安全・保安院』の寺坂院長殿は、やっと5月3日になって初めての福島入りを果たしたとのこと。
国家が国民の生命と生活を守るべき最低限の防災計画を放棄し、その上、高額な税金のみを負担させようとする、国民には「自己責任」での行動を要求する、こんな国ってありうるのだろうか?国家の破綻を意味していないのか?
原発災害の責任は、即刻原発を止めること、二度とこのような災害を起こさないようにすること、そのための産業政策、国の在り方を根本から変革すること、このことなしには取りようがないだろう。浜岡原発で事故が起きてからでは遅すぎる。
明日(5月7日)は、『原発やめろデモ!』の第2回目が渋谷で企画されている。午後2時から代々木公園の渋谷区役所側に集合とのことだ。我々の力で「脱原発」社会を戦い取りたいと思う。
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