観てほしい「写真展 沖縄・終わらない戦後」 -米軍基地撤去を求め続ける沖縄の人たち-
- 2011年 5月 7日
- 評論・紹介・意見
- 写真展 沖縄・終わらない戦後大城弘明岩垂 弘普天間問題
5月4日付の朝日新聞は、内部告発サイト・ウィキリークスが入手した米外交公電(在日米大使館から国務省あての公電)を掲載したが、それによると、日米両国政府は沖縄県民が求めている米軍普天間飛行場(宜野湾市)の県外・国外移設には全く応ずる気がないことが明らかになった。この報道を読んで、私は思った。5月15日(日)まで、横浜市の日本新聞博物館で開かれている『写真展 沖縄・終わらない戦後』をぜひ多くの人に観てほしい、と。そこには、沖縄県民の要求がいかに切実で烈しいものであるか、そしてまた、その願いがいかに長期間にわたるものであるかがあますところなく表現されているからだ。
この写真展は、沖縄タイムス社と日本新聞博物館の主催。報道写真家・大城弘明さんが沖縄の日本復帰(1972年)前から撮り続けてきた写真250点が展示されている。
大城さんは沖縄戦の激戦地となった沖縄本島南部の三和村(現糸満市)で1950年に生まれた。琉球大学在学中(1968~72年)に日本復帰運動、米軍基地で働く労働者の組合・全軍労の活動、反基地闘争などを撮影。1973年に沖縄タイムスに入社し、写真部長などを務め、2010年に定年退職。現在、同社嘱託。
いわば、沖縄の戦後66年が、一カメラマンの眼で記録されてきた感じだ。
写真展の会場に入って、まず、引きつけられるのは、沖縄戦の傷跡の深さを物語る写真の数々である。暗闇のガマ(自然壕)の奥深くに放置された旧日本兵の遺骨や遺品。日米両軍の戦闘に巻き込まれて一家全滅した住民の家屋の跡。ひめゆり部隊最期の地。
眼帯をした、年老いた女性の写真が目を引く。大城さんの祖母・ウシさんの生前の写真だ。沖縄戦における米軍の機銃掃射に遭い、左目と鼻をえぐり取られた。戦後、家にいるときも眼帯を手放さなかった。1981年、82歳て亡くなったという。
沖縄を占領した米軍による土地接収と基地建設。それに激しく抵抗する住民たち。やがて、米軍による圧政と基地の重圧から逃れるために平和憲法をもつ日本のもとに戻ろうと、島ぐるみの祖国復帰運動が始まる。集会やデモ行進に日の丸を掲げて加わった中学生たち。コザ騒動(1970年)で焼かれた米軍車両の写真もある。
日本復帰を果たしても、「即時無条件全面返還」は実現せず、米軍基地は残った。基地があることで頻発する被害はなお続く。1995年には女子小学生が米海兵隊員ら3人に暴行される事件が起き、米軍基地の整理・縮小と地位協定の見直しを求める運動が一気に盛り上がり、10月21日には8万5000人が参加した県民総決起大会が開かれる。会場にはその写真もあり、その盛り上がりの模様を伝える。
2004年8月13日には、米軍普天間飛行場所属の大型ヘリコプターが宜野湾市の沖縄国際大学構内に墜落、炎上した。これを機に同飛行場の閉鎖・返還を求める運動が高揚。これに対し、日米両国政府が同飛行場を沖縄本島北部の名護市辺野古へ移設することを決めると、名護市をはじめ県議会もこれに反対を表明。2010年4月25日には、「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民大会」が読谷村で9万人を集めて開かれた。写真展を締めくくる最後の展示作品はこの県民大会の壮大な全景写真である。
同年11月28日に行われた沖縄県知事選では、「県外」を訴えた現職の仲井真弘多氏が当選した。米軍普天間飛行場に対する沖縄県民の総意が「県外移設」にあることが明白になった瞬間だった。
よく知られているように、佐藤栄作元首相は、沖縄の復帰によって日本の戦後を終わらせようとした。が、この写真展は、沖縄の戦後は日本復帰から39年たっても終わる気配がない、と訴え、その「終わらない戦後」の諸相をくっきりと浮かび上がらせる。それは、私たち本土の人間の責任を鋭く問うてやまない。
会場入り口に、主催者の「ごあいさつ」が掲示されていた。写真展を見終わった後、いつまでもそれが心から離れなかった。そこにはこう書かれていた。
「作家の島尾敏雄さんは、沖縄の施政権返還を二年後に控えた1970年に、ある講演でこんなことを語っています。『大雑把な言い方をしますと、日本の曲がり角では、必ずこの琉球弧が騒しくなると言いますか、琉球弧の方からあるサインが本土に送られてくるのです。そしてそのために日本全体がざわめきます。それなのに、そのざわめきがおさまってしまうと、また琉球弧は本土から切り離された状態になってしまうという、なんかそんな感じがして仕方がありません』。41年前に発せられた言葉であるにもかかわらず、島尾さんの指摘は少しも古びていません。作家の鋭い感性が紡ぎだした言葉は、今もアクチュアルな響きをもって私たちに迫ってきます」
「米軍普天間飛行場の移設問題をめぐつて、本土と沖縄の間に『温度差』という言葉で片づけるにはあまりにも大きな溝が生じてしまいました。今回の写真展が、本土―沖縄を貫く共通の課題として普天間問題を考えていく一助になれば、と願っています」
★日本新聞博物館
横浜市中区日本大通り11 横浜情報文化センター内。電話045-661-2040
みなとみらい線「日本大通り」駅情文センター口直結、JR根岸線・横浜市営地下鉄「関内」駅徒歩10分
月曜日休館。入館料 一般・大学生500円、高校生300円、中学生以下無料
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0446:110507〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。