本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(225)
- 2019年 6月 1日
- 評論・紹介・意見
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一神教と多神教
西暦392年、西ローマ帝国は、それまでの多神教から、「キリスト教」という一神教を選択したと言われているが、今から40年ほど前に、この事実を知った私自身は、それ以来、「多神教と一神教の違い」を、心の奥底で考え続けてきた。そして、現在では、「心の仮説」を使うことにより、状況説明が可能なようにも感じているが、実際には、「神が創った世の中」において「肉体に魂が入った時に、心が誕生する」という理解であり、この観点からは、「一神教」と「多神教」との違いが、単に、「神」と「神が創った大自然」とも理解できるようにも感じている。
別の言葉では、「八百万の神」が、「神が創った大自然」において、「全ての創造物に、神の想いが籠っている状況」を表しているようにも感じられるのである。そして、「大自然を敬う」ということは、「創造主である神を敬う」ということと、同じ意味を持っており、この点を理解した「自然科学」は、「天地自然の理」を解明することから、本格的な発展期に入った状況だったものと考えている。
具体的には、「ニュートン」による「重力の発見」のことだが、ご存知のとおりに、「過去300年ほどの間に、科学技術は、目覚ましい発展を遂げ、現在も、より一層の進化を見せている状況」となっている。しかし、一方で、「社会科学」や「人間の心」は、依然として未発達の状態であるために、結果として発生している現象は、「進化した技術」が、「戦争」という「殺し合い」に使われたり、また、「過剰なマネーの大膨張」が「地球環境の環境破壊」を産み出したりしている状況とも思われるのである。
つまり、「神は自分に似せて人間を創った」と言われているが、現在、似ているのは「外見」だけであり、「内面の心」については、依然として、「野蛮な獣」のような側面を持ち合わせているものと思われるのである。そのために、「神は、時代に合わせて、聖人や天使などを、この世に遣わした」とも言われているが、実際のところ、「社会科学の現状」は、いまだに、300年ほど前の「自然科学」と同様の状態にあるものと考えている。
具体的には、「中島みゆき」の「糸」という歌のように、「自由な心」が、さまざまな「人間関係」、そして、「組織」や「社会」を生み出すわけだが、現在では、この点に関する法則が、ほとんど解明されていないのである。つまり、「心とは、どのようなもので、また、どのような役割を果たすのか?」が、まったく理解されていないことが、現在、「心の闇」を創り出すとともに、いろいろな問題を引き起こしているものと感じている。(2019.4.29)
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ラクダとライオンと幼子
19世紀の哲学者である「ニーチェ」に、「三段階の精神」という考え方が存在するそうだ。具体的には、「ラクダ」から「ライオン」、そして、「幼子」という順番で、人間の成長や進化が発生するという理解のことだが、実際には、「重荷を背負うラクダ」が、その後、「既存の認識に噛みつくライオン」に変化し、また、その後、「素直な心を持つ幼子」へ、更なる変化をする状況のことである。
そして、この点について、私自身は、東洋の「守破離」という考えが当てはまるようにも感じている。具体的には、最初に、「守」という「基本の学び」の後に、「破」という「不十分な面に気付く状況」が想定され、その後に、初めて、「離」という「自分に固有の理論」などが産み出される状況のことである。また、この点については、「人類の進化」も、同様のパターンとなっているものと思われるが、実際には、「自然科学」と「社会科学」との関係性において、最初に、「自然科学の発展」が発生し、その結果として、「実体経済の成長」に繋がった状況のことである。
つまり、「自然科学」は、基本的に、「天地自然の理」を追求する学問であり、実際には、「大自然」という、「既に存在し、また、人間が創り出したものではない対象」を研究する学問を意味している。そして、この点については、最近、問題となった「STAP細胞」のように、「嘘や誤魔化しが通用しない世界」ともいえるようだが、一方で、「社会科学」については、現在の「経済学」、あるいは、「マネー理論」のように、「人間の意識や行動、あるいは、感情や絆」などを研究する学問のために、実際には、「正確性を実証する基準が存在しない状況」とも思われるのである。
別の言葉では、多くの経済学者、あるいは、エコノミストは、「自分の理論が正しいか否か?」について、ほとんど検証をせず、単に、「過去の状況」を説明しているだけの状況とも思われるのである。その結果として、現在では、「人類の欲望」が産み出した「マネー経済」が、「実体経済」を、はるかに上回る規模にまで膨れ上がり、その結果として、「地球環境の破壊」というような事態にまで進展しているのである。
つまり、将来の人類が見ると、「自分の住んでいる星を破壊してまでも、お金儲けに邁進した人々」と言われる可能性も存在するわけだが、この間の推移を考えると、実際には、「自然科学」の発展が、その後、「社会科学の発展」を促しており、このことも、最も重要な「心の謎」が解明されるために必要だった展開のようにも感じている。(2019.4.30)
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異次元金融緩和の現状
最近は、「異次元の金融緩和」という言葉も、あまり聞かれなくなり、また、「超低水準の金利」も落ち着いた状況となっているが、問題は、「裏側で、どのようなことが起こっているのか?」だと考えている。つまり、過去数か月間の「日銀のバランスシート」を検証すると、「残高に関して、ほとんど変化がない状況」となっており、このことは、「日銀が、『異次元の金融緩和』の骨格である『国債の買い付け』を放棄せざるを得なくなった状況」のようにも感じられるのである。
具体的には、今まで、「当座預金」という「民間金融機関からの借り入れ」により資金を調達し、「国債の買い付け」を実施してきたわけだが、現在では、「当座預金の残高」が「約400兆円」という水準で限界点に達したものと思われるのである。しかも、本来は、「昨年の9月頃に、国債価格の暴落が発生してもおかしくない状況」だったようだが、実際には、「政府から資金を借りて、国債を買う」というような「奥の手」とも言える手段の行使により、いまだに、「超低金利の状態」、そして、「金融システムの安定」が保たれているのである。
しかし、「奥の手」と言える手段については、当然のことながら、「金額」の面で「当座預金」とは、大きな違いが存在し、そのために、これから想定される事態は、「国債の買い付けができなくなり、国家の資金繰りに問題が出始める状況」だと考えている。しかも、「現在、どのようにして、国債の買い支えが実施され、超低金利状態が継続可能なのか?」を考えると、実際には、「奥の手の一つ」とも言える「国債の買い、株式の売り、そして、円高」という「プログラム売買」に頼り切っている状況のようにも感じられるのである。
別の言葉では、「過去10年間、私自身も、この商いに、さんざん悩まされた」という記憶が鮮明に残っているが、このことも、結局は、「デリバティブ」を利用した「世界的な金融コントロール」の一例でもあったようだ。つまり、大量に創り出された「コンピューターマネー」により、「2008年」以降、「金利」のみならず、「株価」や「為替レート」、そして、「商品価格」までもが、世界的にコントロールされていた可能性のことである。
そして、この理由としては、「金融システムを安定する」という「政府の思惑」が指摘できるようだが、現在では、「日銀」を筆頭にして、すでに、打つ手が無くなった状況、すなわち、「国債の買い支え」が実施不能な状況となり、「国債価格の暴落」が始まるのを待つだけの段階のようにも感じている。(2019.5.9)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
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