川崎殺傷事件 承認欲求と公のサポート
- 2019年 6月 1日
- 評論・紹介・意見
- 手をつなごうみんなが安心できる暮らしネットワーク江口千春
●攻撃心理の底にある不安と承認欲求
攻撃心理の底にある不安と承認欲求 自分の承認欲求を満たすために人を攻撃する心理が、私達の中にも広く巣食い始めていな いだろうか?
碓井真史氏(社会心理学)は、過去の土浦・秋葉原通り魔事件について、『「人生の最後に 大勢の人を殺し、自分をばかにしてきたやつらに思い知らせてやる。世界をあっと言わせて やる。こんな心理が働いている。」他人を巻き込む「拡大自殺」ということだ。』と語ってい る。(「絶望」「孤独が生む凶行 東京新聞 5 月 29 日」
今回の川崎での事件も、かつてないような、殺傷事件を起こして、人々を震撼させ「世界 をあっと言わせたい」という思いが、彼(岩崎容疑者)にあったのではないか? だとすれ ば、きわめて歪んでいるとは言え、<自分という存在を世間に認めさせたい>という「承認 欲求」に根差しているとも言えるだろう。 彼も「自分は全く認められていない」「できることはない」という絶望感を年齢と共に蓄 積し「死ぬなら」と注目されることを考えたのではないか。
人にとって「承認欲求」は基本的要求であり、想像以上に痛切なものだと思う。 私は、現在の監視社会は、「承認を求め見つける敵」をつくって同調を確かめ満足る人々 多数を生んでいるという津田大介氏の指摘に注目している[津田大介、超監視社会 承認を求め、見つける「敵」、2019 年 5 月 30 日朝日新聞(論壇時評 )]。 攻撃する相手、対象は、ある時は、障碍者であり、生活保護の受給者であり、韓国と中国で あり、「同調しない人」であり、子どもや弱者である。
市場万能主義の下、格差と不公正の拡大と人間関係の断絶が進み、私たちは、承認欲求を満 たすために、攻撃しあうようにされつつあるのではないか。
●彼(岩崎容疑者)はどのような環境で生育したのだろうか
幼少の日々、彼の個の尊厳はどのように尊重されていたのだろうか?
両親は離婚したそうだが、その後も、互いに交流できる関係、サポートを得る良好な関係 は築かれていたのだろうか。叔父叔母との関係性はどうだったのか? 中学生以降、不登校だったというが、学校ができることはなかっただろうか。 相談を受けた川崎市が、サポートできることはなかっただろうか? 子どもの権利条約の観点から検証できればと思う。
●公のサポートが全国で展開される必要がある――スェーデンの更生施設では
スェーデンで、青少年の更生施設を見学した。何ら拘束はなく、職員と一緒に、物作りや 作業、自然やスポーツを明るい雰囲気で体験していた。 財政的には、出身地域コミニュティが負担していると聞いた。 「今後、青年たちが、犯罪者となっても、私たちが面倒を見ることになるのです。傷つく人 が生まれ、刑務所に収監してもお金がかかります。それよりは、今、予算を組んで、よき人 間関係と体験を通しポジティブに生きる道が開かれれば、その方がずっといいですよね。」 と言っていた。
親だけが、子どもを支えるのではなく、社会が支えるという理念が当たり前のように活きている!と感じた。
青少年だけでなく、ひきこもり「80 歳―50 歳状況」が広がりつつあるわが国で、自己努力と家族の協力の強調だけでは、何の解決もないだろう。 青少年のための社会的サポートの充実とともに、大人世代についても、公のサポートを全国で構築することが求められていないだろうか。 わが国でも、地方によって、居場所や相談場所を作り創造的に活用するなどの実践を聞く。 これから、創造的で暖かい公のサポートが全国で展開されることを期待する。
憲法が保障する、「健康で文化的な最低限度の生活」には、ひとり一人が交流しあい存在 が認めあえる暮らしができることが含まれる。 そう考えることが当たり前になり、「自己責任」だと叫ぶのが恥ずかしくなる社会にして いきたいと思う。
初出:「手をつなごうみんなが安心できる暮らしネットワーク」2019.5.31 より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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