国債と原子力発電のなんと似ているlことよ
- 2011年 5月 7日
- 交流の広場
三流技術屋は昔を思い出す。理工科学生相手の簡単な哲学の授業であった。教師はあるとき手のひらに扇子を取り出し、もったいぶってこう言った。「そもそも、この扇子は人類の発生前には存在はない。」と唐突に切り出した。存在論の始まりだった。うーんけだし名言だったと今にして思う。
人間が“欲しい”と思わない限り、石器から宇宙ロケットなど人による工作物は存在しない。あたりまえの前である。
「原子力が必要だと思う世界」から原子力はなくならない。「原子力は不必要だと」考えることから知恵を生み出すのだ。
いまは、なぜかくも普及したか? 原子力発電は「国債だ!」と思うに至る。
歴代政府はどんどん国債を発行して欲しいものを作っているうちに、不必要なものまで借金で補なってきた。飛行場、大きな架橋。国は返せそうもない大借金を作り上げた。甘い酒に酔ってしまった。
巨大負債を後世に残してゆく。今やソブリン・クライス寸前といわれている。一方、電力は産業の飯、クリーンで便利なエネルギーだと、化石燃料だけでは足んなくなった。一基、二基と原子力発電を作っては電力を補給してきているうちに54基、その豊富な電力に国民は慣れてしまった。不必要なことに電気をどんどん使って、その危険な負の財産を維持し共に後世に処分を任そうとしているのである。
今や、国債なしは極めて難しい、しかしプライマリーバランスを保とうと国民は最小限、思う必要あるのだ。減らさねばならない。
消費電気を減らそうも難しい、必要でないと思わないかぎり原子力は無くならならい。エネルギーバランスの感覚が頭の中に存在させよう。 今日、54基の内16基は停止状態だ、まずこれで我慢できるうちに手を打つことだ。先日、ロシアから富津の港に液化ガスが届いたという。高温ガスと水蒸気のタンデム発電の燃料だ、効率は50%を超えているのだ。しばらくはこれだ。
富津・東電はしかるべき手を持っている。原子力に安易に頼るな!「原子力は必要ない」と・・パラダイムを変えるのだ。
国債の愚と原子力の愚、かくも似た愚を一刻も早く修正しないと国が危ない・・。
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