大和左彦氏の長歌『日の本東なゐふる』に応じ実を語る
- 2011年 5月 10日
- 評論・紹介・意見
- 海の大人
連休中に大和左彦氏から『日の本東なゐふる』と謂う長歌の連作と『「福島原発 暴発阻止行動 プロジェクト」結成へ向けて』と謂うチラシのお手紙を戴いた。反応せよ、と謂うお話しであるので、感想方々、お手紙にお応えする東日本大震災及び福島原発事故についての「実」のある感慨を陳べて置きたい。
1、長歌とは万葉集などにみられる古い形式の詩である。五、七のリズムを刻んでそれを三回以上繰り返し、想いを表出しつつ定めていって、定める事で一転、反歌で纏めたり、接続言辞を新たに提出する詩である。当然、連作と謂う形で少しづつ想いを発展させていく事も当たり前の文芸表現である。
文学は好きだが、文学者で無い私などからすると、人が言語をつむぎだしていく過程で必然的にたどらなければ為らなかった、「発声が語を生み出した」後の、「語が連続して発声される事による「発語スタンダード」と「聴き耳スタンダード」形成過程での歌謡詩」であろう。だから、声と耳で楽しむ物であって、陳べられている事は長くても少ない叙情と思いの痕跡なのであろうと思う。
2、だから、野暮な感想になることはご了解願いたい。
弥生13日と記されている長歌一は、地震と津波が「大和児の 田人町人 海人のおほみたからの 生く業を 毀ちにければ 御言葉を わご大君の・・・・・・聞かまほしきや 大和大君」と、天皇に励ましの言葉を聞かせてくださいなと述べて置いて、何故だか分からないが、反歌で「なゐふりて底津磐根をくだけれど 国産む力よみがへるらむ」と人民の底力を信じているのか、決意を陳べているのか、天皇と関係の無い流れが対置されている。
弥生17日から18日と記されている長歌二は、地震と津波の後の情景描写に続いて福島原発事故の深刻を指し、昭和天皇の御製「四方の海 皆はらからと 大御歌 詠ませ給ひぬ」に触れた上で外国からの救援を語っている。後段は詠嘆調の叙情そのもので「時しかも 望み待ちける 日の神の 日継ぎの御子の 胸内ゆ 地の湯のごとく 湧きいづる 御言葉のあり・・・・・・新しき 大和島根を つき固めむや」と左彦と右之彦の交感、山彦と海彦の交感、彦と乙女の交感の要に天皇を持ってきた上で、新しい国づくりの予感を述べている。そして、反歌ではまた、天皇と関係が有るのか無いのか、不明の形で「右左 言挙げしつつ善き国にせむ」と決意が語られているのである。
弥生19日と記されている長歌三は、反歌がない。恐らくは福島原発の水素爆発の後の情景で、ヘリコプターが原子炉の海水を掛けている様を天の磐船として、「もののふと てひとたくみの生命かけ たたかふあたそ 禍津火の神」と自衛隊員と警察巡査と原発現場工の賛美で閉めている。
弥生20日と記されている長歌四は、トップ官僚から見れば地下人(じげにん)の下請け労働者は徹夜で、命がけで消防と軍隊の助けを受けながら闘っているぞ、こんな時ニュースでは海外逃亡している都会のインテリが居る、逃げるなら逃げよ、日本人の勤めは何か、現場労働者と指揮者の原発事故封じを見守ることだろう。反歌は現場労働者の国民を救う闘いをインテリが居なくなったからと言って、忘れてなるものか、と謂う決意である。
卯月9日と記されている長歌五は、短いが面白い。「山津見の大神倒れ 磐長(いわなが)の姫傷つきぬ 父姉が痛みを痛み 木の花の咲くや姫なる 妹のかんばせにこそ かげりあるなれ」とは、火産霊(火の神・あるいはオオヤマツミノカミ=国津神の祖)倒れ、天孫族(ニニギノ尊の一族)は磐石の国土を傷つけたから永くは無いぞ、女系(の親姉妹)は痛みに泣いて居るぞ、狩られて散る桜のごとく、外戚の女の顔は影さしているではないか、と謂うほどの意味であろうか。反歌は「ニニギノ尊討ち給え」とは、ニニギとは誰か、討ち給えとはニニギをか、ニニギがかで当然ベクトルが逆になる。
3、この長歌五編は五編揃うか、四編とするかで味が随分と違う。全体として、地震、津波、原発事故を謳っているが、しかし、本質は天皇を対象とする呪である。
長歌一でこの災難に当って、天皇に「お聞かせ下さい御言葉を」と問い、3月16日夜、今上天皇がニュースなどでお言葉を発したと伝わると、長歌二でその良く通る声、明晰な発語、正しい日本語、過不足ない表現を評価し、長歌三で第一線で奮闘している人に焦点を当て直し、長歌四で官僚、インテリ批判に転じ、長歌五で再び天皇批判かどうか判らない神話歌謡に戻るのである。天皇とその一族には反発がある。しかし、明仁氏の今回の対応には批判が出来ない。屈折した、しかし、公平でありたいという矜持がうかがえる長歌五編である。自然(じねん)なまま文化的でありたいと願う精神性が良く伺われる。
恐らくは長歌五は天孫族にアメリカを重ねても居るのであろう。昭和天皇が皇道派に対する統制派を選択したこと、統制派も政党政治家も革新官僚も側近重臣派も皆捨てたこと、にも拘らず、マッカーサーはじめアメリカには一貫して阿っていたことを大和左彦が見逃している筈がない。しかし、昭和天皇は数百万臣民の命、明治以来の帝国の生命線、恐らくは二千万を超える外敵の命を生贄として差し出して、明治天皇制に代わる昭和(戦後)天皇制を無窮の国体として皇祖の前に再確立したのだ。これを上手く継承できず、今上が消極のまま、唐様で売り飛ばしかねない徳仁体制に引き継ぐことを懸念しているのは多分確かなことだ。
それが、東日本大震災を天佑として、昭和天皇制二代目として全う出来そうに為ったのだ。思えば、今上にとって、このたびは三度目の天佑である。
一度目は、「ひめゆり火炎瓶糾弾闘争」の事後処理問題として、二度目は阪神淡路大震災として、それぞれ、天皇と沖縄の関係の円滑化、「護憲天皇」失言即位問題隠蔽、に役立ってきた。今度は「祈る天皇」に祈る対象が出来たのだ。
この天皇にどの様に対処したら良いのか、わからない、と謂う心境がこの長歌五編には反映している。「大和児」と言い、「田人町人 海人」と言い、「民」と言い、「もろ人」と言い、「山彦、海乙女、海彦、山乙女、左彦、右之彦」と言い、「くにたみ、もののふ、ていとたくみ」と言い、「とこひと、みやこ火消し、博士、てひと」と言い、人民は見ることが出来るが、国体の中心はどの様に語ったら良いのか判らない、と謂うことである。
だから、どの様な呪なのか明確に出来ないのである。皇祖があるなら皇末も、皇断もあるのだ、と謂うことは言い切らなくてはいけない。「無窮」を謂うなら、「混沌」に至るのだぞ、と言い切らなければ為らない。
4、と謂うことで、少し残念な出来だが、音は良い。長歌が歌謡であったことを伺わせる気持ちの良い長歌である。
私なら、狂歌として実朝の歌を借りたい。
大海の磯もとどろに寄する波 割れて砕けて裂けて散るかも
東日本大震災に対して、ヒューマニズムの観点からだけしか、気分を表現できない近代人民諸君に私は憤懣がある。それは、しかし、またの機会に語ることにしたい。(了)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0450 :110509〕
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