はじめてのオランダとハンブルグへの旅(1)アムステルダムの建物って、なんだかみんな歪んで見える
- 2019年 7月 14日
- カルチャー
- 内野光子
半月ほど、ブログの更新を怠ってしまったのは、留守にしていたからだ。スマホを待たない、ガラケーにこだわっていたものだから、何かと不便を託つことにもなった。それに、連れ合いともども、出発の直前まで、目の前のことに追われて、たしかに準備不足ではあった。だから、思わぬトラブルにも遭遇し、ヒヤリとしたこともあった。
年も年だし、身の丈に合った旅行をと、今回の宿泊は、アムステルダム5泊、ハンブルグ4泊ということで、これまでより、なんだか、ゆったりはしていそうに思えたのだが、現実は、どうして、どうして、体力的にきびしい旅となってしまった。私たちにしては、訪ねたいけれどまだ訪ねていない国、オランダと歩いてみたい街、ハンブルグということになった。プランは、HISの欧州担当部門、去年と同じMさんに、旅行保険も姪のお連れ合いのお世話になった。
6月24日、小雨の成田の離陸はKLM082610時25分だったが、10時50分離陸。ともかく機内が異常に寒く、長袖の上着に、毛布をかぶっているようなお客も多かった。読むべき本も持っては行ったが、大して読み進めなかった。結局、わたしは「万引き家族」(2018年)「can you ever forgive me」(2018年)という映画を見た。前者は、すでに話題にもなった、カンヌ映画祭パルムドール賞受賞作で、日本社会の底辺に生きる人たちが寄り合って暮らす様子が丁寧に、ときには明るく描かれるが、その背景となる非正規労働者、年金生活者、虐待を受ける児童らの深刻な社会問題が、映画の中でも何一つ解決されないまま、家族のようだった彼らが離散して、映画は終わる。同じ是枝監督の「誰も知らない」(2004年)の系列に入る作品だった。後者は、映画評の記事などでも記憶にない映画だったが、「あらすじ」を見て、覗いてみた。なかなかの味のある作品だった。帰宅後調べてみると、「ある女流作家の罪と罰」との邦題で、アメリカの伝記作家リー・イスラエルの自伝「can you ever forgive me」(2008年)を原作としていること分かった。記憶にないのは、それもそのはず、日本では劇場公開が見送られた作品だったのだ。イスラエルは、1960~70年代に、伝記作家として脚光浴びていたというが、あることがきっかけで、落ちぶれ、暮らしに困るほどになって、作家たちの手紙の偽造をしては、稼ぐことを覚える。しかし、やがて、相棒と共に犯罪は発覚して、裁判となるが、立ち直りのきっかけを見せて映画は終わった。監督はマリエル・ヘラーといい、主演はメリッサ・マカーシーといい、私には未知の人であったが、思いがけない映画との出会いだった。
アムステルダム、スキポール空港、午後3時25分着。入国審査の行列が半端ではない。40分以上かかったのではないか。担当を増やす気配もなく、なんかマイペースでの仕事ぶりに見えた。ともかく無事、荷物を受け取り、オランダ鉄道でアムステルダム中央駅へ、約16分(4.5€)。ホテルは、駅前のビクトリアホテルの裏手、警察署の前のインテルホテルだった。警察とホテルの間のカフェのパラソルがならび、すでに大勢の人たちが、おしゃべりを楽しんでいるようだった。
アムステルダム中央駅(ペトロス・カイパース設計 1889年)、その姿が、東京駅(辰野金吾設計 1914年)に似ているというが、こちらの建設の方が早い。
中央駅反対側は、すぐ入り海となる。さすがに自転車王国の光景がまず飛び込んでくる。左遠方には自転車置き場というより、放置自転車なのか山積みになっていた。
一休みして、まず、歩いても行けるダム広場に向かった。大変な賑わいの上に、大道芸人のパフォーマスにも人だかりができている。中央の白い塔は第二次大戦犠牲者の慰霊塔という。街を歩いていて、なんかおかしいのは、4・5階の建物がぎっしり並んでいるのだが、わずかながら、右左に傾いていて、すき間が歪んで見えるし、建物自体がこれも少しばかり前のめりに傾いているのだ。このわけは、翌日のガイドさんの説明で氷解することになる。
中央駅とダム広場を結ぶ、ダムラック。もう、7時は過ぎているのに、あまりの暑さに、人々の多くは日陰の歩道を選ぶ。この季節、あちこちの店でセールが行われ、靴屋さんがやたら目についた。歩道の途中にはご覧のような幅広のベンチが設置されている。
ダム広場戦争犠牲者慰霊塔の前で、暑い中スーツ姿で記念写真におさまる団体にも遭う。
夫が、出発前に調べてきた、評判のレストランがあるからと、地図と番地をたよりに探し出すのだが、見つからない。貸自転車屋さんに、チーズ屋さんに、通りがかりの人に尋ねると親切に教えて下さるのだが、スマホなどを見て、「次の通りを右に曲がって」「次の次の道を入ってすぐ」などのはずが、見当たらない。もう、夕食はどこでもいいと私が音を上げると、夫は本屋さんのレジの人に訊ねてきて、「すぐそこだって」と、ようやくたどり着く。 なるほど、地図を見ると、アムステルダムの街は、くもの巣のように、運河と共に扇形状に広がっているので、一歩間違えると、私たちには迷路となってしまうのだろう。
上は、おしゃれなチーズ屋さん。若い人でにぎわうのは、下のような、こんな店らしい。
ようやくたどり着いたハーシェス・クラース、この辺りの建物も、その境目が少し傾いている。
私は、豆スープとサーモンのステーキ、夫は牛のステーキと名物のコロッケをシェアするということだったが、そのボリュームに仰天、またやってしまったという感じで、かつての経験から学習していないことになる。山ほどのフライドポテトがついてくるのも忘れていた。料理は、一皿をシェアしても私たちには十分のような気もする。もったいないことをした。
王宮、一時ナポレオンの弟が住まいとしていたことで、そう呼ばれるらしい。現代のオランダ王室はハーグに住んでいる。右手が新教会。日本では、そろそろ、報道ステーションが始まる頃なのに、まだ明るい。午後9時50分。
初出:「内野光子のブログ」2019.07.09より許可を得て転載
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〔culture0825:190714〕
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