参院選を、年金・税制一新の市民革命の機会に。
- 2019年 7月 15日
- 評論・紹介・意見
- 大衆運動澤藤統一郎生存権
第25回参院選をちょうど1週間の後に控えての7月14日、フランスの革命記念日である。230年前のこの日、民衆がバスチーユを攻撃した。ルイ16世は側近から、「陛下、これは暴動ではありません、革命でございます」と聞かされたという。
当時の日本は、元号でいえば寛政期。松平定信が幕府の老中首座にあって、「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」などと煙たがられていた。その頃に、ヨーロッパでは民衆の蜂起が成功して自由と平等を理念に掲げる近代市民社会が生まれた。
7月14日に何があったか。学び舎の中学教科書「ともに学ぶ 人間の歴史」からの引用が最も適切であろう。
バスチーユを攻撃せよ-フランス革命-
《自由と平等を求めて》
1789年7月14日,パリ(フランス)の民衆が,バスチーユ監獄に押しよせました。武器・弾薬を引きわたすように,ここを守る司令官に要求しましたが,拒否されます。人びとは,はね橋を下ろしてなだれこみ,激しい銃撃戦のすえバスチーユ監獄を攻め落としました。監獄には,国王の専制政治を批判した人が捕らえられていると考えられていました。
同じころ,農村では,年貢の引き下げを求める一揆が起こってました。バスチーユでの勝利は,フランス全土に伝わります。農民たちは領主の館に押しかけ,土地の証文を焼いたり,火を放ったりしました。
国王ルイ16世は,5月に,身分ごとの会議を開いて,増税を決めようとしました。これに対して,平民代表は,「白分たちこそが,国民を代表している」と主張して,国民議会をつくりました。さらに,16世がこれを武力でおさえようとしたため,人びとはバスチーユを攻撃したのです。こうして,フランス革命がはじまりました。
《国民の権利,女性の権利,黒人の権利》
国民議会は,重い年貢を取り裁判権をにぎって,農民を支配していた領主の特権を,廃止しました。そして,自由と平等,国民主権をうたう「人権宣言」を発表しました。さらに,教会の領地や,国外に亡命した貴族の領地を,農民が買い取れるようにしました。
革命に参加した平民には,豊かな商工業者や地主と,貧しい人びとがいました。貧しいパリの民衆は,パンの値上がりに抗議し,政治への発言権を求めて,地区の集会を開きました。女性たちを先頭に、7000人が「パンをよこせ」と叫びながら、ベルサイユ宮殿まで行進しました。1792年には、民衆が王宮を攻撃し、王政を廃止させます。
そして、21才以上の男性のすべてが選挙権を得ました。しかし、女性には選挙権は認められず、政治集会への参加も禁じられました。劇作家のオランプ=ド=グ-ジュは、「女性の権利宣言」を発表し、「女性は生まれながら自由であり、男性と同等の権利をもつ」と、第1条に掲げました。グ-ジュは、黒人の地位にも関心をもち、フランス植民地だったハイチでの奴隷制度に反対する劇を上演しました。
《皇帝になったナポレオン》(略)
欄外に幾つかの資料や写真・書き込みがある。
◆まず、人権宣言の要約が次のように掲載されている。
第1条 人間は生まれながらにして、自由で平等な権利をもつ。
第2条 すべての政治的な団結の目的は、自由・所有・安全および圧制への抵抗の権利を守ることである。
第3条 すべて主権は、本来、国民にある。
第11条 思想・言論の自由な発表は、人間の最も尊い権利のひとつである。
◆革命前の3つの身分
聖職者・貴族・平民の3つの身分があった。革命前は,わずか2%の聖職者と貴族が,領地と農民を支配し、さまざまな特権をもち、税も免除されていた。
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さて、問題は、他人事ではない。今の日本である。フランス革命以前のアンシャンレジームとなんと似通ってはいないだろうか。
今の日本は、一方に大企業・富裕者と、その取り巻きがあり、その対極に格差貧困に沈みつつある経済弱者がいる。この固定された階層秩序は、身分制の桎梏と変わらない。
大企業・富裕者は、この社会を支配し、さまざまな特権をもち、特権的な優遇税制の利益を享受しているではないか。だから、事態は次のように語られるものとなる…のではないか。
首相官邸を攻撃せよ-2019年金・税制革命-
《経済的平等と生存の保障を求めて》
2019年7月21日,日本中の民衆が,一斉に投票所に押しよせました。人びとは、消費税の値上げに反対し、人生100年を安心して過ごせる年金を要求してきましたが、権力者アベに拒否されます。
そこで、人びとは各地の投票所になだれこみ、熱い思いで投票用紙に反アベの候補者と政党名を書き込むことによって、増税をたくらんでいたアベ官邸を攻め落としました。この日、アベは、側近から「これは、単なる選挙の敗北ではありません。革命が起きたのです」と聞かされたと言います。
アベ官邸には,この社会の格差を押し広げている、大企業・富裕者の代理人たちが、百鬼夜行さながらに棲息していると考えられていました。
同じころ,農村でも漁村でも商店でも税や年金の改革が叫ばれ、同時に会社や工場では、賃金引き上げを求める運動が巻き起こっていました。首相官邸陥落の報は,たちまち日本全土に伝わります。各地で、デモやストや、民衆の集会が続きました。そして消費税増税は阻止され、さらに消費税そのものが廃止されました。大企業や富裕層の特権はすべて取りあげられ、累進制に基づく真の応能主義が貫徹されることになり、国会は、自由だけでなく、経済上の実質的平等,政府に対する格差貧困撲滅の義務をうたう「新人権宣言」を発表しました。
この活動を通じて、革命に参加した人びとは、自分たちがこの国の主人公であることを強く自覚し、自らの手で税制も年金の設計も行うようになったのです。
こうして、フランスに遅れること230年にして、日本にも、自由・平等・博愛・福祉をスローガンとする革命がなし遂げられました。230年前には、王ルイ16世も王妃マリーアントワネットも、民衆の怒りによって断頭台の露と消えました。しかし、2019年の日本革命では、そのような野蛮なことは行われず、民衆はアベとその妻をよく説諭し、改心した夫婦にはきちんと年金の保障もしたということです。
(2019年7月14日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.7.14より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=12958
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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