はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(2)運河を渡り、運河に沿って
- 2019年 7月 15日
- カルチャー
- 内野光子
アムステルダムのホテルの私たちの部屋には、バスタブがなくシャワーだけだった。5日間の滞在、少しきびしいかなとの思いがめぐる。細めのベッドのツインだが、体格の良いヨーロッパの人たちにはどうなんだろうとも思う。とにかく、KLMのパーサーたちも、列車やトラムに乗っても、天井に届くほど、とてつもなく背が高い男性たちが多いのに驚いてしまった。
きのうから、わずかながら街を歩いて気づくのは、街並みは、美しいのだけれど、路面が汚い。煙草の吸殻は、散らばっているし、ごみ箱はあふれているし、朝のごみ集積所の散乱ぶりは、目を蔽うほどのところもあった。これは後から分かったのだが、犬や猫の仕業ではなくて、カモメが荒らすらしいのだ。ホテルでも、朝早くから子供が騒いでいる声にも聞こえてびっくりしたのだが、カモメの鳴き声だった。
2日目の午前中は、旅行会社を通じてガイドさんをお願いしていた。9時30分、ビクトリアホテル前での約束だった。アムステルダムに住んで10年というMさん、日本人女性だったので、正直、ほっとした。わかりやすい説明と、私たちのつたない質問にも丁寧に答えてくださるのだった。
中央駅から、水門を経て、建設が古い順に、運河を渡っていきましょうと、ときには運河沿いの建物に沿いながら、運河一つ一つの特徴を解説してくださるので、その時はなるほど聞きながらも、あとから写真を眺めてみると、どこがどれだったか怪しくなってしまうのだ。アムステルダムの運河は、港を起点に、同心円状に、いくつもの運河が建設されて広がり、それを横切る形の橋と道路ができて、くもの巣状の街になっている。アムステルダム、ダム広場の「ダム」は、せき止めるの「ダム」なんですよ、とも。わたる橋からの眺めは、運河と共に両側の建物とに新緑のニレの並木が見通せて、絵になる構図である。運河沿いの細い道に入っても、必ず自転車道があるので、うっかり歩道をはみ出すと危ないことになる。
赤い丸が、Mさんと回ったところ、四角で囲った美術館・博物館などは、自分たちで回った。
運河が交差するところ。橋の欄干には、自転車がチェーンで結ばれていることが多く、駐輪場にもなっているようだ。
対岸の建物を見てくださいと、Mさんがいう。両側から前に傾いているのは、下から見上げて大きく見えるということもあるらしい。現実的には、かつて「間口税」というのが課せられた市民は、入り口を狭く、奥行きの深い家を建て、窓は大きくして、引っ越しや家具の出し入れに、使ったという。階上に釣り上げるために、屋根のてっぺんに、丈夫な柱、突起物をしつらえ、そこに滑車をつけて、荷物の上げ下げをした、ということらしい。さらに、横に傾いたり、建物の間が歪んでいるのは、まさに地盤沈下のためらしく、きのう、街を歩いて気づいた建物が歪んで見える謎が解けたことになる。
窓に赤い扉をつけている建物は、もと倉庫で、現在はフロアを仕切って、マンションのように、何世帯でもって使っている。そして多くの建物には、半地下の部屋があり、そこは使用人を住まわせていたという。運河は、人口増加に対応して、埋め立て地を拡大するごとに 運河は、シンゲル、ヘイレン運河、プリンセン運河が次々と建設されたのは16世紀から17世紀、商人たちは競って、立派な家を建てた。現在でも、運河沿いに住まいを持つことはステイタスのひとつであるという。
運河両岸の船は、遊覧船でもなく、運搬用の船でもなく、「ハウスボート」と呼ばれ、立派な住宅なのだそうだ。地上に家が確保できなくてと、ということでなく、それぞれの船内は、一般の住宅と同じようにインフラも整い、というよりは、いろいろな工夫がなされ、船上に、テラスや庭のようなものを作ったりして、むしろ、富裕層が多いというのだ。係留のための更新手続きもあって、安全点検のため、役所までえい航されるという。市内に2500隻(軒)くらいはあるという。
そんな「ハウスボート」のひとつ。対岸の白い建物は、石造りであって、多くはレンガ造りの中で際立っているが、市内では石を産出しないので、遠くから取り寄せての建設なので、これも、当時の資産家の証なのだそうだ。市内には「ハウスボート博物館」もあるが、訪ねてはいない。
プリンセン運河沿いにある「アンネの家」、見学は、参観者が多く、今はすべて予約になったという。かつては早くから並んで入館できるシステムもあったらしいが今はない。後ろに見えるのが西教会で、確証はないが、レンブラントが埋葬されているという。彼の晩年は、かなり悲惨なものだったらしい。
パンケーキがおいしいお店、地元の人も通う、オランダ語で「店」という名の店だとのこと。再訪はできなかった。
チョコレートがおいしいお店とのMさんの言葉に、思わず、今夜のおやつにと、わずかばかり買う。
この日、「アンネの家」を訪ねた後、ガイドのMさんと回ったところは、
新教会、王宮、ダム広場、市庁舎、ワーテルロー広場、マヘレの跳ね橋、レンブラント広場、ムントの塔、シンゲルの花市。
新教会、元は、カトリック教会だったのが、カルヴァン派の教会に改修された。
壁画などの装飾は消されたりして、質素な教会になったが、このステンドグラスだけは残された。
古くからの高級デパートの由、ダム広場の近くにカナダのデパートが進出したが、苦戦しているという、Mさんの話だった。
市役所、隣が歌劇場。茶色い壁に掲げられた白い紋章は、アムステルダム市の市章で、中央の「×××」は、市内のあらゆる公共施設、ホテルやごみ箱まで、この印があふれている。「アンドレの十字架」といわれ、アンドレは、十ではなく×の形で磔になったことから名づけられた。町を火事・洪水・ペストから守る象徴にもなっている、とのことだ。
レンブラント広場のレンブラント銅像とレンブラント作「夜警」を群像化したもので、生誕400年を記念して作成された。ただ、絵画の「夜警」よりこれを先に見てしまったのが、少し残念な気もする。
市役所の向かいのワーテルロー広場でのぼろ市、「ドロボー市場」とも称されることもあるらしい。近くはかつてのユダヤ人街であったが、アムステルダムではナチスの時代でも、ゲットーは造られなかったという。後日、近くのユダヤ歴史博物館を訪ねることになる。
ムントの塔、1692年フランスの侵略によって、ここがムント=貨幣、の鋳造所になったことから呼ばれるらしい。もともと城壁が続いていたが、その名残でもあるという。
シンゲルの花市、チューリップの球根でも買っておけばよかったと後悔する。
ガイドさんには、予定より1時間近くもオーバーして、悪いことをしてしまった。遅い昼食だったが、Mさんをお誘いして、「ルクセンブルグ」でクラブサンドイッチを食し、わたしはホットの紅茶とジュースで、一息ついた。時間切れで、コースにあった名物のコロッケも食べそこないましたね、とMさん。そのあと、私たちは、トラムでゴッホ美術館に向かうことになる。
初出:「内野光子のブログ」2019.07.13より許可を得て転載
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