テント日誌7月28日
- 2019年 8月 1日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
参院選挙の話でもりあがる 7月23日(火)
今日は一日曇りと言う予報だったけれども、地下鉄から地上に出る階段はすさまじく雨に濡れていた。幸いに傘を差すほどではなく、事務所から座り込みセットを台車に積んで経産省前に到着すると薄日が射してくる。
暫くしすると、品川在住のM氏が久しぶりに現れる。かつてテントの泊り番で来ていたM氏とは何年かぶりの再会、体型が変わったようで相当に印象が異なり、3・11からの時間の流れを感じる。1時過ぎて財務省方面から陽が射してきて、降雨対策の傘が日差し対策に代わって、日曜日の参院選挙結果についての話題で盛り上がっているところに、3週間前に入院した知人が、転院して手術を受けることになった、と聞いて3時過ぎて交代のKさん、Aさんが来たところで電車に乗って入院先の病院に見舞いに行く。7・27の偲ぶ集いが迫り、その準備で日誌の送信が遅れてしまった。(O・E)
阿武隈会の裁判次は7月31日(水)である 7月24日(水)
バスを降りて事務所に向かう11時頃から雨がポツポツ降ってきた。事務所で準備をしていると相棒のIさんが車で来てくれた。偲ぶ集いには行けないので、と言ってお酒を三本持ってきてくれた。新宿辺りはゲリラ豪雨で大変だったそうだ。雨がかなり降ってきたので雨具を持って早めに経産省前に向かった。経産省前に着いたら急に晴れてきて雨は止んできた。ただしここもかなりの雨が降ったらしく水溜まりがいくつもできていた。晴れ間が急に拡がってきて太陽光線が痛いほどであった。
雨が降ったあとなので湿度も非常に高くダブルパンチをくらったように体に堪えた。氷水を用意してきて良かった。正に命の水である。寄ってくれた人全てが美味しそうに飲んでくれた。準備を終えて間もなく常連のMさんがやって来た。今日は阿武隈会の裁判があり傍聴してきてお昼休憩なので寄ってくれたとのこと。午後は3時半まで引き続き原告の証人尋問とのこと。しかし今日の傍聴者は半分程で少ないとのこと。ちょっと残念である。
彼は午後1時過ぎに裁判所に出掛けたが2時半過ぎに帰ってきた、証人尋問が予定より早く終わったのだ。次回は7月31日(水)午前9時半からだそうだ。最後の証人尋問だそうで是非多くの人の傍聴をお願いします。私も午前中の一時間だけ傍聴してからテント当番に入ります。(保)
何時になく賑やかだった 7月25日(木)
10時半からの「安保法制違憲訴訟・国家賠償請求」第11回口頭弁論を傍聴して経産省前へと急ぐ。12時10分前に到着するともうすでにYさんが準備を始めていた。梅雨は空けたのだろうか青空が見えるが、蒸し暑い。
汗をかきながら準備が終わると先週から来ているMさんが現れて通行人に原発反対を途切れなく呼びかけていた。12時過ぎ何人かの人が裁判の報告会に行く前に寄ってくれた。そして久しぶりに自転車のOさんが来てドーナツを差し入れてくれ、しばらく勝爺と話し込んでいった。
たんぽぽ舎ボランティアのY子さん、毎週来て下さる英語の先生など2時半過ぎまでは何時になく賑やかだった。2時半ごろ公務員連絡会の人たちが「賃金を上げろ!待遇を改善しろ!」などのシュプレヒコールを上げながらデモして行った。私が東海第二のそしてYさんがテントのチラシを配った。
全国から来ているようでデモは延々と続いていたので私は最後を待たずに帰路についた。(I.K)
月例祈祷会{死者の裁き}も盛り上がった 7月26日(金)
朝起きた時から空はピーかン。いやーこれは暑くなりそうだと覚悟したが、半袖では真っ黒に日焼けしてしまうので長袖シャツをリックの中に入れて出かけた。
2時ごろJKS(日本祈祷団四十七士)のメンバーが挨拶に来た。2時半ごろから準備をし、3時から祈祷会を始めるとのことだった。
彼らは叫ぶ。「3.11東日本大震災以降に無念の犠牲者の方々を深く悼むとともに、地震と津波と原発事故によって明らかにされた無謀な原子力行政を反省もなく繰り返そうとしている政財界の愚かさを、死者と共に正していかねばなりません。」と、「脱原発の聖地・経産省前ひろばにおいて、聳え立つビルに向かって一緒に太鼓を撃ち鳴らし死者・神仏と共にご祈念いたしましょう。」と呼び掛ける。座り込みの参加者も太鼓を借りて力いっぱい太鼓を撃ち鳴らした。最後にテントを代表して三上さんが語った。
参議院選挙が終わり、改憲勢力は2/3を割ったという事実を認めようとしない安倍、改憲に対する国民の関心がほんの数%であり明らかに改憲ノーという国民の意思を無視して、改憲論議を呼びかける安倍、この破廉恥な安倍に対して痛烈な批判していた。
4時からはいつも通り文科省前での朝鮮学校にも無償化を実現せよと訴える金曜行動に参加した。夏休みになり高校生や大学生はお休みで、オモニやアボジ、日本の支援者で抗議を続けた。日本人や文科省の官僚たちがいかに朝鮮学校のことを知らないかが訴えられた。税金だけは有無も言わせずしっかりと徴収しているくせに、当然の権利である無償化からは外されている不合理を訴える。国家が率先してヘイトをしていること。本当に許せない。(S・S)
「偲ぶ集い」目前の慌ただしい抗議行動 7月26日(金)
案の定、気象庁の予報が外れて、暑い太陽の光を浴びながら座り込み。チラシまきも暑さゆえか、受け取りが悪い。
経産省前抗議では、問題憲法改憲問題、原発続ける経産省、原子力緊急事態宣言下のオリンピック開催問題、オリンピックやめろ集会・デモ報告、キュリー夫妻・娘夫婦の被曝問題、東海第二審査請求規制委逃げまくり問題、…、…などのアピールと「座り込めここへ」などの歌と抗議コールが続いた。
片付けをHさんと久方来訪Mさんにお願いして、首相官邸「裏」の抗議行動で「安倍は止めろ」と叫んだあと、事務所に戻るとYさんとRさんが明日の資料袋詰めを終わらせたばかり。お疲れ様。明日は渕上・正清を偲ぶ。
(K.M)
蝉のコーラスと夏の座り込み 今年もまた 7月27日(土)
蝉のノックが効いたのか梅雨明け前なのに夏が来てしまったような青空と白い雲。久々のコントラストが目に染みる。蝉の「シーン」という耳鳴りのようなコーラスが絶えることなく続く。それはまるで静寂の音のようだ。また夏の座り込みが始まる。(O・O)
盛会だった、「渕上、正清を偲ぶ集い」 7月27日(土)
台風が近づいていて雨がと心配されていたが、どちらかと言えば蒸し暑いような一日だった。会場前では時間前から多くの人が集まり、久しぶりに会う人は笑顔でエールを交わしていた。今日は渕上太郎、正清太一を偲ぶ集いである。渕上は3月に、正清は4月に旅立った。二人への敬愛とその出会いに感謝を抱く人も多く、またれていた「偲ぶ集い」だった。
思えばテントを張っての経産省前での抗議行動はもうじき9年目になる。渕上と正清はテントの代表であった。経産省から訴えられ、何千万円からの賠償金を課金された。それにふさわしいような闘いをやったし、その意味で代表だった。テントに集まった人から畏敬され、慕われた。誰が言い出したのか、テント村の村長はふさわしいものだった。これは渕上に対するものであったが、同じような名称があれば正清にもつけられたであろう。その意味で彼らは代表だったのだ。
この会はテントに参集しながら、私たちが野辺送りをした人たちへの黙祷からはじまった。渕上、正清をはじめ15人を下らない人たちを送った。思えば、私たちは何と多くの人を野辺送りしながらこの脱原発闘争をたたかってきたことか。渕上と正清を偲び、追悼をすることは、鬼籍に入った多くん人たちへの思慕や追悼もふくめて、彼等の存在とまた共に闘ったことを確認することだった。死は厳然たる事実であり、僕らは死者と会うことはできない。過ぎさった過去に出会えないように。だが、死者も過去も記憶の中で生きている。人は記憶を介して死者と共存し、過去を現在とする。記憶は不思議なものだが、人間の生の重要な要素だ。彼等を偲ぶことは記憶をよびさますことであり、そのことで彼等を彼等とおもにあった過去を現在化することだ。
この「偲ぶ集い」は一部と二部に分かれていたのだが、在りし日の渕上や正清の思い出が語られた。その中でもテントを創っての闘いのことが多く語られたのは当然だった。今日は経産省前のテント闘争を契機に彼等と出会った人が多く参集したのだから。一部ではこの会の呼びかけ人になられた方の発言が中心だったが、実に多くの人たちが多方面から彼等の人柄や出会いについて披瀝された。二部は一部と違う形式をとったが、ここでも多くの人が彼等について多くを語った。僕は彼等とは長年の付き合いではあったが、初めて来たようなこともあり、おどろいた。この発言を紹介したいのだが、長くなるので映像や動画で見て欲しいと思う。幸いにもこの会については映像や動画が残されている。
これを見ていただきたいのだが、渕上や正着はテントという存在に不可欠な存在だったことをあらためて思い知られるものだった。またテント行動についてもその意義が確認された。当事者は渦中にあれば、自分のやっていることはや借りにくいものである。これはテントについてもいえることだったのだが、今は少しみえるようになってきているといえる。 (三上治)
今日は昨日の疲れで爆睡してしまったが 7月28日(日)
今日もまたF原さんは自治会のことで遅れるよし、K村さんは風邪らしく、遅刻魔のはしゆきがまたも準備を任されました(やめてー)。11:40事務所前ではT久さんがとっくに来て待っていました(T久さんは事務所の鍵を持っていません)。わたしが一人で支度をすると聞いて、心配して来てくれたのです。
慌てて支度。T久さんはパワフルで、一人でガンガン荷物を降ろしてカートに積み込んでくれます。わたしは冷水の用意をしただけ。
12:00ちょうどに経産省前に到着、自転車部隊のお二人が待っていてくれて、直ちにいす・パラソル・テーブル・幟とバナーをセッティング、記念写真。(そうそう、白地に黄色文字のNO NUKESバナーは文字が少しはがれ始めています。T中さんへ。)。待つまもなくF原さんがおにぎりとゆで卵を携えて登場。
自転車部隊のお二人が帰ると、次に見えたのが大阪のI岡さん。下駄Kさんのお友達で、福島県で原水禁集会に参加した帰りだそうです。テント撤去後は今日が初めてだそうです。色々な活動をしている方のようで、たくさんお話しました。
それからサッシーさんが暑さにめげずに登場。この方は本当は夏が苦手なのですけれども。東京ではセミがミーンミーンと鳴くということが話題になりました。西の方ではクマゼミなのでシャワシャワシャワシャワと鳴くそうです。
そしてレジェンドMさん、長老M上さん、ラストがN瀬さん、であるらしいです。実ははしゆき昨日の疲れで後半ずっと椅子の上で熟睡していたので、その後どんな会話がなされたのかまったくわかりません。片づけはまたT久さんがパワフル満開でやってくれました。何しろ折りたたみ椅子を一度に6つも7つも持ち上げてしまうのです(すごい、絶句)。(はしゆき)
片づけ後は事務所で、N瀬さんの入れるコーヒーでいつも通りコーヒータイムをしました。
::::::
8月2日(金)経産省前抗議行動 17時~18時 官邸前抗議行動(首都圏反原連) 18時30分
8月3日(土)は「アベ政治をゆるさない」の一斉掲載日
国会正門前でも13時から行います。
8月3日(土)新宿・夜デモへの案内 是非参加を 「とめよう!東海第二原発 首都圏連絡会」では8月3日(土)夕刻から、新宿駅東口アルタ前広場を出発し、新宿駅周辺をまわる夜のデモを呼びかけています。そこで今回で3回目のデモは、初めて新宿で「東海第二原発をとめよう!」と訴えることになりました。 夏休みの夕刻の新宿駅周辺で、若い方々に向けて、東海第二原発の危険性を訴えましょう。皆さんのご参加を呼びかけます。テントひろばも賛同しています。(I・K)
【8.3新宿・夜デモご案内】 名称:とめよう!〈首都圏原発〉東海第二原発8.3新宿・夜デモ (通称:8.3新宿・夜デモ) 集合:8月3日(土)17:30 場所:JR新宿駅東口アルタ前広場 コース:新宿駅周辺 約50分 17:30 アピール 18:15 デモ出発 19:10 デモ終了・流れ解散〈四季の道(ゴールデン街入口)〉 19:30 懇親交流会(希望者) 8/7(水)2つの抗議行動にご参加を!
1.とめよう!東海第二原発 20年運転延長・再稼働ゆるすな!
日本原電本店抗議行動
日 時:8月7日(水)17:00より17:45
場 所:日本原電本店前(住友不動産秋葉原北ビル 台東区上野5-2-1)
銀座線末広町駅4番出口より4分
共 催:再稼働阻止全国ネットワーク TEL 070-6650-5549
とめよう!東海第二原発首都圏連絡会
2.「第71回東電本店合同抗議」
東電は福島第一原発事故の責任をとれ!
日 時:8月7日(水)18:30より19:45
場 所:東京電力本店前
呼びかけ:「経産省前テントひろば」070-6473-1947
「たんぽぽ舎」 03-3238-9035
賛 同:東電株主代表訴訟ほか134団体
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。