中国憲政自由主義者は自由を如何に使うのだろうか――張博樹『新全体主義の思想史』と劉暁波『08憲章』の盲点――
- 2019年 9月 13日
- スタディルーム
- 岩田昌征
外国大使館の旧所有者への返還・再私有化
ある研究会で何十年もチェコ史を研究している人の話を聞いた。体制転換後、国有化された私有財産の旧所有者への返還が断行された際の一つのエピソードである。プラハの日本大使公邸が元所有者に返還された。新家主は公邸で長らく女中さんとして働いていた一女性であった。女中さんから家主へと日本大使との身分関係が一変したのである。
私=岩田の経験でも、ワルシャワのアメリカ大使館前で十数人の人達が抗議集会を行っているところを目撃した。21世紀に入って間もなくの頃だったと思う。どうも政治的な反米デモではないような雰囲気だった。調べてみると、チェトヴェルティンスキ公爵家の一族がアメリカ大使館の敷地は自分達の宮殿が建っていた自分達の土地だと主張して、返還(再私有化)を迫ってやっている、ポーランド政府へのいやがらせ示威行動であったらしい。返還要求が裁判所で承認されると、ポーランド政府は、アメリカ大使館に退去を求め、その土地を公爵家に返還するか、それが不可能ならば、代替地を差し出すか、市場価値に従って金銭的補償をするしかない。
王家財産の再私有化
資本家や貴族のレベルからより上位の旧王家への財産返還・再私有化の問題を一見しておこう。
2015年9月にベオグラード高裁は、ユーゴスラヴィア王国の最後の国王故ペータル二世の名誉回復を決めた。1947年以後にチトー体制の下で没収・国有化された宮殿、邸宅、家具、芸術作品、土地等が王族に返還される道が開かれた。その決定以前、NATO大空爆をきっかけに、ミロシェヴィチ社会党政権が打倒されて、「民主化」されると、セルビア王家の本家は、旧王宮、いわゆるBeli Dvor (白い宮殿)に居住する事が許されていた。しかしながら、旧王宮の所有権はセルビア共和国にとどまっている。私も王位継承者御夫妻に白い宮殿の集会で会ったことがある。和菓子をプレゼントした。
2005年6月、ルーマニアは、前国王ミハエルに二つの地方宮殿と周辺の土地を返還し、補償金を支払った。前国王夫妻と長女夫妻にブカレストのエリザベタ宮殿を終身居住・終身使用する権利が認められた。
2006年5月、ルーマニアは、王族のDominic von Habsburg にドラキュラ城を返還した。
1998年にブルガリア憲法裁判所は、ソフィア郊外のヴラナ宮殿公園を前国王(or前皇帝)シメオン・サクスコブルクに返還した。しかし、前国王夫妻は宮殿本館に居住せず、もとの狩猟館をリフォームして生活していた。勿論、然るべき価値の土地等もまた返還された。現在、ヴラナ宮殿は市民に開放されているようである。
2019年8月になって、予想していなかった旧資産返還請求のニュースを知った。第一次世界大戦でその王朝が消滅したカイザー・ウィルヘルム二世の直系子孫がベルリン内外の王宮や不動産の所有権を主張して、2013年以来ドイツ政府と交渉しているそうである。時にメルケルの官邸でもその交渉がもたれたと言う。その主要な物件は、私達日本人に深くかかわりあるあのポツダム会談がもたれた宮殿である。第二次大戦後、ソ連占領下でホーヘンツォレルン家から不法に奪われたのだと言う主張のようだ。
(上記の諸事実は、Restitution,Aristocracy,Romania 等で電子検索して手に入れた。)
教会財産の再私有化
次いで、党社会主義時代以前、王家、貴族、大資本家と並んで、あるいはそれ以上の社会的権威を有していた社会組織、すなわち教会に関係する旧資産返還問題を取り上げよう。「ちきゅう座」上の旧稿においてポーランドのカトリック教会財産の返還について触れたことがあるので、ここではセルビアのケースを見る。
ベオグラードの日刊紙『ポリティカ』(2018年10月28日)に「取り上げられた財産の90パーセントが諸教会に返還された」なる記事を見付けた。
この記事によると、5万8083ヘクタールの土地(農地、林地、建設用地)と9万1000平米の物件が戦前の所有者である教会と宗教団体に返還されている。宗教界による返還申請件数な3049件。そのうち1602件はセルビア正教会からである。5万5426ヘクタールの土地と4万9477平米の物件がセルビア正教会に返還された。
カトリック教会は、1365ヘクタールの土地と2万3266平米物件。続いて、ユダヤ人共同体、イスラム共同体、ルーマニア正教会、プロテスタントの諸教会に関して。ナチスのジェノサイドで相続権者が全く無くなったユダヤ人財産をユダヤ人共同体に返還した国は、セルビアだけのようだ。
再私有化の受損者
上記の諸事例が物語るように、ヨーロッパの旧社会主義諸国では、資本と土地、そして芸術作品等価値物件の私有化一般だけでなく、第二次大戦前の旧所有者への資産返還・補償=再私有化が深刻な社会問題になっている。
それによって、生活水準が向上する社会層と生活条件が破壊される社会層とでは、私有化と財産返還=再私有化に対する受け止め方は異なる。また、私有化プロセスの受益者は、しばしば再私有化プロセスの受損者となる。勿論、多くの一般勤労者・労働者は、私有化と再私有化の両プロセスにおいて、直接的に失職・失住の不安にさらされる。
言論自由な市民社会において彼等の不安を代弁する知識人は殆どいない。そうしたからと言って、市民社会の自由度が今以上に増すわけではないからだ。自由はすでに現存在している。私有化・再私有化の法廷闘争の多発で法律家はどんどん富裕化している。それに「下級国民」に味方しても自由が増えるわけではない。
再私有化哲学
私有化一般だけではなく、再私有化=旧所有者の復権がかくも真剣に追及されるのは、何故であろうか。
一つは、それがEU加盟の必要条件であるからだ。しかしながら、これは制度論的原因であって、より本質的な歴史哲学的なもう一つの理由がある。
私見によるならば、その歴史哲学は、党社会主義時代の一切合切を社会発展の唯一の本道、自由・人権・市民社会・民主主義の正道からの、いわゆる普遍的価値からの不幸な、不当な、不正な暴力的脱線であると観念する。中東欧・バルカンの旧社会主義諸国の知的職業人社会ではかかる観念が通念として支配している。そのような邪悪、不義、不正、不当、そして不幸な党社会主義体制が半世紀にわたって実行した社会的諸結果=悪は、それ以前の状態=善に復元されねばならない。あるいは、賠償され補償されなければならない。
私=岩田の直観的察知によれば、知的職業人社会においてかかる歴史哲学は法律家、哲学者、芸術家、経済学者、歴史家の間でより強く、社会学者や社会部ジャーナリストの間で相対的に弱いようである。自由理念の生成・発展・定着に自己の仕事の本質を見るのが前者であり、自由と不自由のからみあった社会的実生活を現実に生きる様々な社会人達の生き様を観察するのが後者の仕事であるからだろう。
これは、勿論、私=岩田の個人的偏見である。とは言え、私有化・再私有化(=旧所有者への財産返還)問題に関する資料収集を現地で行っていると、「正当」な、「正義」の所有転換によって、失職し失業し失住した結果、生活が破壊された非エリート民衆の姿は、後者の文献にしか見られなかった。
中国憲政自由主義者への疑問
以上のような旧財産返還=再私有化の中東欧・バルカン諸国の実情を検討した上で、中国党資本主義経済と党「社会主義」政治に対する憲政自由主義者の張博樹と故劉暁波について批判的に一言する。張は、大著『新全体主義の思想史』(白水社、2019年令和元年6月)において、「アダム・スミス、・・・、それは経済的リベラリズム思想の前駆・・・。まさにここから、私有財産権の合理性と崇高な競争を旨とする現代の起業家精神が普及した。」(p.34)と私有財産権を完全肯定的に論じている。
張も署名する劉暁波の『08憲章』の「三、我々の基本的主張」の⑭と⑲を考えて見よう。「⑭財産の保護 私有財産の権利を確立して保護し、自由で開放的な市場経済制度を実施し・・・。・・・国有財産管理委員会を設立し、・・・、財産権の帰属と責任者を明確にする。・・・、土地の私有化を推進し、公民、とりわけ農民の土地所有権を適切に保障する。」(及川淳子訳)。「⑲正義の転換・・・政治的迫害を受けた人びととその家族の名誉を回復し、国家賠償を与える。・・・・・・。真相調査委員会を設立し、歴史的事件の真相を究明し、責任を明らかにし、正義を広める。その基礎の上に社会の和解を追求する。」(矢吹・加藤・及川著訳『劉暁波と中国民主化のゆくえ』、花伝社、2011年・平成23年、p334、
p.336、強調は岩田)。
チェコのヴァツラフ・ハヴェル等の『77憲章』と異なって、中国の『08憲章』は、中東欧諸国の体制転換以後20年に近い実績の影響下に書かれている。転換以前の1977年に書けなかった異論派運動の潜在的本音が『08憲章』の⑭「財産の保護」と⑲「正義の転換」に出現している。
「基本的主張」の⑭と⑲が合体した法理に立脚して、例えば、2005年6月にルーマニア議会は、前国王夫妻にブカレストのエリザベタ王宮に終身居住する権利を承認すると同時に、3000万ユーロ(3600万ドル)の国家賠償を行った。
このような「正義の転換」にならえば、中国においても、愛新覚羅氏は、明王朝の紫禁城は無理にしても、熱河離宮の権利回復と3000万ユーロの何十倍になるだろう国家賠償を受ける資格があろう。
オスマン・トルコ帝国から19世紀に独立して成立したルーマニア王国の国王として西欧から送り込まれた非ルーマニア人のホーヘンツォレルン家の子孫が今日ブカレストの王宮に住み、3000万ユーロの国家賠償を受け取れたのだから、17世紀以来の愛新覚羅氏一族は、より説得的にそう要求できるであろう。
同様に、毛沢東中国が成立して以降、台湾や香港に着のみ着のままで逃亡、あるいは亡命した旧有産階級中国人もまた夫々の状況に応じて旧財産回復と国家補償を請求できることになる。
もっとも、張と劉が構想する将来の「憲政自由主義中国」と現実の中東欧・バルカン諸国の間に大きな差がある。それは、「憲政自由主義中国」では中国の国有資産管理委員会と真相調査委員会で私有権回復申請が否認された場合、それが最終決定となるのに対して、ヨーロッパの旧社会主義諸国では夫々の国家で私有権回復が否定された場合に、自分達の不服をヨーロッパ人権裁判所に提訴できる。実際、旧王族や旧貴族、そして旧大地主や旧大資産家の所有権回復闘争は、ワルシャワの路上集会、国内司法機関、そしてヨーロッパ人権裁判所の法廷で展開されている。すなわち、基本的人権の保障は限りなく、私的所有権の保障、所有人権に収束する。
私有化・再私有化の嵐の中で失業し失職し失住した小声無声の人権、すなわち労働人権はどうしたらよいのか。この社会問題が張・劉等の視野に入っていない。
チェコの旧資本家ハヴェルは、所有人権を回復するために、党社会主義を打倒し、所有人権を回復した。ポーランドの労働者ワレサは、労働人権を拡大強化するために、党社会主義を打倒したが、労働人権への関心は失せ、所有人権を復活させた。張博樹は、そして彼が検討した現代中国の左右九大思想潮流は、更にまた張・劉思想の日本人訳者達は、この問題と如何に格闘するのか。
令和元年9月8日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study1058:190913〕
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