支店からの視点
- 2019年 9月 13日
- 交流の広場
- 山端伸英
箒川兵庫助さん、本名だかペンネームだか存じ上げないが、僕は旧植民地にいるから『支店のことは本店を見ればわかる』などという植民地主義を張って、メキシコ旅行しているわけではありません。どういう文脈で荷風がこんなことをいい、どういう魂胆でこれが僕に対する返答になるのかはわかりません。少なくとも後段でのべるように箒川兵庫助さんが地球市民としては不適格なほどに差別主義・近代主義に汚れている方だということを表明する導入にはふさわしいのでしょう。
加藤周一が1969年に書いた文章というのは、何という題名のものでしょうか? 引用の仕方そのものが適切ではなかったようですが、コロンビア人ガブリエル・マルケスの小説は日本語に訳される前からフランス語や英語で訳されていました。しかし、彼のはメキシコの文学とは言えないかもしれないので(メキシコのバハ・カルフォルニアで『百年の孤独』の着想を得ている)、少なくともスペイン征服当時からさまざまな『記録文学』が発生しています。加藤周一が『文学』の何を偉大といい、何を優秀というのかという質問をさせていただきたい、例えばエルナン・コルテスの嘘に満ちた、言い訳だらけのスペインへの手紙にも僕や、旧植民地に生きる僕たちには魂の底に響く文学があります。1987年頃、僕は加藤さんと笑顔で話しましたが、そのときも今も、三島由紀夫が加藤周一を知的にも人間的にも恐れていたことを思い出しています。ドイツ語、イタリア語、フランス語に堪能という触れ込みだったので、『スペイン語なんか簡単でしょう?』と言うと『(メキシコ人が)言っていることはわかるね』と仰っていた。なぜ僕が彼と話せたかと言うと、たぶん彼・u桙フ女性がいたことと、彼が笑顔満面だったからでしょう。また僕がゼミで付き合った尾形典男が、加藤周一を評価していなかったためもあるでしょう。尾形典男にも、加藤周一の日本文化理解は非常に浅はかなものでした。
メキシコ人で『メキシコの文学は貧しい』などと言うのは専門家でもなんでもないし、メキシコ人ですらないでしょう。メキシコはまだ第三世界ですから『遅れている』と、近代主義者加藤周一は言いたいのでしょう。同時に加藤は既に東京オリンピック以降の日本人の驕慢化にも便乗していたのでしょう。革命期前後の文学やフアン・ルルフォJuan Rulfo, カルロス・フエンテスCarlos Fuentes, 政治的には反動的だったエレナ・ガロElena Garro, 詩や評論のアリ・チュマセーロAli Chumacero, オクタヴィオ・パスOctavio Paz, ハイメ・サビーネスJaime Sabines などが嘗て存在しなかったとでも言うのでしょうか? リカルド・フローレス・マゴンRicardo flores Mag?n のような、ありえない革命家のありえないような文学がなかったとでも言うのでしょうか? その辺の貴殿のお気に入りの『専門家』に聞くよりも編集者太田昌国氏にでも聞いていただきたいものです。しかもまだ100以上の先住民言語の文学が隠れています。日本の現実に責任を取れとは申しません。貴殿の浅はかな、他者を馬鹿に仕切った、加藤周一・u桙フような近代主義に責任を取っていただきたいものです。ひとつ申しておきたいのは僕は加藤周一そのものには敬意を持っております。それは彼が人間的に年を重ねていたからです。
また音楽方面では現状のメキシコは国立美術院INBA(Instituto Nacional de Bellas Artes)の集団的努力もあり、クラッシック畑の音楽でもメキシコ作曲家や指揮者の国際舞台での活躍は珍しいものではなくなっています。クラシック・バレエの国際的スターもメキシコからは1950年代から出現しています。単なるフォークロアの国ではありません。加藤さんはバルトークを論じていたようですが、ハンガリーも『フン族』支配の影はあるにせよ、中央ヨーロッパ世界です。そして、ソビエト支配の時代に数々の植民地的欺瞞を生みました。ハンガリー皇室の生き残りと言うのが結構メキシコにもいます。
箒川兵庫助さんからの引用をいたします。
『ところでヨ-ロッパが「新世界」を略奪して近代化した,というご主張ですが,新世界を略奪したことは確かです。しかし近代化したという話は論理の飛躍です。自然(近代)科学の発達はヨ-ロッパにおいてのみ可能だったからです。アルコ-ルを造ったアラビアや,高度の文明を誇った中国でさえ実験医学序説(クロ-ド・ベルナ-ル)を生み出せなかったのです。』
科学技術の近代化については、今それを論じる暇はないのですが、最近、イギリスは、ベネスエラから保管していた金塊の返還を拒みましたね。現在、メキシコの金鉱はカナダが独占してヨーロッパへ導入しています。なるほどね、「支店のことは本店を見ればわかる」ですね。カール・マルクスの『共産党宣言』あたりからヨーロッパ資本主義の歴史を御吟味下さい。ウォーラーシュタインでも基本的にはマルクスの理論を踏んでいます。また村上陽一郎氏の『聖俗理論』では、科学技術畑の進歩は、必ずしも近代化と連結しないということも言っていますね。
近く僕は、マルコス・ロイトマンの『なぜ共産主義者は憎まれるのか』という短文を訳してご覧に入れるつもりですが、僕たちは知への情熱を持っているのです。
『加藤がコンゴの面を見て,マヤの彫刻に触れ,三星堆の仮面の系譜が辿れないと論じたのは,普遍性の程度を確かめるためだったと推測しています』、、、そんな貴殿の推測は僕にとっては不要です。加藤周一は日本における『進歩的知識人』の代表格でした、しかし、彼が著名度を深めれば深めるほどに『カソリック』に帰依する必要性が出てきたのだけは理解できます。それは彼の生き方が普遍性との齟齬にいつも直面し続け、彼が日本を代表する知識人としてヨーロッパ文化の中に立つとき、『カソリックへの帰依』が結局『客人』としての近代を日本という土壌に生きざるを得なかった悲劇の幕引きに他ならないからです。そのあとに残った日本には戦後の近代主義への報復が始まっていました。
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