テント日誌9月24日
- 2019年 9月 26日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
降ってはやみ、やんでは降るその繰り返し 9月18日(水)
今日は雨。座り込みグッズをセッティングするときはかなり降っていた。定刻通りに座り込みに入る。
涼しいと言えばそうなのだが、蒸し暑い感じでもある。降っては少しやみ、また降るその繰り返し。基本的に保っちゃん、Oさん、Tの3人の当番だけ。保っちゃんはいつものようにパンを持ってきてくれる。
2時頃、規制庁前での抗議行動を終えたNさん登場。今日のような日も右翼が来て、規制庁前での抗議行動に「原発は必要だ。じじぃ行動をやめろ」と介入してくるそうだ。
Kさんはいつものように、経産省前では職員と通行者に対して原発は恐ろしい、制御できない核を使う愚かさなどを訴えていた。
Kさんは今日は国会の議員会館で「統合型リゾート施設(IR=Integrated Resort)の誘致」問題の学習会があるそうでそっちに行かれた。Kさんと入れ違いにレジェンド斎藤が来られる。それからHさんが来る。
今日は17時座り込みを終わる。(T・I)
東電刑事裁判判決は不当(?)それを超えている9月19日(木)
今日は、東電刑事裁判判決日、一度事務所に行き自転車で東京地裁前行動に参加して再び事務所に戻り、座り込みの機材を台車に乗せて(いつもより椅子を多めに用意した)経産省本館前に着くとあの高価な自転車で来る人が、久し振に来ていました。早速二人でセッティングをして完了すると、上記の公判傍聴に入れなかった人達で、たちまち椅子は満杯に、あぶれる人も出ました。その人達に傍聴希望者数を聞いたところ何と832人で一般の傍聴者は104号の大法廷にもかかわらず僅か43人しか、傍聴出来ないとの事でした。
この刑事裁判の訴訟指揮していた裁判長は、当初より過剰な身体検査、手荷物検査をして傍聴人に、散々嫌がらせをしていた。13時20分頃に東京地裁方向より、風に乗って大きな声が聞こえて来た、すると間もなく保さんより、東電の被告人3人が全て無罪との、不当極まりない判決が出て今怒りの抗議集会を地裁前で行っているとメールが届いた。
この腐りきった司法を、どう変えていくのか?私自身は諦めることなく、粘り強くしたたかに闘っていくしかないと改めて決意をした。座り込みを撤収して、議員会館前での19日行動に参加しましたが、そこでも民主主義の根幹である
三権分立がこの不当極まりない判決をみても、ぶっ壊れている事を指摘している発言がありました。(R・Y)
前日の判決に抗議する集会が地裁まであった 9月20日(金)
今日は気温が下がると聞いて長袖を1枚羽織ってきたが、動くと汗ばむ。台車で経産省前まで来ると薄っすらと汗ばんでいる。高級自転車に乗った見黒の男性もやってきて、セッティングを手伝ってくれる。無事セッティング終了後、昼食をとる。パラソルの下は日陰になって過ごしやすい。確実に秋を感じる季節になった。
座り込んで暫くすると、1時から昨日の判決について地裁前で抗議をするので参加お願いします。と、たんぽぽのYさんがトラメガを担いでやって来た。その時の座り込みメンバーを数えたら、7名。留守番は半分いればいいかと思い3名が参加することにし、地裁前に向かった。
1時ぐらいに地裁前に到着したら、もう始まっていた。抗議するメンバーは10名前後。国の地震予測「長期評価」に基づけば15.7mの津波の試算がありながら対策を取らなかった東電経営陣を糾弾する。あれだけの甚大な被害を引き起こしておいて罪に問わないなど、裁判官はどこを見ているんだ、と永渕裁判長の判決文を批判する。裁判官は法と良心に基づいて判決文を書くと小学生のころ学んだはずである。自分の立身出世のために書いたとしか思えないようなは判決文である。司法は死んだ。日本には三権分立がないのか。安倍政権を忖度する裁判所に成り下がっているではないか。等々思いのたけを訴える。時々、裁判所の職員が門の外に出てきて我々抗議している人々の様子をうかがいに来る。裁判所の判決がどうあろうと、反原発の我々の運動は続けるのだ、と訴え抗議行動を終える。
40分ほどの抗議を終え、経産省前に戻る。心なしか、いつもより多くのメンバーが座り込んでいるように思えた。地裁の判決に対する怒りが参加者の一人一人に渦巻いているようだ。(S・S)
経産省前も文科省前も司法への怒り沸騰 9月20日(金)
3時過ぎに到着、座り込みでは前日の福島原発事故の東電旧経営トップ3人無罪判決に怒り。15.7mの津波を学会が予見、担当が防潮堤計画、トップがちゃぶ台返しで延期、その結果これだけの大事故を招いたことは明らかなのに。
4時を過ぎたら俄然座込み者が減る。多くは文科省抗議行動に移動したのだ。ここでは、最高裁の差別判決にもめげず沢山の高校生が来て抗議行動を続けていた。
経産省前で撒いていたチラシを受け取った米国人と雑談、日本在住が長い近所の歯医者さんで持っていたギター片手にマイク牧の「バラが咲いた」を歌ってくれる。
経産省抗議行動でも、安倍政権のみならず司法の劣化を問題視。福井地裁の大飯再稼働差止を命じた樋口英明裁判官も、朝鮮学校の授業料無償化除外は違法との判決を出した大阪地裁西田隆裕裁判官も、名裁判として歴史に刻まれるのであろう。まともな裁判官がまだまだ居ると信じたいが…。「座り込め、ここへ」などを守屋真実さんが歌ってくれた。
早めに片づけで峠の茶屋営業開始前に帰路に。今週は5日間連続で都心に出てきてしまった。(K.M)
東京電力旧経営陣に無罪判決で終りではない 9月21日(土)
時折風に流されてきた雨粒が落ちてきたが傘をさすほどではなかった。ずっと曇りが続いたので普段ならば10分ごとに変化するけやきの幹の陰影はまるでアトリエの中にいるように変わらないままだった。こんな日は一年のうちで僅かしかない。どんよりとした曇り空だがスケッチをする私には最高の贈り物だった。
〇東京電力旧経営陣に無罪判決、これって原発事故は合法ということ?
東京地検が2度も不起訴としたが、検察審査会がその都度「起訴すべきだ」と議決したことにより始まった裁判は驚くべき結果となった。
避難者たちが起した各地の民事訴訟では「大津波は予測可能で事故は防げた」として、東電の過失を認める判決が相次いでいたというのに東京地裁永渕健一裁判長曰く。
「事故を回避するためには、運転停止措置を講じるほかなかったが、運転停止すればライフラインや地域社会にも一定の影響を与えることを考慮すべきだ。予測に限界のある津波という自然現象について、想定できるあらゆる可能性を考慮し、必要な措置を講じることが義務づけられれば、原発の運転はおよそ不可能になる」
不可能にしたいのだよ。わからないのかな、裁判長。これでは実際に事故が起きるまでは原発を動かして良いといっているように聞こえる。「司法」という字は「死崩」に改めよう。
原告の敗訴とはいえ闇から闇に葬ることを許さなかったことは大いに評価すべきだろう。悪い奴ほどよく眠るというが枕を蹴とばすことはできたかもしれない。(O・O)
国会周辺では「イットク フエス2019!!」が9月22日(日)
朝は青空ものどかせていたのだが、天気予報ではあめとのこと。最近は天気予報もわりとあたるから、やばいなぁという嫌煙が頭を掠める。というのは今日は国会周辺では遅くまで(20時まで)、「イットク フスス 2019」があるからだ。座り込みのほうは午後4時までなので天気は持つだろうと思ってはいたが。
このフェステバルに顔をだした。これは国会前の官邸から下ってきた茱萸坂、国会議事堂の正面の正門前、憲政会館前、国会図書館前など9か所でロックなどを響かせるものだ。いつもの政治的な意志表示とは違うが、権力に対する意思表示として企画されていたようだ。もう少し経つと銀杏の匂いがみつ銀杏の木に守られ(?)、歌声が響いた。国会周辺をまわりながら、「歌う茱萸坂ステージ」で少し足をとめた、「コバやん」「ドントウォーリーズ」というメンバーの歌をきいた。とてもよかった。僕は最近、一人でカラオケに行って気晴らしに歌うことがおおいが、こういうステージもいいなと思った。障害のことをテーマに含んだドントウォ―リーズの歌は心に響いた。ユートピアという歌を聞きながら、ぼくは国会周辺を歩いた数限りない日々の事を思い浮かべてきた。時代の権力や政治に対する抵抗、あるいは反抗、その意志表示だったが、心の底にはユートピアがあったはずだからである。それは自由な社会というユートピアだったのかもしれないし、少年のころの野山を歩きながら野に咲く小さな花に感動した心のふるえのようなものだったのかもしれない。彼女の美しい歌声に魅せられながらそんなことを夢想していた。ユートピアを求めるこころはかつて僕が師とあおいだ思想家の「精神の闇屋」という言葉を想起させた。公的な精神ではなく、人には認められない闇のようにあるしかないが、自分の心を震わせ、解放的にしてくれる精神、それは人が失わない最後の特権のようなものかもしれない。美しい歌声に魅せられながら、いいものに出会った、と思った。「イック フエス」はとてもいい催しだった。(三上治)
台風の影響か強い風に見舞われた 9月23日(祝)
今日も先週と同じく秋分の日ということで祝日だったので裁判の傍聴、院内集会がないので座り込み者は少人数に限られた。
レジェンド・Sさんは1時半頃来られた。官邸方面から歩いてこられたので、聞いてみると何時ものように国会前で座り込みをやっていると思って行ってみたが誰も来ないのでこちらに降りてきたとのこと❗午前中にその事について確認したのであるがそのあと家を出たときには忘れていたのでしょう。これが今のレジェンド・Sさんである。丁度その頃から台風の風が急に強くなってきた。そのためにバナーが引きちぎれそうになってきたので外しました。大きなパラソルもすぐおちょこになってしまって壊れてしまいそうなので畳みました。
そうすると空は晴れていて太陽光線がキツイ❗レジェンド・Sさんが暑いというので椅子ごとプラタナスの木陰に移動して貰いました。2時過ぎになって太陽が金融庁の高いビルに隠れたので暑さからは解放されましたので助かりました。
最後に。事務所に来て座り込みグッズを点検しようとしてふたを開けたら羊羹が2本入っていた。カンパしてくれたものなので食べてくださいと書かれていたので1本を包丁で切って経産省前へ持って行って皆で美味しく頂きました。(保)
突然の雨も間もなく上がった 9月24日(火)
2週間前に続き、今日も高級自転車で来る人が、待っていてくれました。
三人でのセッティングであったので、あっという間に完了した。
間もなくIさんが到着、その後は「福島原発被ばく労災損害賠償裁判」(あらかぶさん裁判)の傍聴に参加する人や、「げんげんれん」団長の鴨下さんが会議に行く途中に寄って行かれ短時間でしたが、この間のデタラメ極まりない判決について若干の意見交換をしました。
15時過ぎに、にわか雨が降って来たので慌てて事務所より雨傘を持って来ましたが間もなく、その雨も上がり、撤収するまでには傘も、パラソルも乾いていました。またイロハネットのWさんやTさんが見えられて、11月6日(水)の「函館市大間原発建設差し止め裁判」用のチラシ作成についてIさんと打ち合わせをしておられました。この裁判の傍聴参加、報告集会の参加を呼びかけます。 (Y・R)
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福島原発刑事訴訟支援団からの願いです。
9月19日、東京地裁は東電元経営陣に無罪判決を下しました。 結論も内容も、酷い判決です。 福島原発刑事訴訟支援団では、検察官役の指定弁護士の皆さんに、控訴のお願いをする緊急署名をはじめました。
▼【緊急署名】東電刑事裁判元経営陣「無罪」判決に控訴してください!
控訴期間は2週間です。 短期間のため、ネット署名のみでお許し下さい。 SNSでの拡散、MLへの転送、各自最大限の波状アクションをお願いします。
2019年9月19日、東京地方裁判所は、東京電力の元経営陣3名の福島原発事故における業務上過失致死傷の罪について「被告人らは、いずれも無罪とする」という判決を下しました。 この判決は、原発が過酷事故を起こさないための徹底的な安全確保は必要ないという、国の原子力政策と電力会社に忖度した誤ったメッセージであり、司法の堕落であるばかりか、次の過酷事故を招きかねない危険な判断です。 2016年2月29日の強制起訴から、検察官役として指定された5人の弁護士のみなさまは、この重大事故の責任を問うために大変なご苦労をされてきたということを、公判の傍聴を通じて感じており、心から感謝しております。裁判所が配布した判決要旨を読むにつけ、裁判所がこの原発事故の被害のあり方、被告人らの行いに対し、正当な評価をしたとは到底思えません。 私たちは、この判決では到底納得できず、あきらめることはできません。 どうか、指定弁護士のみなさまに、控訴をして頂いて、引き続き裁判を担当して頂きたくお願い申し上げます。 多大な仕事量とそのお働きに見合わない報酬しか、国からは支払われないと聞き及んでいるところを心苦しくはありますが、正当公平な裁判で未曾有の被害を引き起こした者たちの責任がきちんと問われるよう、再び検察官席にお立ち頂けますようお願い申し上げます。 福島原発刑事訴訟支援団 https://shien-dan.org/
9月27日(金) 月例祈祷会 「死者の裁き」
午後3時から 経産省前テントひろば 日本祈祷団47士
9月27日(金) 経産省前抗議行動 17時~18時
検定前抗議行動 18時30分
9月29日(日)脱原発青空川柳句会 13時から
経産省前テントひろばにて 選者乱鬼龍
投稿論文 この論文は蔵田計成氏の投稿論文です。全体が長いので4回にわけて掲載します。以下、第一部 リスク係数で観る危険性(2回目) 第二部 ある定説 三部 歴史の逆動【4回目】今回。これで終わりです。
徹底検証/「100ミリ㏜健康影響なし説」のウソ
=0~10歳集団、100ミリ㏜被曝リスク、死亡率13%=
2019年9月 藏田計成(ゴフマン研究会 )
第Ⅲ部 歴史の逆動
1 「100ミリ㏜影響なし説」の元祖
人類が放射能を発見したのは19世紀末である。既述したように、その初期の時代の被曝線量限度は「年間500ミリ㏜」(IXRPC1934年勧告)であった。この線量率を出発点にして、実質的な被曝線量低減の歴史がはじまった。そして、人類史は1世紀以上の長い歳月を経て、ついに「ゼロ線量しきい値論」に到達した。
この長い過去の歴史過程をたどってみると、「100ミリ㏜影響なし説」が最初に登場した時期は、1945年の広島・長崎の原爆投下時にまでさかのぼる。すでにふれたように、アメリカ軍事調査団は原爆投下直後の現地調査に際して、次のような調査の枠組みを決定した。
「爆心地から半径2㎞以遠の被爆線量(遮蔽なし)は、100ミリ㏜以下であり、被爆の影響はない、調査の必要もない」とした(1)。
しかし、この事前の予測値は科学の領域ではいつの間にか立ち消えになった。その主な理由を推測すると、予測値が実態とかけ離れていたことにあるものと思われる。イギリスの原爆調査団もこの高い数値には早い時期から強い疑念を抱いていた。
結局、この「100ミリ㏜被曝影響なし説」は一過性に終わった。実際に、その予測値が果たした社会的政治的役割は限定的であった。アメリカによる原爆大量殺戮の犯罪性に対する非難の広がりを軽減し、ピカドン投下(現地の住民呼称)の過小評価と免責の一助に限られた。また、広島・長崎の被爆者に対する、日本政府の被爆補償を値切るための論拠に悪用された。そのために、被爆者は厚い壁に対する闘いを強いられた。
それとは別に、アメリカ原子力委員会(AEC)は旧IXRPCに代わる民間防護機関として民間被曝防護機関ICRPを改組・再建を主導した。ICRP1950年勧告、職業被曝「年間150ミリ㏜」が新たな出発点となった。その後、ICRP1958年勧告は作業者「年間50ミリ㏜」を勧告した。同時に、「周辺人」(一般公衆)の線量率「年間5ミリ㏜」を併せ勧告した。この公衆被曝「年間5ミリ㏜」は遅きに失したとはいえ、被曝防護史上初の試みとして重要な意味をもっていた。
その後、公衆被曝の線量限度は徐々に低減された。先にみたように年間1ミリ㏜、年間0.5ミリ㏜、年間0.1ミリ㏜を経て、ついに「ゼロ線量しきい値論」へと到達した。これらの低線量リスク論は究極の到達点であった。人類の放射能発見(1895年)以来の科学的検証を経た防護体系である。その意味で、不可逆的な線量目安であり、線量率であり、明白な歴史・科学事象である。
2 極悪-ICRP2007年勧告
このように、ICRPが歩んだ歴史は低線量限度実現の歴史であった。その一連の経過をたどれば、実行可能な低い線量という表現にはじまり、やがて、容易に達成可能な線量→合理的に達成可能な線量→科学的を削除して経済的社会的へと変貌した。この過程がALAP原則(1959年)、ALARA原則(1965年)、新ALARA原則(1977年)を経て、正当化論や最適化論への変質過程であり、やがて、2007年勧告への逆動となった。それは自らの低線量被曝リスク論の骨抜きであり、民間独立防護機関としての基本理念の放棄であった。また、このICRP2007年勧告はチェルノブイリ事故21年後、福島事故発生4年前であった。この事実を時系列でみると、ICRP2007年勧告はチェルノブイリ事故に続くであろう、次の巨大過酷事故(福島事故)を想定していたことになる。このようなICRPによる事故に対する過去の教訓と未来をみすえた不気味な周到さは戦慄である。
チェルノブイリ事故被災住民たちはチェルノブイリ法をかち取った。線量率年間1~5ミリ㏜未満の汚染域を「避難権利区域」に、年間5ミリ㏜以上の汚染域を「強制避難区域」に指定した。また、政府は被災者に対しては避難、移住、治療、就業、就学を保証した。その事故災害の莫大な財政負担の代償が、ソ連崩壊の引き金になったといわれている。ICRP2007年勧告はこのような社会的現実を見逃すことはなかった。
とはいえ、ICRPがチェルノブイリ事故から学んだ邪悪な教訓とは、体制崩壊をもたらすほどの厳格な低線量限度設定に手を加えることであった。それは正しい教訓を学ぶことではなくて、〈悪しき教訓〉と〈負の教訓〉を引き出すことであった。
福島事故はICRP2007年勧告の4年後に突発した。それは歴史の偶然とはいえ、ICRP2007年勧告が果たした役割は、必然の結果として用意されていたも同然であった。行政に好都合で、被曝住民には不利な犠牲を強いる勧告であった。
日本原子力ロビーは真っ先にICRP2007年勧告に飛びついた。居住可能な線量率を事故前「年間1ミリ㏜」から「年間20ミリ㏜」(20倍)へと緩和するというお墨付きを得た。それだけではない。日本原子力ロビーはICRP2007年勧告の一文を拡大解釈し、「100ミリ㏜影響なし説」(安全説)へと線量体系をつくり替えた。その結果、年間線量限度の基準値を実質100~1000倍へと緩和することになった。この悪辣さを数字でみてみよう。
3 発信源:ICRP2007年勧告、3つの「被ばく状況」
ICRP2007年勧告は、以下3つの線量域を勧告した(2)。これがICRPの歴史的大転換の発信源であった。その線量範囲や定義・解説を知るには、環境省が作成した解説「防護の原則-被ばく状況と防護対策」(3) が簡潔である。【 】内には、問題点を併記した。
① 「計画被ばく状況」(線量域の範囲:年間1ミリ㏜以下)/定義:「被ばくが生じる前に防護対策を計画でき、被ばくの大きさと範囲を合理的に予測できる状況。」
問題点:【「合理的に予測ができる状況」という定義は画餅に過ぎない。ICRPが「年間1ミリ㏜以下」を数字として残しているとはいえ、それは〈汚染地以外はこれまで通り1ミリ㏜ですよ〉というアリバイ証明に過ぎない。このたぐいの大義名分は事故が起きない限り面目を保つことができる。だが、いったん事故が起きると、本性を丸出しにする。これがICRPの本質的性格と実体である。】
② 「現存被ばく状況」(居住線量域の範囲:年間1~20ミリ㏜)/定義:「管理についての決定がなされる時点ですでに被ばくが発生している状況」。
問題点:【この上限線量率設定の意味は深刻である。大規模原発事故が発生した直後の居住可能な線量率を「年間1ミリ㏜」から、上限値「年間20ミリ㏜」へと引き上げ、これを「正当化」「認定」している。これは汚染地域住民に対する、新たな被曝の過重である。この線量率「年間20ミリ㏜」は現行法定の職業被曝/放射線管理区域(レントゲン室、研究炉など)の線量率「年間5.2ミリ㏜(3ヵ月1.3ミリ㏜)」と比べると、その3.8倍(20÷5.2)である。この管理区域「年間5.2ミリ㏜」では、18歳以下立ち入り禁止、宿泊・飲食禁止、用具持ち出し禁止、外に出るときはシャワー使用を法的に義務付けている。だから、一般公衆に組み込まれた被曝感受性の高い若年世代にとって「年間20ミリ㏜」は〈煉獄値〉である。しかも、このような高い線量率を、居住可能な空間線量率と認定する合理的根拠はどこにも示されていない。ゴフマンモデル(累積被曝を含む)のリスク係数で算定すると、10歳1万人集団、20ミリ㏜被曝、リスク210人、死亡率2.1%となる。】
③ 「緊急時被ばく状況」(線量域の範囲: 年間20~100ミリ㏜)/定義:「緊急を要する、かつ、長期的な防護対策も要求されるかも知れない不測の状況」。
問題点:【このような上限「年間100ミリ㏜」を線量域として設定すること自体が無謀である。自然の気象条件(風向、降雨など)による汚染の地域的ばらつき、年齢別被曝感受性などの諸条件を考えると、有効な対応は実質的に不可能である。結果的に、上限年間100ミリ㏜の汚染地域の設定は、高濃度汚染地域に住民を閉じこめ、正当化するための行政基準に過ぎない。このリスクは10歳、1万人集団、死亡率10.5%の大量被曝死ゾーンとなる。】
4 悪の教典
ICRP2007年勧告における低線量被曝リスク論は、疑いもなく悪の教典である。本文とは別の「付属書A」(裏看板)のなかに、それとなく「100ミリ㏜無害説」を忍び込ませている。そのわずか数行に凝縮された回りくどい言いまわしは、アドバルーンを彷彿させる。結果的に、次のようなICRP2007年勧告「付属書A」の引用が、その4年後に突発した福島原発事故において、不条理な橋渡しの役割を果たすことになった。
「(A86)…委員会は 非常に広範な生物学的データと概念を考察する必要がある。 放射線の腫瘍形成効果から人を防護するための勧告を策定するに当たり…多くは現在議論が行われており、あるものは論争の的となっている。しかしながら、がんリスクの推定に用いる疫学的方法は、およそ100ミリ㏜までの線量範囲でがんのリスクを直接明らかにする力をもたないという一般的合意がある」(4)。
問題点1、そもそも「立証する力をもたないという一般的合意がある」というあいまいないい方は、判断主体が不明確である。この奇怪な伝聞話法は、言葉に責任が生じない間接的手法である。本稿冒頭でみた読売新聞「社説」の「100ミリSv影響なし説」と比べる、それは断定を避けた表現になっている。この欺瞞的手法はたとえ「合意」が存在しなくても、また、論理を捏造したとしても、立論が成立する言語表現上の便法となり得る。この間接的手法の狙いはどこにあるか。ICRPの世界的権威の下、それとなく一石を投じておけば、その時点でICRPの役割は終わる。あとは体制側に寄生し、原発産業の利権に群がる世界の原発推進専門家たちが次なる役割をひき受けてくれる仕組みになっている。「一般的合意」という文言を拡大適用して「100ミリ㏜以下健康影響なし説」へと作り替え、一般論へと仕上げてくれる。この手口たるや両者による暗黙の共謀作戦である。
問題点2、被曝影響の有無に関しても、引用の前半部分では「多くは現在議論が行われている」としている。ところが、後半部分では「100ミリ㏜までの線量範囲でがんのリスクを直接明らかにする力をもたないという一般的合意がある」と歪曲している。だが、この「立証力がない」といういい方は、別ないい方が可能である。つまり「無害性を立証する力をもたない」と置きかえることができる。だから、この立論の妥当な帰結は「影響の有無を立証する力がない」とするべきである。ところが、彼らはこのような単純な理屈を捨象した。都合のよい論理「リスクを立証する力がない、つまり無害である」と歪曲している。
問題点3、解釈の仕方によっては、このICRP2007年勧告「付属書A」の論理は、人類が歩んできた約1世紀以上にわたる被曝防護の研究成果を全否定するに等しい。繰り返せば、日本原子力ロビーの「100ミリ㏜影響なし説」(安全説)は、世界の多くの防護機関が勧告した低線量限度を無視してはじめて成立する論理である。
問題点4、ICRP勧告の本来の任務は、汚染地域における住民の安全・避難・移住の線量目安を勧告することであった。だが、いまやICRPにその資格はない。新たな任務たるや、事故時や緊急時を口実にして法外に高い汚染域のなかに、住民を閉じ込めるための《 殺戮認可証 》を交付することである。また、年間100ミリ㏜以下の被曝傷害に対して《加害免責認定証 》を発行することである。ICRPはその資格を取得した瞬間か ら、国策としての原発至上主義と便益主義を推進する原子力ロビーへとなり下がったことになる。
5 事実や論理のすり替え
民主主義という政治形態は、代議制・三権分立・多数決原理という形式論と、基本的人権という本質論を基底にすえている。だが、根源的には二面性をもっている。多数決原理を建前とする形式主義的原則から逸脱して「多数の専制」(全体主義)へと変貌する。多数決の下で正当を装い、事実をゆがめ、論理をすり替え、正義を偽造し、科学や学問を支配し、全体を体制化する。権力や権威はあいまいな理屈、推論、仮説、ときにはウソやデマさえも併呑して自己を増殖させ、やがて偽を真に転化させ、少数を異端に仕立て上げて、これを圧殺する。その典型例をICRP2007年勧告がもたらした福島の現況にみることができる。
実際に、福島小児甲状腺ガンは異常な多発をみせている。2018年3月時点で、当時0歳~18歳以下38万人中、273人のガン疾患が確認された。事故7年後の累計では100万人で年間平均約710人となる。事故前は100万人で1~2人(7年累計7~14人)とされているから、7年後時点で事故前の約50~100倍という概数になる。政府、福島県、検討委員会がこの多発事実と事故影響を否定するのであれば、この多発事実に関する別な原因を論証すべきである。にもかかわらず、多発事実を「事故影響とは考えられない」と決めつけている。これはクロをシロといいくるめる学術上の猿芝居である。科学の装いの下に欺瞞を押し付けている。このようにして、ICRP2007年勧告「付属書A」(A86)にはじまる筋書きは、思惑通りに進んだ。
たとえば、日本原子力ロビーは福島事故6年後の2017年、文科省諮問機関(現原子力規制委員会)「放射線審議会」において、本稿冒頭にみた読売新聞「社説」の提言を全面的に受け入れた。その導入の悪辣な手口を知るには、以下引用する「放射線審議会報告」をみればよい。この審議会報告と先のICRP2007勧告「付属書A」とを読み比べてみれば、共謀の手口がより鮮明になる。その捏造事実、論理のすり替え、勝手な憶説を定説にでっち上げていく立論過程がよくわかる。科学を装った詐術の本質がそこにある。
◇放射線審議会報告(2017年12月10日):「多くの調査において、線量とともに罹患率・死亡率が増加することが確認されているが、およそ 100 mSv 以下の、いわゆる低線量における影響の有無については、現在の科学的知見からは明確になっていない。この線量域では放射線によるがんの増加があったとしても、その程度は被ばくしない者と比べて疫学研究でも有意な増加として認められないほどわずかであり、生活習慣等の放射線以外の要因によるがんの変動に紛れてしまうために、低線量の影響の有無が明確でないからである。」(5)
この放射線審議会報告の引用からもわかるように、被曝影響の有無をめぐる論理のごまかしは、原発推進専門家の欺瞞と詐術を象徴している。あらためて、その手口を放射線審議会報告から読み取ってみよう。
① 立論の始点は、ICRPがいう「100ミリ㏜以下の被曝影響を立証する力がないという一般的合意」という論理である。ところが、いまこの論理は「論争の的」になっているという。だとすれば、これは科学的論拠にはなり得ない。これを前提にすることは、合理性を欠いた論理に依拠することになる。
② この不合理な論理を補強するかたちで広島・長崎の原爆疫学資料を持ち出している。だが、この疫学資料は放影研第14報の「ゼロ線量しきい値論」によって否定された代物であり、疫学上の論拠にはなり得ないことが明らかになった。にもかかわらず、100ミリ㏜以下の被曝リスクは「生活習慣等の放射線以外の要因 (喫煙、飲酒、野菜不足等・引用者注) によるがんの変動に紛れてしまうくらいわずかである」と断定する。誰が、いつ、どこで論証したのか、裏付けはない。
③ このような論証抜きの推論、反故にも等しい理屈、荒唐無稽なウソの論理を持ち出して、言葉のうえで「100ミリ㏜以下は被曝影響なし」という論理の正当化を試みている。常識的な低線量被曝リスク論の枠組みさえも飛び越えている。
いまや、このような粗雑な論理構成によって理屈に整合性を与えることが、原子力官僚や原発推進専門家の日常的役割と化している。彼らは科学的知見や事実を積み上げて論証するのではない。結論ありきの恣意的な論拠を仕立て上げるためである。数え上げればきりがない。事実の隠蔽、調査・統計のサボタージュ、針が振り切れるほどの体表面の汚染線量を測定・記録しないという証拠隠滅、数字のずさん・改ざん、計測・統計・検診規模縮小などを策動している。これは体制による科学の占有であり、底なしの学問の荒廃である。
補記
2019年9月現在、ICRPは大規模原発事故への対応策(Publication.109、111)を改訂して新しい勧告(ICRP1XX)を準備している。一般公衆への被曝線量限度年間1ミリ㏜を事実上投げ捨て、年間10ミリ㏜(10倍増)に引き上げようとしている。さらに、新勧告は参考レベル年間線量限度100ミリSvを認定しようとしている。それだけではない。放射線致死線量の下限値(1Sv=1Gy=1000ミリ㏜)(10%未満致死量)を被曝許容線量に記載しようとしている。消防士、警察官、医療関係者、作業員、市民ボランティアなどの事故への「対応者に対して…すべての実行可能な対策が1Gyを超えないようにすることを…勧告する」としている。この事故対応者(決死隊)への線量設定は、最大10%の死亡基準が前提である。このような大規模原発事故による犠牲をあらかじめ想定した被曝防護策への大転換は、公然たる大量虐殺の正当化である。もはや、安全神話崩壊後の原発稼働の大義名分は存在しない。残された道は公然とひらき直るだけである。その背後にあるものは何か。①次の大規模原発事故が切迫している、②トランプの「使える核」を使った核戦争による兵士・住民の被曝被害が現実化している。③宇宙戦争と核爆弾の宇宙使用の結果としての「核の闇」(大停電と電力システムの崩壊)が多数の原発を制御不能にし、核戦争と原発事故が同時多発する、という3つの破局的事態が想定されていると考えざるを得ない(渡辺悦司私信)。
参考文献(第Ⅲ部)
1 放影研広報出版室で確認済、2017年7月
2 ICRP2007年勧告』5.2. 被ばく状況のタイプ、p.44、(176)。同、p.75、(300)、表8。www.icrp.org/docs/P103_Japanese.pdf
3 環境省「防護の原則-被ばく状況と防護対策」
www.env.go.jp/chemi/rhm/…/h28kiso-04-01-04.html
4 『ICRP2007年勧告』p.131、付属書A、A.4.1.ICRP 放射線反応に関する基礎デー(A86)www.icrp.org/docs/P103_Japanese.pdf
5 2018年1月、放射線審議会「放射線防護の基本的考え方の整理」p.3。
www.nsr.go.jp/data/000216628.pdf
なお、福島事故発生の直後に「100ミリ㏜影響なし説」をいち早く公式表明したのはの「原子力災害対策専門家・内閣官房」(座長・長瀧重信)である。低線量被ばくのリスク管理に関する ワーキンググループ報告書」(まとめ)には以下の一文がある。主に依拠した論文は「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR、アンスケア)報告である。「国際的な合意では、放射線による発がんのリスクは、100 ミリシーベルト 以下の被ばく線量では、他の要因による発がんの影響によって隠れてしまうほど小さいため、放射線による発がんリスクの明らかな増加を証明する ことは難しいとされる。」(2011年 12 月 22 日)
www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/111222a.pdf(初出・2019年9月6日『ちきゅう座』)
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