私が会った忘れ得ぬ人々(13) 中田正一さん――生命系こそが地球の救世主となる
- 2019年 10月 14日
- カルチャー
- 中田正一横田 喬
三十年余り前、取材を通じて知り合った元農林技官・農学博士の海外援助指導者、中田正一氏に私は深く傾倒した。人間的に強く惹かれ、いつか自然に「先生」と呼ぶようになった。取材相手と接触を密にし、師と仰いだのは後にも先にもこの人だけだ。
初めて接触した当時、八十歳を迎えた氏はアフリカ最大の難民基地ソマリア救援のため五十日間の一人旅に立つ。隣国エチオピアから流入した八十万人もの難民が細々と暮らすが、彼らを飢餓から救うカギは食糧自給の確立。その核心は難民農場への灌漑用水の確保にあると知り、現地の実情に見合う水車や風車など自然エネルギーの利用技術を定着させようと目論んでのことだった。
訪問先の国境に近いルーク地方は赤道直下で雨量の少ない荒野。欧米や日本の民間援助団体がソマリア政府や国連機関と協力し、ここに難民定着農場を築こうとしている。農場はディーゼルポンプを備え、近くの川から六㍍ほど水を揚げ、縦横の水路で畑へ灌漑している。前年夏、氏が現地を訪れた時、オイル切れでポンプはストップ。せっかくの畑の作物はすっかり枯れていた。
ふんだんにある水力・風力など自然のエネルギーを生かす手立てはないか、と考えをめぐらす。川は流れが速く、また、この地方は砂あらしの本場で夜昼なく強風が吹きすさぶ。宿題を抱えて帰国した後、近くに住み、風力発電や揚水用の風車の研究・開発で全国的に知られる篤志家・加藤博さんの協力を得て、水車や風車の開発に取り組む。
まもなく、水揚げ風車の試作品が完成する。ビニール製三角帆六枚でできた直径三・六㍍の風車が一回転すると手押し式ポンプが一回上下し、その働きで地下水を汲み上げ、微風でも快調に作動する。じきに、揚水用水車が完成。強化プラスチック製の翼八枚を持つ直径一・六㍍、幅一㍍の水車が水の流れで回転し、ポンプを作動させて水を汲み上げる。近くの夷隅川で実験した結果、首尾よく八㍍の揚水に成功した。
中田先生はこの取材時から二十年ほど前に旧農林省を退職。海外協力に意欲的な農業青年の育成に私財を投じてきた。名付けて「風の学校」。「風」は現行の「石油文明」に対して風力や水力など自然エネルギーを活用する「もう一つの文明」の象徴。クワやカマを使う昔ながらの有機農法を独特の教育法で体得させる。学んだ青年約八十人の過半は、青年海外協力隊員などとしてアジア・アフリカの途上国で農業関係の技術協力に献身している。
先生は一九〇六年に兵庫県淡路島で生まれ、旧制九州大農学部卒。農林省当時は、主に農業改良普及事業に従事。農業教育の専門家としてアフガニスタンに滞在したり、農業プロジェクトのチーム・リーダーとしてバングラデシュへ派遣された。第三世界の国々の実情に見合う「適正技術」の開発を思い立つのは、バングラ滞在時の実体験からだ。
現地の稲刈りカマは鋼のない軟鉄だけのカマで切れ味が悪い。日本から招いた鍛冶屋さんにカマやクワなど刃物の改良指導をしてもらい、すごく喜ばれた。また、向こうの農民は稲の収穫時に、米と粃(しいな:実の入っていない籾)の選り分けに苦労する。日本から手回しの伝統農具・唐箕を送ってもらい、現地の大工さんに作らせたところ飛ぶように売れ、大人気を博す。先生は「適正技術」について、こう述べる。
――日本のハイテク製品はアジアやアフリカの国々の事情に合わないし、定着しない。
ローテクの古い技術の方がぴったり適合する。相手国の事情に合わない不適正な技術を持ち込むことは、技術協力ではなく技術撹乱につながる。
実は、彼は日中戦争たけなわの昭和十三年に召集され、工兵将校として中国各地を四年半も転戦している。戦場では川があれば工兵が架橋せねば、部隊は動けない。進攻作戦では工兵がいつも先頭に立ち、撤退する時は造った橋を壊してしんがりで退くのが常だ。危険な作業中、すぐ傍らに敵の砲弾が落下し、部下が何人も即死した。作戦の度に死を覚悟するが、不思議に紙一重のところで弾が当たらず、身を全うできた。
工兵ゆえに、最前線では罪つくりな所業も働く。退却する際は、敵の追撃を阻むため、川にかかる橋に地雷を仕掛けておく。向こうの軍隊が引っかかったなら未だしも、時には付近の村の女子供が誤って犠牲になることもないではなかったらしい。
晩年に「神戸新聞」に連載した「わが心の自叙伝」には、こう記されている。
――中国へ入ることは余りにも辛く顔も向けられないし、足を進める気持ちになれない。
せめて中国への罪滅ぼしの代わりに東南アジア・アフリカなどの苦しんでいる国々へ協力し、奉仕しよう。それで中国への贖罪の気持ちを少しでも表すことができれば、と思った。
彼は学生のころから教会へ熱心に通う敬虔なクリスチャンだったが、軍国日本の許ではそんな個人の良心や信条は許されない。兵役を忌避すれば、親や縁者にまで累が及ぶ過酷な仕組みだった。ともあれ、こと後半生に関する限り、彼の言行は私には「地の塩」「世の光」さながらに映った。かの「山上の垂訓」を思わす指摘を以下に抜粋する。
――先進工業国こそ地球環境の汚染・変調をもたらした犯人。来たるべき文明は生命系を大切にする農耕文明を基盤とするものでなければならぬ。生命系こそが自然の循環の異常を回復し、修正するための「救世主」となる。工業国は今や農業国から教えを受けねばならぬ立場だ。
――どこの国でも農民や一般庶民は、例外なく人情が篤く良い人ばかりだ。問題があるのは、異常に力を持った一部の人たち。政治的権力者とか、大変な金持ち・武力持ち・土地持ちだ。
私も彼ほどではないにしろ、海外にも多少は出歩いたが、全く同じ感想を持つ。最近の夏場の異常なばかりの暑気や集中豪雨、そしてプラスチックごみによる海洋汚染など地球的な異変を前に、先生(九一年に八五歳で没)の言葉をとくと噛み締めずにはいられない。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0868:191014〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。