テント日誌10月25日
- 2019年 10月 28日
- 交流の広場
- 経産省テント前ひろば
経産省テント前ひろば1807日後
あまりにもいろいろのことがあって、という日々 10月20日(日)
連休毎の台風や原発マネーの発覚、それに天皇の即位しなどいろいろの事がある。それぞれ考えたいことも多い。テントへの通い路では考え事に気を取られて電車を乗り越してしまうこともよくある。天皇のことはメールで質問を受けることも多いが、僕の感想というか、考えていることを長くなるが書いて置きたい。
来週の初めに(22日の火曜日)には天皇の即位式があるらしい。この日に予定されていた、パレードは延期になったが、その火曜日が休日だということを知らない人も多いとのことだ。今年のカレンダーには休日の表示がないのだから当然であるが、これは大きな意味で天皇への関心というか、意識が減衰しているのだと思う。天皇の存在やあり方に対する賛否を含めた関心の基盤が低下しているのだろうと思う。平成天皇も現天皇も、象徴という存在に相当に気を配り、それを守ろうとしているが、その象徴天皇制を変えようとしている自民党の面々(自民党の改憲案では天皇は元首に変えることになっている)はそれをどう考えているのだろうか、と思った。平成天皇は憲法を守りと言い、現天皇は憲法に寄り添いと表現のニュアンスは少し異なるが、現憲法を守ると言っているし、それには象徴天皇制を守るということも含まれているのだからそのことが気になる。
僕は象徴天皇制と国民主権は矛盾していると考えてきた。その矛盾からくるもやもや意識は国民主家の現在と方向を考えることでしか解消はしないのだと思ってきたし、現にそうである。たしかに、憲法の前文にある国民主権の規定と憲法の第一条(天皇の象徴としての地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく)をみれば、象徴天皇という存在は国民主権によって出来上がっているものとみえる。だが、どうもそこは曖昧さが残るように思える。天皇の即位にあたる儀式をみていると、それは象徴天皇というよりは君主主権に基づいた大日本帝国憲法下の天皇制の残滓が色濃くあるように思える。天皇の即位やその儀式は君権天皇の残滓というか、それが色濃く残っているように思える。君主主権の時代の踏襲を残してやっているように見える。国民主権に基づいた儀式などとは到底思えないのである。国民主権に基づく即位式なもっと違ったものとなると思う。これは少し考えれば分かることだ。
大日本帝国憲法下の天皇は統治権の総覧者であり、統治主体だった。天皇は統治主体であり、日本国家は天皇主権(君主主権)国家だった。国民主権は登場の余地のない国家だった。天皇機関説は国家法人説に基づく国家主権説のような立場を持っていたが、天皇主権を前提として認めていたから、天皇主権を明瞭にせよという国体明徴の要求の下で抵抗らしい抵抗もできずに敗北した。これは日本の国体論が天皇主権論(天皇統治の国家)、つまり君主主権の国家であり、天皇機関説はその枠組みにあり、それと根底から対立する国民主権という立場を持たなかった。国民主権という考えは敗戦を契機に憲法改正の過程であらわれた。それは戦争の遂行主体になった君主主権国家(天皇主権国家、神権天皇国家)への批判とその変革の声が出て来たからである。これは憲法改正案を準備する民間グループの声としてあったが、アメリカ占領軍が取り込んだという説もあるが、アメリカは神権天皇(君主主権の国家)と戦い勝利したのだから、これを変えようとしたし、憲法改正にそれを反映させようとした。アメリカ占領軍は占領統治のために天皇を利用しょうとしたが、君主主権の天皇は変えようとしてはいた。
日本の支配層は君権主義(天皇統治国家)の改変などは考えとしてなかった。国体(天皇統治国家)の護持は降伏の最大条件であったし、国民主権の登場は国体の変革になるし、革命を意味するからである。しかし、戦後の憲法改正で国民主権は明記された。これで国体の変革はなされたのかどうか議論を呼んできたが、憲法に国民主権が明記された事は明らかに君主主権国家(天皇統治の国家)は国民主権国家に変ったのであり、天皇統治と国体は変ったのである。その意味では一種の革命がなされたといわれても不思議ではない。(宮沢俊義は革命説を唱えている)。これは憲法学説や解釈としては分かるが、現実的には疑念ののこるものだった。天皇(君主)主権国家から、国民主権国家に国家が転換(革命)されたのなら、権威は天皇から国民に、天皇統治から国民の統治に変ったはずである。そのようには国民主権は権威を持っては来なかった。国民主権は憲法の条文の中だけで国民的な意識としては存在していないともいえるのだ。
国民主権は憲法に明記されたにしても、誰もが無視しえないかつて天皇のような権威を持たなかった。これは憲法9条と対比すると明瞭になる。憲法9条はアメリカ軍の押し付けであったにしても、戦争に対する国民の声が反映し権威を持ち、力となった。9条は簡単には変えられない。権威を持っている。これに対して国民主権は権威を伴ってはいない。これは象徴天皇が君主主権(天皇統治)を残滓として引き継いでいると思わされる理由である。
憲法9条は改正の必要も選び直しの必要もないが、天皇条項は改正ないし、選び直しをすべきだと思う。仮に象徴天皇のようなものを残すにしても、国民主権をより明瞭にした上での選択枝の一つとして考えるべきことである。国民主権の立場からみると、象徴天皇制は君権主義(天皇統治)の残滓が残っていて不断にそれを払拭して行く必要を思う。香港の若者たちが行動で示しているのは国民主権の発現であるが、習近平のパレードの姿は共産党主権の姿であり、これは君主主権を隠し持ったものか、国家主権の姿であり、国民主権には対立するものだと思う。日本の支配層は香港の若者たちの行動に危機感と不安を持ち、習近平の方に親近感を持っているのだろうが、僕らはそうではなく、香港の若者に共感する。この立場は天皇の就任式についての感想と重なるところがある。
天皇制や天皇の認識や理解は難しい。これは天皇統治という君主主権を本質に持ちながら、それを国体と政体に分けて表現し、本来は国民主権によった民主的政治形態(立憲君主制を含む)を形態(政体)として日本の支配層は取ってきたからだ。国民主権を排除した権力形態を国体としてとりながら、本来は国民主権に基づく立憲政体を国民主権なしに取ってきた。しかも俗にいう支配共同体の内では立憲君主制(天皇機関説)をとりながら、大衆的には国体論(天皇統治国家論)を取ってきた歴史があるからだ。例えば、日本の立憲君主制は背後に君主主権(天皇統治)を持ち、国民主権に基づく立憲君主制ではなかった。その意味では日本の立憲君主制はまがい物であり、擬態だったのだが、このことは国民主権ということを曖昧にもしたのである。
こういう歴史があるが、左翼の天皇制批判(日本共産党の三二テーゼ)は君主主権の天皇制の批判はしたが、それに対立するのは国民主権という立場であることを明瞭にしえなかった。日本の伝統的な左翼は国民主権という思想や理念を持たなかったが故に、君主主権に対抗し、それを革命する考えを持てなかった、
三二テーゼの天皇批判論は天皇制(君権天皇論)に対抗する国民主権論を持たなかったのである。その意味で天皇制批判は有効なものになりえなかった。天皇の即位式のことを考えながら、僕は国民主権のことをあらためて考えた。(三上治)
関西生コン関係の裁判に来た人、座り込みにも10月21日(月)
今日は雲に覆われた一日であったが暑くもなく寒くもなく座り込みにはよい日であった。今日は関西生コン労働組合弾圧に与した週刊実話を訴えた裁判が午後3時から開かれた。テントひろばに参加している人達も前回に続いて傍聴するため12時からの前段集会から参加した。わが乱さんなどはその為に有給休暇をとったほどである。前回の裁判で暴言をはいた右翼の差別主義者の傍聴を阻止するため大勢が詰めかけたが彼は来ず、代わりに違う人間が来ていたが抽選には落ちたようだ。その為に抽選に並んだ人達の溜飲を下げたのではないか。メデタシメデタシ
この裁判を担当している女性裁判長も極めて反動的でこちら側の弁護人があれこれ要求しても、一応聞いておく、というだけで裁判を進行していってしまってこちら側の言い分を真面目に受け止めようとしないそうだ。アベ政権に忖度した裁判長のようだ。元々、この裁判長は、この裁判の関係者は大阪にいるのだから大阪地裁に移そうとしてこちら側の弁護人に反論されて東京地裁でやらざるを得なくなったという経緯があるので裁判指揮権を使って反動的にやって来ているのであろう。
今日は北区のKさんが自宅近くの人からほとんど使っていない冷蔵庫を事務所に運び込むのに人手が必要なので私が手伝う為座り込み準備が完了したあと座り込みは早番の人に頼んで事務所に行って到着を待った。それから間もなく冷蔵庫を無事に事務所に運び込んだあと大きな冷蔵庫を私の家まで運んで貰った。これらの運搬に車と運転を買って出てくれたのはドン・キホーテ氏である。ご苦労様でした。その間に座り込みを担ってくれたのは常連の他に関西生コン裁判に来た人達でした。私が帰ってきた時にも6名が座り込みに参加してくれていた。経産省前は何事もなく過ぎていったそうです。
勿論、レジェンド・Sさんは今日も元気に国会前座り込みを終えたあと座り込みに参加してくれました。早番のSさんと交代でトラメガでのスピーチをしてくれましたー最後まで。最後に。新天皇の就任を全世界に宣言するため世界から絶滅危惧種の王族らを招いているアベ政権は皇居周辺を戒厳令状態にしていた。昨日からやっていたようで座り込み現場にも来たそうだ。差別の元凶である天皇制なんか民主主義の時代には必要ない❗ こんな時代遅れの代物は一刻も早く廃止しなければ日本に本当に民主主義を根づかせられない。(保)
即位式のものものしい警戒はなんだ 10月22日(火)
内幸町駅を出るとやけに警察官が多い、路地の入口には鉄柵まで置いてある、いやに人通りが少ないと思いながら、事務所に着き座り込みの準備をして小雨の中を経産省の正門前に到着すると門扉は閉鎖されていて警備員もいない、平日なのにおかしいな~と、思っていたら今日は、どうやら天皇即位式とやらで、休日だったのだ、座り込み近くの地下鉄出入口付近には、カマボコ車が停車しているし、交通規制もしている。(テントには警察官からの挨拶もなし)
相変わらず、小雨も止まず温度も低く寒い、おまけに強風のためバナーの設置は断念しノボリ旗だけにした。(強風のために破損したパラソルと、ノボリ旗の補修を撤収後事務所でOさんと行った)今日は、後半当番の人も休日を知らずに来られ拍子抜けしていた。それにしても、安倍の「天皇の政治利用は最悪だ」5月14日には内奏を行いその日のうちに写真と映像を公開したという、「内奏は天皇主権だった戦前の名残り」で、天皇が国政に関する機能を持たないとする憲法四条に反する行為だ。
13時15分頃に突然、皇居の方よりドカーンという大音響が聞こえて来てビックリ!その数21発即位式でぶっ放した大砲であろうか?なんと馬鹿げた事を都心のど真ん中で、呆れて物が言えない。あの馬鹿は、万歳三唱までやったそうな、もうどうしようにもない即刻退陣だ!新橋・銀座付近では、「天皇即位式反対デモ」が、乱闘服姿の多数の機動隊員にサンドイッチ状態にされながらも500人もの参加で平和的に行われにも関わらず、過剰警備で4名が公務執行妨害を理由に不当逮捕されたという(即時釈放せよ)。夜は「すべての公文書は西暦表示に!」の講演会に参加したが、長くなるので内容は割愛します。(Y・R)
話題は昨日の即位式のこと 10月23日(水)
朝、家を出るときは雲一つない快晴。経産省前の空は雲があったが基本的に快晴。風は割とあった。セッティングの最中に自転車のYさん来る。それからKさんも来る。しばらくぶりにSさんが来られる。
今日の話題は前日の天皇即位式について。大嘗祭はもちろんのこと、即位式だって天皇の身内の問題で、莫大な金をかけるのはおかしい。昨日は天皇即位式反対のデモや集会があった。おわ(りにしよう)天(皇制)ネットの集会やデモが新聞に載っていた。「差別の根源天皇制」「女性差別の天皇制」「民主主義破壊の天皇制」「平等壊す天皇制」等々、そういうバラエティーに富むシュプレヒコールはよかったとデモに参加した人は言っていた。
2時前か、パトカーがサイレンを鳴らして車3~4台を先導して財務省に入っていった。みんなは「天皇儀式にきたどこかの国の要人が財務省を訪問した」ようにみえたとのこと。規制委員会抗議の後、Kさんはいつものように演説。菅原はすぐ辞めろと。まったく、腐敗に満ちた大臣や国会議員に原発行政なんかできるわけはない。遅番の当番の人も来られたのでTはバトンタッチして帰る。(T・I)
相当冷え込みます、寒さ対策を10月24日(木)
郵便局で経産省前テントひろばニュース177号を各地6か所への、発送を終えて事務所に戻り座り込みグッツの準備をしていると、久し振りにシャワリさんが、仕事に行く前に寄りましたと言って、事務所からの搬出作業と座り込みのセッティングまで手伝ってくれました、いつも気になっていましたとの事、本当にありがたいことです。おかげ様で早番のIさんとヨーカンさんが経産省前に来た時には、座り込みのセットは完了していました。(早番のお二人が到着した時にはお仕事に行かれた後で二人は会う事が出来ませんでした)
14時過ぎに金曜日担当のSさんが、教員採用における不当処分に対する公判の傍聴後にしばらくの間座り込んでいただき、準レギュラーのOさんや、一瀬弁護士さんも参加されて後半当番のTさんが風邪のために抜けた穴を充分に埋めてくれました。それにしても今日は、かなりの冷え込みでした当番の皆様くれぐれも寒さ対策をよろしくお願いいたします。 (Y・R)
激しい雨の中でいろいろのことがあった 10月25日(金)
今日は台風21号がやってくるのではという予報が前々からあり、心配していた。しかし、その台風もずっと東の海上にそれ、たいしたことがないだろうと高をくくっていたがとんでもない間違えだった。
直近の天気予報ではお昼ぐらいを頂点に関東地方で大雨が降るというのでカッパをリックサックに詰めて出かけた。事務所に着くともう雨は降りだしていた。今日一日はカッパをずっと身に着けていなくてはならない。そう思った。経産省前にやって来たとき、雨の降り方は激しかった。でも、風はそれほどではなかったのでバナーを1枚つけ、座り込みを開始した。
確かにお昼ぐらいがピークのような感じで、降雨の状態は凄かった。台風並みである。やまない雨はないだろうとジッと我慢の子だったが、バケツをひっくり返したような降り方で、まさに滝のような雨だった。雨がカッパの中に染み込み、靴の中は水浸し、袖口も随分水を含んでいるようだ。いつまで降るのだろう。限界を超えていた。こんな時はレジェンドSさん来ないだろうなとMaさんと話していたが信念の人Sさんは私がトイレに行っている間にやって来た。Sさんの行動力には毎回のことだが恐れ入った。
そんなこんなで、いつも3時ぐらいには3~4人ほどやってくる男性陣も現れず金曜日の当番の5人だけであった。だが、仕方がないだろう。できる人がやるということで、無理はしなくてもいいだろう。長続きをさせなくてはならないから。
今日は朝から経産大臣の辞任の騒ぎがあったが大雨がそんなニュースを吹き飛ばしてしまったようだ。マスメディアの取材が全くやってこない。後で聞くと、辞任と同時に後任が発表されるなど何か隠されているものがありそうだ。菅原一秀前経産大臣の選挙ポスターには”脱原発派”というスローガンがあったそうだ。メロンとか公設秘書による香典の公職選挙法違反の問題以外にも隠された問題がありそうだ。その辺も辞任した要因になっていたのだろうか。
3時からはJKS(日本祈祷団四十七士)の例会があった。降りしきる雨の中でもマイクを持ち、サックスや太鼓を撃ち鳴らし原子力村の悪行を糾弾するJKSの人々。経産省への追及が鋭い。僕らもいつものように太鼓を借りて打ち鳴らす。最後にテントを代表して三上さんが挨拶をした。
雨降りのため身体が冷え切ってしまい、股関節痛がひどくなってしまったので、早めにきたくした。(S・S)
関電原子力マネー隠しの為に菅原経産相降ろし?10月25日(金)
午後一の院内集会<署名提出&政府・東電交渉:東電の「東海第二原発支援」はありえない>に参加した後、土砂降りの経産省前に。雨風強いので椅子類の半分を引き上げる途中、文科省前から学生たちの「聞こえるかい、聞いているかい、怒りが今また声となる」の歌が聞こえる。
経産省抗議行動は(風雨を避けて)横断幕やのぼり旗無しで、経産相が菅原から梶山に代わったニュースで始まった。前々日のNHKクローズアップ現代+で関電原子力マネー問題を厳しく追及された直後、安倍政権は「脱原発」を公約に掲げていた菅原では持たないと判断したのか。交代した梶山弘志新経産相は何と動力炉核燃料開発事業団(現日本原子力研究開発機構)に勤めていた。茨城県連会長ゆえ東海第二再稼働推進の為にも強力と考えたのか。ADR仲裁和解案を蹴り発送電網手抜きで千葉県大停電をもたらした東電が東海第二再稼働に高額支援は許せない。
関電東京支社前でも5時半から抗議行動が行われていた。多忙ゆえと申入書の受取を延期した関電に対して、原子力マネーの闇を明らかにせよ、直ちに原発止めよ、と訴えた。急いで首相官邸「裏」の抗議行動。少人数ながら、菅原とともに安倍もやめろ、脱原発・辺野古基地建設反対・格差拡大するな・韓国と北朝鮮の敵視止めろ、…と訴えた。(K.M)
:::::
11月1日(金) 経産省前抗議行動 17時~18時
官邸前抗議行動 18時30分~(反原連)
11月3日(日) 「アベ政治を許さない」のポスターを一斉に掲げる日 正午から国会正門前でも行います
11月3日 11・3憲法集会IN国会正門前 14時~
総がかり行動・全市民アクション他
11月6日(水) 函館市大間原発建設差し止め裁判
第21回口頭弁論 東京地裁203号法廷
函館市民に代わって傍聴をしよう。
11月6日(水)止めよう!東海第二原発 4
場所:日本原電本店(台東区上野5-2-1住友不動産秋原北ビル) 地下鉄銀座線末広町4番出口4分
11月6日(水) 第74回東電本店合同抗議行動
18時30分~19時30分 場所:東電本店前 賛同134団体
11月9日(土) 子どもを被ばくから守ろう 第13回新宿デモ
アルタ前ひろば 新宿デモ14時 アピールは13時から
11月10日(日) 原発ゼロ★国会前集会 14時~16時
場所:国会正門前 首都圏反原連(11月8日(金)の官邸前行動は休み)
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。