青山森人の東チモールだより…さっそく出て来たゾ、「前倒し選挙」の話が公的に
- 2019年 11月 2日
- 評論・紹介・意見
- 青山森人
20 周年だけではなく、30 周年も
何度もいうようですが、今年 2019 年は住民投票で東チモールが勝利をつかんだ 1999 年から 20 年目 にあたる年であることから、さまざまな 20 周年記念行事が組まれました。しかし今年は 20 年目だけに あたる年ではありません。30 周年もあります。
ローマ法王のヨハネ=パウロ2世が東チモールを訪問し、タシトゥールでミサを行ったのが、1989 年 10 月 12 日、いまからちょうど 30 年前のことです。ミサが何事もなく終わることを占領軍は望んだで あろうが、ミサが終わりに近づいたとき、若者が叫び声をあげ占領軍の望みを打ち砕きました。世界に 向けて軍事占領の現実を訴えようとする若者の叫びはミサ会場は揺るがしました(報道によると参加者 人数は10万)。このミサに参加した当時 14 歳だった男性は、ミサ会場の動揺を「まるで地震のようだ った」と表現します。また当時 17 歳だったジョゼ=ベロ君は、ミサの後バウカウへ帰る途中、バウカウ 手前の検問所でインドネシア当局に捕まり尋問をされました。ミサが何事もなく終わることに失敗した 占領軍は躍起になって締め付けを強化したのです。
閉ざされていた世界から外界に向けて声を発した若者たちの勇敢な行動は文字通り決死の行動であ り、住民に勇気を与えました。このおかげで抵抗運動の組織化が全国的に進み、山岳部のゲリラ兵士へ 物質が組織的に供給されるようになったのです。若者たちの抗議活動は、1991 年、占領軍に殺害され たセバスチャン=ゴメスの死を悼む、モタエル教会から「サンタクルス墓地」への大行進へと発展し、
この瞬間、若者たちの抗議活動は最高潮に達したといえます。なんとしてでも盛り上がる抗議活動の流 れを断ち切らねばならない、ある意味で追い込まれたインドネシア軍は、「サンタクルス墓地」を取り 囲み無差別発砲しました(「サンタクルスの虐殺」)。その結果、東チモール問題がますます世界に知ら れるようになったのは周知のとおりです。
したがって、30 年前のローマ法王の訪問は、侵略軍が東チモールに築いた「沈黙の壁」に風穴をあけ るきっかけとなった出来事といえます。
住民投票が実施された「8月 30 日」や多国籍軍が上陸した「9月 20 日」から 20 周年を祝う政府の ように“大騒ぎ”はしませんが、カトリック教会がローマ法王訪問 30 周年を祝っています。
30 年前にローマ法王が東チモールを訪問したことを祝う飾り付け。
2019 年 10 月16日、ベコラにて。 ⒸAoyama Morito
ローマ法王の東チモール訪問 30 周年を記念するミサが 2019 年 10 月30日、 タシトウールで行われることを示す看板。 2019 年 10 月 28 日、ビラベルデ、大聖堂前にて。 ⒸAoyama Morito
はて、60 周年は何処へ?
十進法で表される数字の一桁目がゼロであれば人は切りのよい数字と思ってしまうものです。数字の 表され方によってその出来事自体の歴史的な評価・再認識を怠ってはならないし、ましてや犠牲者にた いする追悼の念は普遍であるべきであることはいうまでもありません。それでも切りのよい数字につら れるのが人間という生き物とあきらめれば、20 周年・30 周年ときたら当然、今年は 60 周年の行事もあ って然るべきとわたしは思うのです。60 年前、1959 年6月、 「ビケケ・ウアトラリ・ウアトカルバウの 反乱」が起こったことをわたしたちは忘れてはなりません。
「ビケケ・ウアトラリ・ウアトカルバウの反乱」については、わたしは 10 年前この「東チモールだよ り」の 「第121号」 ・ 「第122号」 ・ 「第123号」そして「第124号」で、カルロス=フェリペ= シメネス=ベロ師による新聞への寄稿文を要約・紹介するなどして考察していますのです、どうかそれ らを読んでください。
この反乱にたいして当時のポルトガル植民地当局は虐殺・拷問・流刑などで応じたわけですが、現在 のポルトガル政府が率先してこの出来事の歴史検証をしている気配がなく残念なことです。また一般的 に「ビケケ・ウアトラリ・ウアトカルバウの反乱」は、歴史的出来事であるにもかかわらず、放置され ているのが実情です。
当時のポルトガル当局は東チモール住民を利用して反乱分子を弾圧し公開処刑をしたりしたため、ど の家族の誰がどの家族の誰を殺したという記憶が地元住民の記憶に残っていることは十分に考えられ ます。したがってこの出来事を掘り起こすことは東チモール人同士の対立の過去を見なければならず、 東チモール人にとってあるいは取り扱いにくい歴史かもしれません。しかしそもそも東チモールを占 領・支配した海外勢力は常に「分割して統治せよ」政策をとり東チモール人同士を争わせる戦略をとっ たのです。とくに 20 年前、住民投票が実施された前後、インドネシア軍が民兵と称する東チモール人 を利用して独立を支持する東チモール人を殺害せしめました。東チモール人が殺す側と殺される側に分 けられた事件として、「ビケケ・ウアトラリ・ウアトカルバウの反乱」が特殊性を帯びているとは思え ませんが、この出来事には諸々と不明な点が多々含まれていることは確かです。また、この出来事が放 置されているのは、インドネシア軍事撤退後に行われた、東チモール人同士の亀裂を修復するための「和 解」が不十分であることを示していることも確かです。
20 年前、インドネシア軍が撤退し、東チモールが国づくりに向かって新しい舵をきるとき、最高指導 者であるシャナナグズマン氏は、過去を忘れ、未来へ歩もう、というスローガンを掲げました。一見、寛容性に溢れる良いスローガンにきこえますが、違和感を覚えるスローガンです。過去を忘れては未来 へ進めないはずです。過去に目を閉ざす者は未来に目を閉ざす者だ、という名言もあったかと思います。
過去を徹底的に検証したうえで、過去は忘れない、だが許す、という境地に達して前に進めるのではな いでしょうか。過去を克服するための真の「和解」が成されていないことが、現在に至っても東チモー ル人の心の傷が癒されていない状況につながっているし、歴史的な「ビケケ・ウアトラリ・ウアトカル バウの反乱」が放置されている要因であるとわたしは考えます。
翻って日本政府は…と考えると、第二次世界大戦中に三年半ものあいだ東チモールを占領した歴史に ついて無視するかのような姿勢を貫いているのは誠にもって嘆かわしいことです。
本当にまた「前倒し選挙」をやるの?
前号の「東チモールだより」で、ルオロ大統領は閣僚候補者9名にたいし承認をしない行為に加え、 大使候補者にたいしても承認を保留する行為にでたことを伝えましたが、10 月 22 日、政府が再提出し た大使候補の名簿 14 名(すでに赴任した大使を含む)にたいして大統領は承認しました。これにより 決まらない大使問題は解決しました。それにしてもルオロ大統領がなぜ大使候補に承認を与えなかった のか、明らかにされていません。
さて、これも前号の「東チモールだより」で述べましたが、「前倒し選挙」をシャナナ=グズマンが仕 掛けてくるかもしれないという噂について。10 月 22 日、タウル=マタン=ルアク首相は、閣僚が決まら ない問題の解決の糸口が見出せなければ、「前倒し選挙」もありうるという考えを示し、「前倒し選挙」 があるのではないかという巷の噂がさっそく公的な話題となりました。テレビのニュースや討論番組で、 「前倒し選挙」はありやなしや、「前倒し選挙」は果たして政治的袋小路の解決策となりうるのか、こ んな時に「前倒し選挙」なんてやっている場合かなどなどと議論されています。
「前倒し選挙」はより強力な権力を握りたいシャナナ=グズマン氏の望むところであるといわれてい ます。野党フレテリンの支持率が約 30%と固定していることを考慮すれば、シャナナ=グズマン氏の権 力拡大という望みはつまり、PLP(大衆解放党)など連立政権を組む政党から自らの政党 CNRT(東チ モール再建国民会議)へ勢力を吸い盗ることを意味するはずです。そのシャナナ=グズマンの意向を PLP 党首のタウル=マタン=ルアク首相が口にするところに、タウル=マタン=ルアク首相の力の衰弱振りを 伺わせます。
現実を認識する能力に長けている本来のタウル=マタン=ルアク氏ならば、アフリカ豚コレラで多くの 豚を失った家畜農家や山火事などの災害で被害をうけた住民の救済にまず全力で奔走し、住民と対話し ながら首都のごみ問題の根本的な解決方法を探り、一般庶民の生活向上に無関係で無駄な事業に大金が 不正に使われる政府の体質にメスを入れるため、常に辞職を覚悟しつつ首相という立場を最大限活用し、 この危機的とも表される現状において「前倒し選挙」を話題にするヒマはないと「前倒し選挙」を口に する政治家を一喝するはずです。
しかしゲリラ参謀長時代からタウル=マタン=ルアク氏を支えてPLP創設のために尽力してきた支 持者たちが縁故主義者たちに取り囲まれたタウル=マタン=ルアク氏に近付くことが容易ではなくなり、 タウル=マタン=ルアク氏は現実から隔離された首相となってしまったようです。
「前倒し選挙」は誰がどう考えても現時点では非現実的ですが、年末近くになって 2020 年度国家予 算案にたいしルオロ大統領が拒否権を発動するかどうかが大きな話題となるころ、大統領と政府の対立 をいいかげんなんとかしなければならないという世論が盛り上がれば、国民に信を問うという名目がで きあがり、現実味を帯びた話題として「前倒し選挙」が語られることになるでしょう。いまはそのため の、いわば肩ならし、ウォーミングアップ、軽いジャブとして「前倒し選挙」の話題が世間を賑わして いる段階です。
青山森人の東チモールだより 第402号(2019年10月29日)より
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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