「親権」とは何か?-「家族」「親子」を考えるための基礎作業(6)
- 2019年 11月 2日
- 時代をみる
- 池田祥子
「地域子育て支援事業」とは何か?
少し寄り道が長くなったが、また本道に戻ることにしよう。
これまで、焦点はどうしても保育園(幼稚園)という「施設」問題に当てられてきたようだ。しかし、満3歳以上の子どもに限れば、幼稚園・保育園、現在では「幼保連携型認定こども園」「その他の認可外施設」まで含めると、100%までには行かないが、希望するほとんどの子どもがいずれかの施設に通園している状態である。
にもかかわらず、主として大都市に限られるのではあるが、今なお「待機児童問題」は完全に解決したわけではない。それは、ここでもしばしば指摘してきたように、満3歳未満(つまり2歳、1歳、0歳)の子どもたちの全員が、希望すれば必ずどこかの「園」に入れるような制度にはなっていないからである。そして、現在でも、「3歳未満児の約7~8割は家庭で子育てがなされている」と言われる(吉田幸恵・山縣文治『新版よくわかる子ども家庭福祉』ミネルヴァ書房、2019、p.148)。
問題の「満3歳ライン」である。つまり、幼稚園に入れる年齢が「満3歳児」からという明治時代以来の制度に根ざし、かつ戦後、「3歳までは母の手で」と強調されるようになったいわゆる「3歳児神話」が大きく影響しているのである。
しかも、高度経済成長が石油ショックでとどめを刺された1970年代半ばから1980年代にかけて、家族や地域の相互扶助の力を当てにする「日本型福祉」が改めて強調されてきた。0~2歳の子育ては、正直、病気も多いし、個々の違いも大きい。多勢を集めて、決められたルール通りに子育て業務がなされるわけにはいかない。つまり、人手もかかるし、その分、経費もかかる。だから、「3歳未満」は各家庭で母親が子育てすればいい。それが母子にとっても幸せだし、何よりも社会的経費がかからない・・・と、今の安倍総理も同じことを考えている(「3歳までは、母親がダッコし放題!」)。
ところが、この「幸せ」で「安心・安全」と思われた3歳未満児の家庭での子育てが、何やら危うい!・・・と思われ始めて浮上したのが、「子育て支援」であり、「地域子育て支援事業」なのである。
「子育て支援事業」の端緒
いずれにしても、日本の社会は、「子産み・子育て」を当たり前に引き受けたり、自然に楽しんだりする時代ではなくなった、そのようなことまで懸念させるような一大ショックを与えたのは1990(平成2)年、前年の合計特殊出生率が過去最低の丙午年(1966年)より低い「1.57」だったという事実である。ここから、いわゆる「少子化」問題が論議され始める。
最初に、「子育て家庭の負担軽減」を主張したのは、「子どもと家庭に関する円卓会議提言」(1991年12月5日)である。また、「これからの保育所懇談会」の提言「今後の保育所のあり方について」(1993年)は、これまで、保育所は「保育に欠ける」子どもたちの保育施設であり、通所する子どもたちの保育に専念すればよかったが、「理想とされてきた」家庭における育児は、実はかなり疲弊しており、主婦の育児ノイローゼや虐待も発生し始めている。したがって、これからは、保育所自身が、「地域の子育て家庭」の支援を行うべきだ、とも指摘する。
この後、児童虐待に着目する「子供の未来21プラン研究会」報告書(1993年)や、保育所の大幅な改革にいま一歩を踏み出せなかった「保育問題検討報告書」(1994年1月)が出され、そして同じ年の年末に、いわゆる「エンゼルプラン」と称される文部省、厚生省、労働省、建設省の「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」が出される。
同じく1994年、「子どもの権利条約」も批准されたこともあって、ようやく「すべての子どもの子育て支援」が具体的に検討され始めたと言うことができるだろう。
しかし、これらの提言は、内容的には1997(平成9)年、児童福祉法の大幅な改正に影響を与えるのだが(保母・保父の名称が「保育士」に、措置制度が「選択利用」制度に、など)、肝心の「地域(家庭)の子育て支援」については、別途の施策が用意されるのではなく、保育所自身に追加して要請されることになるのである。
具体的には、「地域の母親のための育児相談」や、さらに「(緊急)一時保育」などが、通常の保育にプラスして保育所の任務として付け加えられた。
スペースとして十分ではない保育室に、いきなり子どもが連れて来られて、環境にも、保育者にも馴染みのない子どもの多くは泣き叫ぶことになる。「ベテラン保育者なら、そのような子どもにも十分に対応できるはずだ、泣く子どもを、おとなしく遊べるように導けることこそ、保育者の技量のはずだ」、そのような脅しにも近いやり方で、最初の「保育所の中での地域子育て支援」が始まったのである。
「子ども・子育て支援新制度」下の「地域子育て支援」事業の実態
地域や家庭での子育て機能の弱体化やさまざまな困難を保育所にのみ担わせることの不条理は、誰が見ても明らかであったろう。保育者の疲弊や退職も相次ぐようになる。
そうして、ようやく2000年児童虐待防止法、2001年DV防止法が制定される。
さらに、2003年の次世代育成支援対策法、少子化社会対策基本法が出された翌年、児童福祉法が改正され、「子育てを家庭だけの問題としてとらえず、国や地方公共団体も含め、社会全体で支え合うもの、支え合う社会を形成すること」が確認される。
しかし、この間、民主党や自民党・公明党の間で、保育所・幼稚園の大幅な統一的な改革、すべての子どもを対象とする所得制限なしの「子ども手当」の設置などをめぐって鋭い攻防戦が展開されるが、民主党政権の下で発足した「子ども・子育て関連三法」(2012年)が、結局は、自民・公明党内閣の下で、2015年「子ども・子育て支援新制度」として発足することとなる。
ここに至って、ようやく「地域子ども・子育て支援事業」は、全体の制度の中に位置づけられ、市区町村が主体となって具体的に展開されることになる。
実際には、もちろん保育園・認定こども園や児童館に付設されるケースや、さまざまな実施主体(社会福祉法人、NPO法人、民間事業者など)による独自な形態のものもある(一般型)。
それぞれの地域や実際のケースによって、運営の仕方はそれぞれ多様である。多くは「登録制」だが、自由参加型もあるし、開所日、開所時間はまちまちである。指定された曜日と午前中だけ、というのもあれば、土日を除いて、ほぼ毎日、朝は9時(10時)から夕方の5時まで、というのもある。料金も無料のところもないわけではないが、大半はわずかであっても有料である。
家の中で、子どもと親だけで引きこもっていなければならない母(父)と子にとって、確かに「子育て広場」「○○ひろば」や「すこやかセンター」、時には独特な名前の「ぷくぷく」などは、子どもにとっては、家とは違う空間、絵本、さまざまなオモチャ、さらには保育者や仲間・友だちに出会える興味深い「ひろば」である。また、母(父)にとっても、自分の子と少し距離が取れるし、他の子どもの観察もできる。保育者に軽い悩みや相談もできるし、親同士の友だちもできる。確かに、幾分、便利ではあるだろう。
しかし、この「子育て支援」という発想は、基本的に「母(時に父)と子」をセットとして捉えている。「3歳未満」の場合は、母(または父)、要するに「親」が子育てをすべきであって、母(父)は子どもの側にいるべきだ、という考え方が前提なのである。
たとえ仕事をしていなくても、大人には大人の時間が必要である・・・という発想はここにはない。ましてや、保育所を、「親の就労のための施設」から、真に「すべての子どものための施設」に解放する発想は、カケラすらない。
「子育て」が重荷になって逃げだしたくなる、窒息しそうだ、子どもが邪魔だ・・・「虐待」スレスレの気分を醸成しているのも、この「母子(父子)密着」のある意味での強制システムなのではないか。「子育て」を楽しむためにも、母(父)と子は、逆に、自由に離れる空間と時間が必要なのではないのだろうか。「子育て支援」事業もまた、さらに問い直されるべき課題である。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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