大学入試への民間英語検定導入中止 - 壮大な詐欺計画 -
- 2019年 11月 20日
- 評論・紹介・意見
- 入試小川 洋教育英語
現・高校2年生が受験する大学入試の一部が突然、キャンセルされた。センター試験に代わって、20年度に導入される入試では、高3の間に民間英語試験を受検すること(2回まで)が求められ、多くの大学が、その成績を合否判定に利用することになっていた。萩生田文科相が、その中止を発表したのは、受検の前提となる登録受付の初日だった。多くの高校では、生徒から申込用紙を取りまとめて発送するところだった。基本的に高校入学時に卒業段階の入試制度は確定されてなければならず、実施1年余り前に突然、変更されたのだから異常事態である。韓国のような、日本以上に教育に関心が強い国であれば、政権の一つや二つが吹っ飛ぶくらいの事件のはずだ。
筆者は以前から、今回の入試改革の要は、大学入試を教育企業に開放することにあると指摘してきた。より直裁に言えば、政府・文科省と主要教育産業と一部英語教育研究者が、新たな利権を創出するために計画したものだった。制度の矛盾点を指摘し、反対を唱え続けてきた東大の阿部公彦教授(英文学)も、中止決定後は、ツイッター上で「詐欺」という強い言葉を使い始めている。
詐欺の定義は、人々の不安に付け込むなどして、「騙し、金品を奪う、あるいは損害を与える」こととされる。今回の民間英語試験の導入計画は、2013年の自民党の教育再生部会の報告にまで遡る。その後、中教審委員長を務めた安西祐一郎元慶応大塾長や財界関係者あるいは一部の英語教育研究者が中心となって、「入試を変えて、高校以下の英語教育を変えていかなければならない」という主張をした。一連の動きの陰に、竹中平蔵氏の姿が垣間見え、ベネッセなどの企業が裏で活発に動いていたことに気づいていた人も少なくなかったはずであるが、マスメディアの関心はいまひとつだった。
日本人は一般的に、英語に苦手意識が強いと言われる。とくに「聞く・話す」は弱い。英語力に自信がある人が、初めて出かけた海外で英語がまったく通じなかった、という挫折の体験もよく聞く。6年も学習して、日本の英語教育はまったくなってないではないか、という不満が出る。「話す英語」を強調するために生み出されたキャッチコピーが「四技能」という、聞きなれない言葉である。「読み・書き・聞く・話す」の四つの力をバランスよく身につけるべき、という主張だ。人によって必要な能力は異なるはずなのだが、バランスが大事だというのである。「あなたには、〇〇が不足しています」と人の不安を煽るのは、効果の怪しいサプリメントを売り込む企業のよく使う手法でもある。
詐欺を成功させるには、人々の漠然とした不安が前提となる。振込め詐欺が典型だ。日頃、音信の途絶えがちな子どもから、突然、「窮地に立たされているから助けてほしい」という連絡があって、潜在していた不安に火が付き、冷静に考える暇もなく、指示されたとおりに大金を振り込んでしまう。教育では、以前から「グローバル人材育成」が叫ばれ、小学校への英語教科導入なども進められるなど、子を持つ親たちは、英語教育への強迫観念が植え付けられていた。そこに付け込んだ新ビジネスが、今回の民間英語試験の導入だった。センター試験の受験生は毎年約50万人、全員が2回受検すれば、受検料が一回1万円として、100億円のビジネスが出現することになる。しかも、準備学習教材の需要も相当額が見込まれる。
先日も国際語学教育機関が、日本人の英語力が低いレベルにあり、さらに順位を下げているとの調査報告を出した。しかし、日本人の英語が振るわないのは、我々の先人たちの努力や日本語の特性などに、その理由があることを忘れてはならない。日本では、江戸後期の蘭学者たちが、ヨーロッパの学問を積極的に学び、日本語に置き換える努力を積み上げ、また漢字仮名混じりという、世界的にも珍しい言語が、それを可能としてきた。
高等教育を母語で学べる国は、国際的にも多くはない。現在、理系分野では、日本のトップレベル大学でも、一定の外国語能力を求められるのは、学部4年生になり、海外の最新研究にアクセスする段階である。かつて欧米各国の植民地だった国々では、多くの場合、高等教育を受けるためには、中等教育段階から英語や仏語の習得が必要となる。フィリピンでは、理系科目は初等教育から英語で行われる。文系科目こそフィリピン語(タガログ語)で行われるが、フィリピン語では理系分野の概念を扱いきれないのだ。
英語、中国語、タミール語、マレー語を公用語とするシンガポールでも、エリートを目指すには、英語で授業が行われる大学への進学が有利である。イギリスの植民地だった地域では、現地エリート層には英語教育を与え、協力者として育てながら、民衆には英語教育の機会を与えなかった。今でもインドでは、社会の上層部の人々は英語が堪能だが、中等教育で終わっている人たちの英語力は、ほとんど期待できない。
近年の日本の大学入試や大学改革における英語への偏執的な姿勢は、日本の言語環境の特殊性の理解が疎かにされているためではないかと思われる。学部の授業の一部を英語で開設するのも一種の流行りである。留学生向けならば、必要性も分かるが、日本人学生の教育に日本語と英語のいずれが適切かは論ずるまでもない。英語で授業を行えば、伝えるべき情報は日本語での授業の何分の一かになってしまう。日本の教育を無国籍化しようとしているとしか思えない政策をなぜ進めるのか。
自民党の文教族といえば、かつては利権とは縁の薄い、愛国心教育など、イデオロギー色の強い議員というイメージが強かった。ところが、安倍政権の7年間、道徳の教科化や社会科教科書検定など、教育行政へのイデオロギー的な介入を一層強めるとともに、森友学園・加計学園に見られるように、教育行政の私物化が著しい。民間英語試験の利用に否定的だった国立大学に対し、文教族の大物が、国の交付金の減額を匂わせながら利用を促したという話さえもが伝えられている。ヤクザ顔負けの言動である。政府与党がヤクザや詐欺師のような振る舞いに及んでいるのだ。
有能な詐欺師は、被害者が騙されたことを悟られないように事を片付ける。その点、今回の詐欺師たちは、あまり有能ではなかったようだ。センター試験の受験料は18,000円である。民間英語試験の受検料では2万円を超えるものもあり、また民間企業のやることだから、参加者が十分に見込まれない地方に会場は設営されない。そのため、とくに少子化の進む地方では不安と不満が渦巻いていた。
全国高校校長会が、民間試験導入の延期と制度の見直しを文科省に対して提出するなど、カモたちも騒ぎ始めていたのである。カモに騒がれるような詐欺計画が失敗するのは当然だが、詐欺師が改心することはない。今後も、手を変え品を変え、民間企業へのビジネスチャンス提供の試みを続けるはずだ。詐欺の被害を防ぐには、詐欺師の取り締まりと被害に遭いそうな人たちへの啓蒙が必要だ。安倍政権を取り締まることができるのは選挙民しかない。
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