天皇の「象徴的行為」について
- 2019年 11月 22日
- スタディルーム
- 子安宣邦
明仁前天皇はいわゆる「お言葉」で、「天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」といっていた。ここで「象徴的行為」ということがいわれている。これは耳慣れない言葉である。この言葉の由来は天皇以外にあるのだろうと思いながら、それを尋ねることもしなかった。今回あらためて尋ねて、これが「象徴天皇」をめぐる憲法解釈上の重要な問題にかかわるものであることを知った。
憲法の第一章「天皇」の第四条に「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とある。われわれはこれによって天皇の私的行為以外の公的行為はこの憲法が規定する国事行為に限ると考えるのだが、憲法学者の中には憲法の定める国事行為に限られない公的性格をもった行為を天皇に認めようとする説を主張するものもいる。その代表的な主張者は清宮四郎である。その説を小林武氏のまとめによって紹介しよう。
「天皇には、象徴としての地位、国家機関としての地位、私人としての地位があり、それに応じて、天皇の行為にも、象徴としての行為、国家機関としての行為、私人としての行為がある。国家機関としての行為を、憲法は「国事に関する行為」として明認しており、それは第四条によって、六条・七条に特定されているものに限られる。象徴としての行為については、象徴としての地位にあることから、当然にその機能を発揮するために特別の行為を行う必要が生ずるわけでなく、憲法にも象徴としての行為自体にかんする規定はないが、人間象徴が認められる以上、それが象徴として何らかの行為をなすことは当然考えられ、憲法もこれを予期している。「おことば」はそうした行為に当る。」[1]
小林がこのようにまとめる清宮の「天皇の行為の性質」という文章は1959年のものである[2]。そこでいわれた「象徴としての行為」が平成の明仁天皇によって認知され、体現されていったということである。ところで清宮では「象徴としての行為」は「国家機関としての行為=国事行為」とは区別された行為であった。そのことは象徴天皇とは「国家機関の天皇」とは別の「国民統合の象徴としての天皇」という理念的存在のあり方をもっていることになる。そして明仁天皇が「象徴としての行為」を通じて実現していったのはこの後者の「象徴としての天皇」である。だがこの「象徴としての天皇」は天皇の行為に「象徴としての行為」を認めるような憲法解釈とともに成立する天皇であって、現行憲法が前提し、この憲法によってわれわれが理解してきた天皇ではない。
現行憲法の第四条は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とある。これは天皇の行うことは憲法の規定する国事行為に限ると、天皇の為しうる行為を限定し、天皇を本質的に無権力者と規定するものである。それからすれば「象徴的行為」を通じて絶大な社会的影響力を及ぼしてきた明仁天皇は憲法が前提しない「象徴天皇」の新たな実現である。だが明仁天皇は憲法を尊重し、それにしたがうことをいう。われわれはそれに対して、天皇はただ清宮らの憲法解釈にしたがっただけだといいたい。明仁天皇が実現していったのは「解釈改憲」的象徴天皇像である。
石川健治は「この清宮説が、天皇を「国事行為のみを行う国家機関」として捉える戦後版・天皇機関説を唱えた宮澤俊義を打ち破り、通説になった」といい、この通説が「宮内庁をも支配して、天皇の「象徴的地位」とそれに基づく「象徴としての行為」を定位するのに成功した。先の天皇退位を決定づけた二〇一六年八月八日の「おことば」は、清宮説を咀嚼して書き下したものである」といっている。石川のこの言葉は尾高朝雄の『国民主権と天皇制』[3]の「解説」の末尾に述べられているものである。実は私はこの石川の「解説」によって「象徴的行為」をいう清宮説を知り、この説が尾高朝雄の国家論に由来することを知ったのである[4]。
京城帝大の教授であった尾高は、国家の存立はその意味ともいうべき〈ノモス〉の優越的存在を前提にするという国家論を展開した。〈ノモス〉とは法・規範を意味するが、これを尾高は国家の存立理由をなすような規範的理念とし、日本国家の〈ノモス〉は天皇に体現されているとした。統治大権の所有者である天皇は同時に「常に正しい天皇の大御心」という皇国的理念の体現者、すなわち〈ノモス〉の主権者であったというのである。この天皇における「ノモス的主権」をいうことによって尾高は「天皇機関説」を批判的に超えたのである。尾高は「国民主権」をいう戦後の新憲法においても「ノモス的主権」の体現者としての天皇のあり方は変わっていないという。
「国民主権の原理は、決して現実の政治が国民の思うままに行われてよいということを意味するのではなくて、「常に正しい国民の総意」を以て政治の最高の指針としなければならないという理念なのである。同様に、天皇の統治といわれるものも、天皇の現実の意志によって政治上の最後の決定が与えられて来たというのではなくて、「常に正しい天皇の大御心」を以て政治の範としなければならないという理念の現れなのである。故に、両者は、帰するところ、ともに「ノモスの主権」の承認であって、その点では何らことなった意味内容をもつものではない。」[5]
清宮は京城帝大時代の同僚であった尾高の「ノモス的国家」論を共有している。「国事行為」の遂行者である天皇とは別に、あるいはその上位に国民的統合の理念・〈ノモス〉的理念の体現者たる象徴天皇を位置づけ、「象徴的行為」という天皇の新たな行為概念を導くのである。
そして今、新たな象徴天皇の即位に当たって歓呼する国民は、新たな「ノモス的主権者」たる象徴天皇に真の主権者たる自負も自覚も譲り渡してしまったことを知らないのである。
[1]小林武「天皇の行為をめぐる憲法解釈についての覚え書きー「おことば」に関する清宮説への一疑問」「南山法学」9巻2号、1985.
[2]清宮四郎「天皇の行為の性質」清宮・佐藤編『(旧版)憲法演習—問題と解説』1959.
[3]尾高朝雄『国民主権と天皇制』「解説」石川健治、講談社学術文庫、2019。
[4]この問題についてはこの「解説」とともに、石川健治「象徴・代表・機関」『日本国憲法の継承と発展』所収、三省堂、2015.石川健治「国民主権と天皇制ー視点としての「京城」」『明治維新150年を考える』所収、集英社新書、2017.参照。
初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2019.11.13より許可を得て転載
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〔study1079:191122〕
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