香港区議会議員選挙結果の巨大な意義>―ゆらぐ一党独裁の根拠 ――習近平の中国(8)
- 2019年 11月 28日
- 時代をみる
- 中国共産党田畑光永香港
世界が注目する中、24日に投開票がおこなわれた香港区議会選挙の結果はいわゆる民主派の圧倒的勝利となった。投票総数約300萬、得票率は民主派57%、親中派41%。当選者数民主派395人、親中派59人、その他8人(11月26日・日本経済新聞による)。この意味の「巨大さ」を考えたい。
知られているように香港は1997年に英から中国に返還されて以来、「一国二制度」が適用される特別行政区として他の省・市とはことなる法的地位をもっている。その象徴的な存在が3つの選挙である。
まず特別行政区の行政のトップを選ぶ「行政長官選挙」、そして立法機関である「立法会議員選挙」、そして先日行われた地方議会たる「区議会選挙」である。中国本土では一般民衆は全国人民代表大会の末端である基層(地区や職場、所属単位)人民代表の選挙に参加できるだけ、それも被選挙権となると様々に制限されているのに比べれば、香港の参政権は格段に大きい。
といっても、それは中国本土に比べてというだけで、「一国二制度」も当初の想定とは今や似ても似つかないものに変質してしまっている。行政長官選挙は返還前には「返還20年後には完全な自由選挙」のはずだったのが、それが近づいた2014年に自由選挙でなく、産業界など各分野から選出された1200人の選挙委員による現行の間接選挙へと本土の命令で様変わりすることになり、それに怒った若者たちがあの「雨傘運動」を展開した。
立法会議員選挙も全員が自由選挙で選ばれるのでなく、定数70の半数を業界団体から選ぶことになり、また直接選挙も比例代表制となったり、当選後も議会で中国への忠誠を誓わなければならないといった「踏み絵」が設けられたりして、民主派が多数を占めるのは難しくなっている。
この2つに対して18選挙区で452の議席を争う区議会議員選挙だけは、18歳以上の市民に1人1票が与えられる選挙らしい選挙である。その結果はとてつもなく大きい。当選しても立法機能があるわけでもなく、政策提言程度の権限ではあるが、そんなことは今回はどうでもいい。
5月以来、何度も100萬を超える市民が「政治」に立ち上がり、思いを行動に移してきたそのエネルギーの量と方向とをここではっきりと数字にして残すことができたのが大きいのだ。中国では建国以来空前の壮挙である。
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中国共産党は選挙が嫌いである。有名な言葉を1つ紹介しよう。
「中国であなた方がやっているような多党制、三権分立をやれば、間違いなく大混乱だ。今日はこっちの連中が街に出れば、明日はあっちから出てくる。中国には10憶の人口がいる。1年365日、毎日が大騒ぎだ。それで日が過ごせるわけがない」
これはかの鄧小平が1987年6月29日に米カーター前大統領(当時)を北京に迎えた時の談話の一部である。(『鄧小平文選 第三巻』244頁 人民出版社 1993年)
鄧小平一流の諧謔であるが、この後2年も経たないうちに、あの天安門事件につながる北京の民主化運動が起こったことを考えると、鄧小平はそれを気持ちのどこかで予期していたか、などと想像したくなる。
閑話休題。中国共産党が選挙を嫌うのは、騒ぎが起きるからではなくて、選挙が怖いのである。
共産党政権はなぜ選挙をせずにここまでやってこられたか。それは革命戦争に勝ったからである。選挙は「風」で勝つこともできるが、革命はそうはいかない。中国共産党が武器にも不自由な少数の革命軍で、米国製兵器を持った国民党の大軍勢に勝つことができたのは、正義が共産軍にあったからだ。その勝利の重さは1回や2回の選挙で勝つことの比ではない。
周知のレーニンの「プロレタリア独裁」、毛沢東の「人民民主独裁」の根拠がこの論理である。命と引き換えに手に入れた権力を気まぐれな「風」に奪われるなど論外だ、というのは分かる。しかし、この命題に有効期限はないのか。それが問題である。引用した鄧小平の言葉は革命勝利38年後である。しかし、鄧小平本人は革命戦争を実際に戦った人間である。
常識的に考えれば、先の論理が通用するのはせいぜいが鄧小平あたりまでではないのだろうか。その後、中国共産党を動かして来た江沢民以下の幹部たちは革命体験者ではない。革命70周年を迎えた今の習近平以下の面々となると革命当時は生まれてもいなかった。
その面々が建国当初の「中国共産党がすべてを指導する」というスローガンを振りかざして、自ら「民意の代表」をもって任じ、仲間内の談合で生まれたに過ぎない「総書記」がいつの間にやら「核心」などと称して、全知全能の軍司令官でもあるかの如くに振舞っている。
このからくりを温存して、支配者として君臨し続けるためには、「核心」に国民が心服している形を整えなければならない。最近の中国のメディアが文革当時を思わせる個人崇拝に溢れているのはそのためである。
しかし、どの程度の国民がそれを真に受けているのか、その実態を国民同士が知った時を彼らは恐れる。昨年春の人民代表大会で国家主席の任期を廃して、実質、終身主席に道を開いた憲法改正についての投票結果を2970対0という喜劇的数字に操作することはできても、無名の民衆全員に1票づつ与えて治世について公に信を問う勇気は習近平にはない。選挙は彼の周辺では禁句であろう。
ところがそれが今回、香港で突如、実現したのである。どのような理屈をつけようとも、今回の選挙は実質的に中国共産党の香港統治、さらには中国全体の現状を肯定するか否定するかの二択の選挙であった。そして、出た結果にもっとも衝撃を受けているのは北京中南海の住人たちであろう。
今のところ、中国のメディアは香港の民意を直接論評しているものは見当たらない。あくまで「一国二制度」の中の局部の問題と位置付けて、市民に自重を求める(26日『環球時報』社説)、あるいは米国の干渉を批判したり(27日『人民日報』「鐘声」欄)、といったところが目に付く程度である。
われわれは「香港市民が共産党にノーと言った」という結果が広く中国の庶民の耳に伝わった後に聞こえてくる声に耳をそばだてよう。 (20191127)
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