政党や政治家に政争の愚を説くつもりはないが
- 2011年 5月 24日
- 評論・紹介・意見
- 三上治
西岡武夫参院議長が菅直人首相に「即刻、辞任すべきであるという書簡を送ったことが波紋を広げている。僕はこれをテレビの会見で見ておやと思った。菅首相の続投をめぐっては様々の動きがあることは知ってはいるが、それがこのような形で現れてくるとは想像をしなかったからである。西岡参院議長は三権の長の一人であり、首相の進退についてこういう発言をするとは念頭になかつた。確かに、菅首相の東日本大震災や原発災害に対する対応策のまずさに対する批判が広範囲のものであり、僕もそれは実感している。支持率だって20%そこそこである。また、政党や政治家が政争をしてはいけないという気はない。政党や政治家にとって政争は政治的行為として日々あるものだからである。ただ、その必然性が感じられるかというとどうも今一つの気がする。
菅首相に対して僕は例の小沢一郎はずしからの時期から批判的であり、今回の大震災にたいして政治家や政党が団結してことにあたる対応をとれなかったことには失望した。小沢一郎の党員資格停止を停止し民主党内の政治的一致を図り、その上で野党である自民党や公明党とも連携を果たし、大震災や原発問題に対応するということが国民の望んだ最低限の事柄だったと思う。だが、菅首相の対応には政治家の器量を感じさせる態度も度胸もなく場当たり的な行動しかなかった。大震災や原発災害の超党派で当たることができなかったことは菅首相の責任であり、政治的態度に帰せられる。自己の地位の保持に汲々とするあまり、危機のおける政治家の対応をすれば自然とその地位や評価も上がるものを逃がしてしまった。どこか勘違いがあるというか、政治家として狭量すぎるのだ。今の菅批判や菅降ろしの動きが止まないのは菅首相が招き寄せているものだ。だから、菅首相に同情はないし、その批判グループの動きたいしても批判はない。朝日新聞のように危機の中で「倒閣」に走る愚なんていわない。しかし、僕が西岡参院議長の発言に驚き感じたように、倒閣に動く政党や政治家に疑問がないではない。それは彼らに「何がやりたいのか」が明らかでないことである。大震災の復旧と復興や原発問題への対応が鮮明にならないことだ。政治は誰がやるかも重要ではあるが何をやるかはそれ以上の大事だ。民主党内の反菅首相グループも野党も特に大震災の復旧と復興や原発対応とやりたい構想がみえない。この間の民意も、その動きも把握しているようには思えない。大震災以前の政争を継続しているようにしか感じられない。大震災や原発災害の重大さが政治として理解されていない。これでは旧態依然の政争ではないか。
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〔opinion0474:110524〕
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