海の大人氏へ答える
- 2011年 5月 24日
- 評論・紹介・意見
- 大和左彦
海の大人氏から拙歌「日の本東なゐふる」への評をいただいた。社会科学の論文さえ、読み手は、しばしば書き手が考えた方向でより深読みしてくれたり、あるいは、全く考えていなかった事をも肯定してくれたり、反論してくれたりする。これこそ思考の集団性というものであろう。ましてや、詩歌ともなれば、誤讃や誤爆が常態に近いのかも知れない。
私、大和左彦は、海の大人氏が何者か知らない。山田恭暉氏に協力して、原発暴発阻止行動隊の訴えを百通近く郵送し、その訴えの裏面に「日の本東なゐふる」がコピーされている。それ故、百人の中の誰か、推定は出来るが、特定できないのである。
私は、東日本大震災・原発大厄のような国民的悲劇を論じたり、語ったりする場合、自分の本名・正体を明記しないのは、国民に対してあまりにも無責任であると考えるので、通常の文章ではもちろん本名を名乗り、長歌のような詩文においても大和左彦(本名)としている。しかしながら、「ちきゅう座」に乗った「日の本東なゐふる」には実名が消えている。それは、編集部の考えであろうから、この文章でも、大和左彦から海の大人(本名でないと思われる)氏へと言う形をとる。
私は、象徴天皇制市民社会の日本に生きる者として、「なゐふる一」において国民との共苦共感こそが象徴天皇の最高公務であると指摘した。そして御言葉を期待した。
その期待が自然体の形で見事にかなえられた事を受けて、復旧復興のプロセスにおいて「新たしき大和島根」の基礎固めに右は右なりに、左は左なりに努力しようと私の友人である右翼活動家=「右之彦」へ訴えたのである。それが「なゐふる二」である。中道リベラル全盛への異議申し立てでもある。「なゐふる三」は暴発原発の現場で放射能に身をさらして労働している様々な職種の人々に対する感謝の気持ちの表出であって、海の大人氏のように「賛美」と解されると違和感がある。また、ここに反歌がないのは当然である。短歌四首連作であって、長歌ではないからである。「なゐふる四」は、趣旨において「なゐふる三」と同じであるが、一部外国情報通インテレクチュアルのあまりに自由主義的な言行への批判である。「なゐふる五」は、ある意味で「なゐふる四」の微修正である。「四」の末尾で「心乱ず」と書いたが、それは、一種の意志主義的表現であって、これだけの自然災害・人的災厄に直面すれば、「心乱るる」所がある事を素直に詠歌した。「磐長の姫傷つきぬ」は、「君が代のさざれ石のいはほとなりて」の「いはほ=磐秀」が「さざれ石=細石」にもどってしまった事を意味し、「木の花の咲くや姫・・・のかんばせに・・・かげり」とは接近しつつある東海大地震にともなう富士山大噴火と浜岡原発暴走の恐れを含意させていた。富士山の神は木の花の咲くや姫であるとされている。
ところで、海の大人氏は、私の「日の本東なゐふる」の本質は、「天皇を対象とする呪」であると断言され、私は、それが「どのような呪なのか明確に出来ない」と批判される。これはまことに「想定外」の評価である。とは言え、「呪」とは一般常民にとって、おだやかならざる表現だ。しかしながら、天皇家の神話と歴史においては、呪は、必須の構成要素である事を忘れてはなるまい。天皇家の神話的初代のににぎのみことが美人の妹木の花の咲くや姫をめとり、醜女の姉磐長姫を追いかえした事を激怒して、父親の大山津見の神が「天つ神の御寿命は木の花のようにもろくはかないでしょう」と呪いをかけた事は、神話の初発のハイライトである。歴史の事実としては、平安末期における崇徳院(崇徳天皇)が「日本国の大魔王となり、天皇を民となし、民を天皇となさん」と血書し、天皇家に大いなる呪かけた事は、周知の大事件である。要するに、天皇家は、もともと呪の下に存続してきたのであり、呪いには免疫がある。仮に大和左彦が呪ったとしても、それは全く無効であろう。
最後に、「日の本東なゐふる四」までは、「レコンキスタ」に載せていただいていたが、今回、「一」から「五」まですべてを「ちきゅう座」の読み手に届けることが出来たのは、海の大人氏のご配慮によると思われる。記して感謝したい。但し、「ちきゅう座」の「評論・紹介・意見」欄3月30日に「日の本東なゐふる四」だけは、その注解とともに発表されている。
平成23年5月17日
大和左彦
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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