天皇を「日本国の言論不自由の象徴」にしている未開蒙昧の人びと
- 2019年 12月 12日
- 評論・紹介・意見
- 澤藤統一郎
今の日本に,はたして「表現の自由」の保障はあるのだろうか。とうてい、脳天気に肯定はできない。表現の自由の障害物を象徴するものとしてあるものが、天皇・皇室にほかならない。天皇・皇室についての「表現の不自由」が世にはびこっていることが、「あいちトリエンナーレ」でも証明された。
いっぱしの大人が、天皇に「陛下」という敬称をつけて語るという愚にも付かないことは、私の子どもの頃にはなかった。少なくも、私の周りにはなかった。それが、今は様変わりである。こんな復古の現象はいったいいつから,どのようにして生じたのだろうか。
まさしく今、「天皇は日本国の言論不自由の象徴であり、日本国民の言論自主統制の象徴でもあって、この地位は、天皇を政治の道具として重宝に使おうという保守政権の思惑と、無批判無自覚に天皇を崇拝する蒙昧な一部日本国民との合意に基づく。」
この時代状況で、冷静に天皇や天皇制を語る人には敬意を表せざるを得ない。その代表の一人が、原武史だろう。
12月7日朝日「(歴史のダイヤグラム)変わらない『奉迎』のかたち」は、さりげなく天皇制の過去と現在を語ってその不易の本質をよく表現している。以下、抜粋しての引用である。
1922年11月、皇太子裕仁(後の昭和天皇)は東海道本線を走る御召列車に乗って東京を出発した。目的は香川県で行われる陸軍特別大演習の統裁と四国4県などの視察。これは摂政として初めての本格的な地方訪問でもあった。
病気で引退させられた大正天皇に代わる若くて健康な皇太子を、四国の人々は初めて見ることになる。そうした人々に対して、皇太子はどう振る舞うべきか。同行した宮内大臣の牧野伸顕は、11月12日にこう記している。
「四国辺の如き質朴の民俗には相当すべき御態度可然。此方面にては只々玉体を拝する丈けにて無上の光栄とす。一々御答礼の如きは勿論ない。奉迎者間に最も多く聞く言葉は能くおがめたと云ふ事なり。此一言にて人心の一班[斑]を推知すべし」(『牧野伸顕日記』)
坂口安吾は、48年に発表された「天皇陛下にささぐる言葉」で、「地にぬかずき、人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業であります」「天皇が人間ならば、もっと、つつましさがなければならぬ」などと述べている。安吾の言う「未開蒙昧」は、牧野の言う「質朴の民俗」と見事なほど重なっている。
それはどうやら、天皇制イデオロギーなどというものとは関係がないらしい。このことが、11月10日に天皇と皇后が自動車でパレードした「祝賀御列の儀」でも証明されたのではないか。
牧野伸顕とは、大久保利通の次男であり吉田茂の岳父に当たる、藩閥政治家の一人である。薩摩出身の牧野が四国の人民を馬鹿にしているのだ。
「四国辺の如き質朴の民俗」「只々玉体を拝する丈けにて無上の光栄とす」「一々御答礼の如きは勿論ない」「最も多く聞く言葉は能くおがめたと云ふ事なり」。
「(裕仁において)一々御答礼の如きは勿論(必要)ない」とも読める一文を、原は「引用文中の『勿論ない』は『勿体ない』だろう」と解している。どちらにしても、「臣民は玉体を拝むだけのもの。拝むに任せておけばよい。いちいちの答礼などは不必要」という、天皇制権力の中枢に位置する人物の思い上がりがよく表れている。摂政裕仁は、この宮内大臣牧野の言のままに行動したのだろう。
他方、原が引用する坂口安吾の言はさすがに鋭い。「人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業」というのだ。今、なかなかこのように,ズバリとものが言いにくい雰囲気がある。
安吾の言う、「不自然・狂信・悲しむべき未開蒙昧」は今に続いている。11月10日「祝賀御列の儀」パレードに参加した,あの11万余の「質朴の民俗」こそ、「テンノーヘイカ・バンザイ」を叫ぶ政権に煽られた、「狂信者」であり「悲しむべき未開蒙昧」の輩。この輩が、天皇を「日本国の言論不自由の象徴」に仕立て上げているのだ。「政権」と「未開蒙昧の輩」。どちらが主犯で、どちらが従犯であるのやら。
(2019年12月11日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.12.11より許可を得て転載
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〔opinion9256:191212〕
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