冬から冬/新宿連絡会ニュース
- 2019年 12月 16日
- 評論・紹介・意見
- 新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議笠井和明
こんな自分にでも少しは社会の役には立つかも知れぬと、我々は長いことやって来たが、それでも目の前の現実はあまり変わることなく、暗澹たる思いのまま、ただ、その時代、その時代に立ち尽くすだけである。 社会が悪い、政治が悪い、役所が悪いと悪態をついても、それでは何も進まず、この間題は、我々の地域の問題であったり、家族の問題であったり、人と人との関係であったりと、そんなことも関係すると云うのに、多くの人々は、そこには目をつむったままでもある。
「弥縫策」と云う言葉があるが、これまでただ、穴を塞いでいただけの感もあり、その内、全体が朽ちていくような予感もする。
私たちが深く関わったホームレス者の「第一世代」、すなわちバブル崩壊後の、寄せ場日雇労働者、飯場労働者と、他の都市下層労働者が混じり合い、形成されてきた繁華街やその近辺、または都市公園などで暮らさざるを得なくなった、都市の側からすれば「新たな発見」された人々は、当時、平均年齢50代半ば前後であった。
そして、「発見」後、様々なことがあり、また、なかなか健康問題にまで生きていくのに精一杯の人々は思い辿らず、その後の過程で多くの仲間(見知り人)が亡くなった。今、生きている仲間達は、順次「後期高齢者」 の仲間入りの頃。年金や生活保護の問題をベースにしながら、今や老人系施設であったり、障害系施設であったり、介護保険の諸問題に直面するような世代となった。そこまで到れば、もう、路上に戻ることはあるまい(まあ、たまに居るが)
今、残っている人々のおおかたは、次の世代(「第二世代」以降)の人々で、「第一世代」が歩んだ道筋に、何らかの理由で乗ってしまった年齢問わない人々である。そして、今、対策も進み、景気も良化しているにも関わらず残っている(残っていると云う意識は当人達にはないだろうが)と云うことは、不器用であるだけではない、そこには「第一世代」とは違う、何かの理由があるのであろう。
彼、彼女らは「第一世代」とは違い、「補足」され難い。補足されやすい場所では、意識しているか否かは別にして、あえて暮らさない。なので、都などが行なう「概数調査」の数に素直に反映はされない。
「第一世代」を軸にする「概数調査」(固定層)の数は減っていく。新宿区などは、平成16年をピークにその後、なんと1,000名が減少し、追い出され場所を移動するのではなく、路上ではない自ら選ぶ生き方を選択出来た。それは、それで大きな都市政策の歴史でもある。
これらの時代で官民共に関連施設は多くなり、また簡易旅館やカプセルホテルやらも滞在場所として拡大し、また、建て替えられる前のアパートも地域には多くあり、また、今ほど外国人居住者が多くはなかった時、国内の困窮者の受け入れを引き受ける大家もまた多く居り、次のステップへと意外とすんなり移行できる環境にもあった。まだ地域に人情があった時代とも言える。そのようなものが背景にあって初めて大きな対策というものは順当に進む。今は、この国の高度成長を支え続けて来た人々の高齢化問題もあり、「持養ホーム」も都内のどの区にも出来るようになり、住み慣れた街が終焉の地になることも可能となった(まだ、地方の施設と云うのが多いものの、選択肢は色々と出来てはいる)。
「ホームレス第一世代」の対策史と、福祉政策の発展と云うのは意外と意外やリンクしていたのかも知れない。
ところが「第二世代」以降の今はどうかと云えば、大家もまた高齢化し、相続問題で売却したり、建て替えたり、大家が別の所に居を構え、投資物件化したりと、都市の一人暮らしの形は大きく変わった。江戸の長屋が、明治、大正、昭和と、開発のたびに削られて来、消滅したのと同じく、その昔は、ここ高田馬場でも平気にあった3畳一間のアパートであるとか、下宿スタイルのアパ-トであるとか、そんなものはいつの間にやらどこかへ行き、単身で暮らす場所は最低でもワンルームとなり、安い下宿なり、アパートなりは壊滅の一途。さらに民泊だなんだと、国内の困窮問題を引き受けようとする江戸つ子ながらの人情もまたすたり、「資産価値だけは落とさないでね」との地主層の合意のもと、「臭いもの」「面倒なもの」は行政に押し付ける、そんな地域が普通の地域に成り下がってしまった。
そうなると、路上から次のステップはどんどんと遠くなる。しかも、施設と云うか、集団で暮らしていけるようなフォーマルな場所も、「貧困ビジネス」撲滅を名目に規制されとのことである。そしてアパートも面積基準で家賃分が減額される処理のもと、区内ではワンルームはおろか、老朽化した共同トイレの昔ながらの木賃アパートが僅かに残るのみで、国が問題としている施設の方がよほど設備やら環境は良いと、そこから動くことがなく、それが「我が侭」と言われる始末となる。
我々が描く「ステップアップ」「螺旋状の階段」と云うものがなかなか上手く行かないのが、社会、地域、居住の環境、そして世代の違い、これ以上の経済成長はないとされる今、格差は固定化ざれ、どんなに平等を語ったとしても、下層の人々には夢も希望もない時代、まあ、確かに、そんな時代に残ってしまったら「(食えるのであれば)今のままが良い」と答えるかも知れない。
オリンピックで東京が変わったと云うのであればそれは一部都心の外観だけではなく、地域や街や繁華街が、とても世知辛いものに変わったと言うべきであろう。長淵ではないが「東京のバカヤロー」が、ますます「バカヤロー」に成り下がるのが、オリンピックと云う契機であったりするのかも知れない。
まずは残された人々に何が出来るのか、多くの人々がそう考え、様々な形で手を差し伸べようとしているし、また、「補足」されない人々を見いだそうともしている。
マスコミにせよ、ユーチューバ一にせよ、新たな「発見」を「角度をつけて」までしようと必死であり、今居る仲間達もいずれ「補足」「発見」されてしまうのであろうが、今の時代、「補足」したとして、その先に何か望を語ることが可能であろうか?若ければまだ良い。
適当な夢を見させることも出来る。しかし、加齢と共に夢は覚め、この厳しき現実の中、どう生き抜くかは、それこそ自己責任であることを知ってしまう。
まあ、難儀な時代と、難儀な冬でもある。
それでも、仲間と云う関係の中、お互い励ましあって生きている限り、どうにかなるし、小さな幸せと云うのはそこから産まれるのかも知れない。
冬は、また次の冬へと続く。
初出:「新宿連絡会NEWS VOL.77」 2019.12.8より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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