〈賄賂〉のある暮らしについて
- 2019年 12月 21日
- 評論・紹介・意見
- カザフスタン阿部治平
—八ヶ岳山麓から(301)―
以下の文章を読んで、どこの国のことかと問われたら、読者の皆さんはどうお答えになるだろうか。
(1)警察官に賄賂を要求されるのは、交通規則違反に対してだけではない。免許を取るにも、自動車教習所に通わず、賄賂を払って試験にパスしたとか、試験会場にすら行かずに免許証そのものを買ったとか、あるいはコネを使って入手したなど、様々なパターンが存在する。
(2)学位論文の執筆代行がある。新聞を開けば堂々と広告が載っている。給料だけでは食べていけない学者たちが、書き手を引き受けているという。
(3)より悪質なケースでは、重篤な病気やけがで救急搬送された患者や、陣痛を訴えている妊婦に対して、医者が臆面もなく金銭を要求することもある。
(4)教師や公務員のなかには、「非公式」の副収入を当てにこの職業をカネで買ったものがいる。
10年前だったら、私は「間違いなく中国」と答えたと思う。
だが、中国の大都市で交通違反をカネで見逃すのは、今日ではかなり困難になった。かなり多くの通りに監視カメラが設置されているからである。しかも罰金の電子決済が進んだから現金で受け取ることがなくなり、ネコババも不可能になった。だが、運転免許証はカネで買える。
中国にも博士論文・卒業論文などの代筆はある。私も大学教師から頼まれたことがあるから確かだ。新聞広告での執筆代行募集はみたことがない。だが、習近平国家主席が清華大学法学博士の学位を論文代筆によって得たといううわさは、かなり知られていた。
私が勤務した大学では、ご馳走とプレゼントと引き換えに教師連中が学生に合格点を与えることは、長年の慣行として定着していた。
悪徳医師の話は、1980年代までは普通に聞かれた。現在大都市ではこれほど悪質のものは少ない。医師への付け届け(「紅包」)も基本的になくなったといえるかもしれない。
公務員や教師などが副収入を当てにする事例は一般的である。公務員をめざす学生が「低賃金は問題ではない、副収入の方が大きいから」と口にしたのは、1989年の民主化運動の最中のことだった。現在でもそれは続いている。
冒頭にあげた4項目は、岡奈津子氏の著書『賄賂のある暮らし――市場経済後のカザフスタン』白水社 2019)からの要約の引用である。新聞で『賄賂のある暮らし』という本の広告を見て、あわてて買ってみたら、副題に「市場経済化後のカザフスタン」とあった。
汚職は日本にもざらにある。ただ私は、本書の内容が長年暮らした中国とあまりに似ているので、たまげてしまったのである。もとより両国とも、贈収賄は「悪事」ということになっている。だが、国柄が異なると汚職の仕方も、法違反の範囲も程度も変わる。中国では中共最高幹部の腐敗問題が摘発され、習近平国家主席の「ハエもトラも叩く」という発言があったから、地方にまで汚職取締りが浸透した。その「おかげ」でカネのやり取りは「悪事」の程度を高くし、一定金額以上の贈収賄はやりにくくなった。だが世の中そう急に変わるものではない。
現在ではハエであっても現ナマは危ない。そこで贈賄側は、まずちょっと見栄えがよくて安価の、絵なり陶磁器なりを目的の人にプレゼントする。これを気脈を通じた仲買人が出かけて、高額で買い取るのである。カザフスタンでは、こんな回りくどい方法はとらない。堂々と金額を示して請求する例が本書にある。しかも贈収賄が社会の底辺から上層まで、あまりに各分野・各階層に行き渡っていて、どこでどうこの腐敗に歯止めをかけるか手がない感じである。
カザフスタンも中国も社会主義経済から急速に市場経済へ移行した国家である。これについて岡氏は大略このようにいう。
――ソヴィエト体制下ではカザフスタンでも、低賃金であっても、医療や教育は無料で、カス・水道は低料金で、国有アパートも安く借りられたから、生活費は比較的安くてすんだ。だからカネよりコネの方が、生活上重要な手段だった。庶民は人と人の関係を利用して、不足しがちの日用品を入手し、役人に便宜を図ってもらった。工場の労働者は製品を、商店の売り子は商品を、医師は国から支給された医薬品を近しい人に横流しするなど、人々はコネの交換で計画経済の欠陥を補いあっていたのである。
体制変革直後のモノ不足の時期がすぎると、やがてコネが担っていた「非公式サービス」がカネで解決できるようになった。いまでも基礎的な医療や義務教育は依然無料だが、大学の授業料は高騰した。奨学金を受けるのにカネが必要になった。公共住宅の供給は減少し、住宅はローンを組んで入手するものに変わった。年金制度も揺らぎ始めている。
人と人の関係にも変化が起きた。友人知人に便宜を図ってもらうにも、なにかと「謝礼」が必要になった。「都市部ではカザフ人社会において当然視されてきた親族間の相互扶助も、一部その形を変えつつある」――
まさにマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」に記されたとおり、人格の品位を交換価値に解消させてしまう過程が確実に進展したのである。そこでカザフスタンでは、公務員の役職、運転免許証、交通違反のもみ消し、徴兵免除、バザールの営業許可証、公立保育園の入園枠、学校の成績、大学入試の点数、健康診断書や疾病証明書など、思いもよらない「サービス」が現金で買えるようになった。もちろん、中国でも役所の各種許認可事案から病院の順番待ちにいたるまで、公然か内密かは別として「有料化」が進んだのは同じである。
両国とも、いうまでもなくカネだけがものをいうのではない。公務員になるとか銀行から多額の融資を受けるとか、また官僚の役職取得などには多額のカネとともにコネが必要である。地位を買ったものが元を取るために、せっせと収賄に励むのも両国共通である。
一方、こういう世の中になると、カネがないものは、生活のために必要な社会的サービスを受けるのが難しくなり、日常的に不当な扱いに甘んじざるをえない。たとえば中国では農民工と少数民族の貧困層がその典型である。
こうした社会構造の頂点に立っているのが、カザフスタンではソ連時代からの国家指導者ナザルバエフである。かれは大統領辞任後も院政を敷き、反対派を各種手段で抑圧し、権威主義体制を維持している。彼の一族は、政治上、経済上の枢要の地位を占め、大企業の株式を保有し、巨万の富を築いている。「カザフゲイト」と呼ばれる汚職も明らかになっているが、かれの地位は微動だにしなかった。
ソ連体制崩壊後、バルト諸国や中東欧のいくつかの国家は、曲がりなりにも議会制民主主義に移行したが、カザフスタンも含めて中央アジアやコーカサスの国々は、おしなべてそうはならなかった。この理由について岡氏は、宇山智彦氏の見解を肯定的に引いてこういう。
「これらの国々で大統領への権力集中が進んだ主な要因は、ソ連時代に共産党が担った個別利益の公式・非公式な調整機能が、国会ではなく大統領に引き継がれたことにある」と。
大統領であれ、共産党の政治局常務委員会であれ、権威主義体制が続く限り、忠誠とカネは下から上に流れる。
岡氏は、2011年からカザフスタンの庶民が経験した「賄賂」の調査を行い、途中警察に咎められながらも、この腐敗構造に関する面接調査をつづけた。
本書は、中国の2012年の薄熙来事件とか2015年の周永康事件のような、体制を揺さぶるような大疑獄事件を研究対象にしたものではない。にもかかわらず、一般庶民も巻き込んだ腐敗構造が、自由権を制限し国家権力に対する批判を許さない専制政治に由来することをもののみごとに明らかにしている。私はこの力量に非常な感動を覚えた。
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