― 米トランプ大統領、就任1週間
トランプ大統領が就任して1週間がたった。この人のかずかずの奇矯な発言も、選挙中は「選挙だから」と聞くほうが弱音機を耳にかけて聴き、就任式でのそれも「お祭りだから」と気に留めないようにしていたとしても、もはやそれではすまないところに来た。
メキシコ湾を「アメリカ湾」へ改称、「デナリ」の「マッキンレー」への名称復帰などは就任式直後に大統領令へ署名された。でもこの程度ならかりに不快に受け取る国や人々はいるにしても、相手にしなければいいだけ話だ。
しかし、気候変動対策の「パリ協定」からの離脱を宣言した上に、自国の石油など化石燃料を「掘って、掘って、掘りまくる」と言い放つに至っては、真面目に自然環境を心配している人々を馬鹿にし、あざ笑うことで、ひねくれた人間の熱狂を買おうとするもので、アメリカという大国を任せて大丈夫かという心配が膨らむ。
そうなのだ。この人の奇矯な言動も選挙運動の一部と受け取れる範囲なら、選挙が終われば常識の枠内に収まるだろうと見ることもできるのだが、今、我々が目にしているのは、アメリカという大国の行政府の長の現実の言動なのだ。
今から3年前、プーチン大統領のロシアがいきなりウクライナの首都を攻撃したことに世界は驚愕したが、その戦いはまだ終わっていない。この間、かつての友邦に情け容赦なく砲弾を撃ち込むプーチンの所業に対してわれわれは驚きや怒り抑えきれない思いだった。
1年3か月前、イスラエル軍が「相手の攻撃に対する反撃」と称して始めたパレスチナ人居住区「ガザ地区」に対する猛攻撃は、ようやく「停戦」となったが、その痕を見て、あらためてイスラエルのパレスチナに対する「反撃」の無慈悲さ、強烈さには息をのむ。
しかし、同時にこの2つの戦いは、いつしか世界の「武力」に対する拒否感、嫌悪感を徐々に麻痺させつつある。人口が密集する大都市の居住区が、ミサイルによって大勢の命を飲み込んだまま瓦礫の山となった光景にわれわれは驚かなくなってしまった。
どういう風の吹き回しか。トランプの再登板はこの空気の中である。彼は不法移民を強制送還すると言って、早速、軍用機を持ち出してきた。不法移民たちをそれに乗せて、彼らの国へ強制的に送り届けてしまおうというのだ。ゴミの処分でもするように。
こういう過激な行動は多くの反対を呼ぶが、その過激さを喜ぶ人間たちの強い共感をも生む。今、世界的に政治では、あえて簡明に言えば、薄味の良識派より単純で刺激的な味覚が好まれるようである。昨秋の米大統領選はそれが端的に表れたが、ヨーロッパ各国でもこの傾向はだいぶ前から指摘されていた。
かつて世界は社会主義陣営と資本主義陣営とに分かれて対立していた。この東西対立の時代は東側諸国の社会主義制度の自壊で1980年代には消滅し、それ以降、資本主義諸国はそのまま残ったが、東側では各国それぞれに社会主義に代わるつぎはぎの上着をまとって、旧共産党の独裁国家として生き残った国もあれば、大統領選挙という名前の行事を実施しても実体はさまざまな手段で個人独裁を残している国もある。
ところが「そのまま残った」はずの資本主義もどうやら変質してしまった。それも資本主義の総本山であったアメリカで。トランプの周りを見ると、イーロンマスクをはじめ、メディアやEVその他、先端企業の所有者や大富豪たちが固めている。それとトランプの大向こう受けを狙った、過激な発言に歓声を上げる大衆とはいったいどういう関係にあるのか。
それはかつての軍事帝国の国王とその側近の武将たちが大軍の兵卒たちに檄をとばしている光景といった感がしないでもない(自分で見たことはないが)。これは資本主義の新しい風景なのか、それとも新しい時代のはじまりなのか。
なんだか見たくない芝居の幕が開きそうだ。ボケ老人の初夢ならぬボケ夢ならいいが。
(250127)
初出:「リベラル21」2025.01.28より許可を得て転載
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