≪2970対0≫の恐怖・・・ここからなにが起こるのか

著者: 田畑光永 たばたみつなが : ジャーナリスト
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新・中国管見(35)

 3月3日の政治協商会議の全体会議開会から始まって、20日の全国人民代表大会(全人代)の閉会まで、18日間という例年より長丁場となった中国の春の政治シーズンが終わった。長丁場となったのは昨年秋に5年に1度の中国共産党の(第19回)大会が開かれ、習近平総書記の再任はじめ共産党の幹部たちの引退・登用が行われた後の全人代であったことから、党人事に連動する内閣ほか国家機構での人事異動があったからである。
 しかも、今回はそのようないわば定期異動にとどまらず、大会前に突如、かなり大幅な憲法改正案が発表され、その中に国の元首である国家主席の任期について、これまでの「1期5年、2期まで」という制限を撤廃するという条項があり、かつまた過去5年の第1期習近平時代に腐敗摘発に猛威を振るった共産党の規律検査委員会に加えて、対象を党員以外の公職人員全体に広げる国家監察委員会という国の機構を新設することが含まれていたことなど、「内容豊富」な大会であったことにもよる。
 昨秋の党大会では、衆目の見るとおり「習一強体制」が強化されたことは間違いないにしても、はたしてその強さはどの程度のものかについてははっきりしなかった。
 江沢民、胡錦濤の時代には第1期の5年が終わり、第2期に入る大会では、次の5年後のトップたるべき人物が最高指導部の政治局常務委員会メンバーに入った。ほかでもなく習近平自身も胡錦濤総書記が2期目に入る2007年の党大会で常務委員となり、翌春の全人代で国家副主席のポストについて「後継者」であることを内外に明示したのであった。
 ところが昨年の大会で選ばれた常務委員にそのような後継候補は見当たらない。そればかりか、事前の下馬評では後継候補者の候補と見られていた2人の若い50歳台の政治局員のうち1人(孫政才)は腐敗で失脚し、もう1人(胡春華)は政治局員には残ったものの広東省トップのポストから外されて、ただ1人無任所政治局員とされてしまった。
 となると習近平は従来の「『総書記は2期まで』という慣行を廃して、居座り続けるつもりらしい。そのためには、68歳以上は引退という不文律も廃して、5年間反腐敗の陣頭に立ってきた69歳の王岐山を常務委員に留任させるだろう」という見方が一気に広まった。
 しかし、党大会では王岐山は留任せず、党中央委員にも選ばれなかった。そこで「さすがに習近平も10年以上の居座りは考えていない。後継者はこれからの任期中に何らかの方法で養成するはずだ」という見方も一定の説得力を持った。
 そこへにわかに憲法改正である。それも引退年齢の引き上げなどというなまぬるい方法でなく、国家主席の任期をなくして無制限に居座れるようにするという、習近平がまさに自分用に憲法を改正する正面突破作戦であった。
 しかもその理由がふるっている。党総書記、(党・国家の)中央軍事委員会主席、国家主席の3つのポストは「三位一体」(この言葉を使っている)であり、このうち国家主席だけに任期があるのは不合理だ、というのである。党の総書記や軍事委主席といった1人だけのポストに任期がないのがおかしいのに、国家主席をそれに合わせるというのは世界の常識に合わないし、理由がわからない。
 ともかく、今回の憲法改正で習近平が冗談でなく、終身、トップを続けようと考えていることがはっきりした。昨秋の党大会以来もやもやしていた霧が晴れた。これからは習近平をそういう人間として見なければならない。
 というわけで、やれやれこれから中国は大変だ、と他人事ながら案じていたところへ、追い打ちがきた。それがこの一文のタイトルである。
 3月17日、全人代で行われた国家主席選挙の投票結果である。この選挙は候補者1人の、いわば信任投票だから、圧倒的な票は予想のうちだが、それにしても反対も棄権もゼロというのには驚かされる。同時に副主席選挙も行われたが、候補者は昨秋で引退したはずの王岐山である。ということは、引退は習にとっても本人にとっても不本意であったことがこれであきらかになったわけだが、その王岐山に対しては反対票が1票だけ投じられた。
 このことは何を意味するか。政策の是非でなく、役職者を選ぶ無記名投票で3000に近い票に反対が1票もないというのはまるで奇跡としか思えない。これにはタネがあるはずだ。
 なぜそう言えるか。じつは昨秋の共産党大会に習近平はなぜか貴州省の選挙で大会代表の資格を得たのだが、その時も満票で代表に当選した。そして今度の全人代にはなぜか内蒙古自治区で習は代表の資格を得たが、その時も反対ゼロであった。つまり習近平には1票たりとも反対票は投じられないことになっているのである。
 中國のこういう選挙は候補者名が書かれた投票用紙に賛否を記入して投票するのだが、テレビなどで見られるのは壇上にいる偉いさんたちの投票の様子だけで、会場の何千人かがいくつくらいの投票箱にどういう手順で投票するのか、私は見たことがないので分からない。
 しかし、これまでの例ではっきりしたのは、これらの選挙ではだれがどういう投票したかを、集計する側は全部分かる仕組みになっていて、しかも、投票するほうもその仕組みを知っていて、反対票は入れられなかったということだ。そうでなければ、こんな奇跡は続けて起きない。王岐山に反対票を入れたのは王岐山自身ではないかと私は推測している。わざと習近平と1票差をつけるために。
 今回の憲法改正のもう1つのポイントは第1条に「中国共産党の指導は中国の特色ある社会主義の最も本質的な特徴である」と改めて書き込んだことである。党員は党中央と考え方を一致させなければならないし、党中央の「核心」は習近平である。がんじがらめである。それが3000人近い代表たちにしっかり浸透したことを確認したのがこの選挙であった。なぜそこまでしなければならないのか、様々な理由は考えられるが、それは改めて考えたい。しかし、なにか恐ろしいことが始まる予感がする。杞憂であればいいが。
(2018・3・21)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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