管見中国(41)
中国共産党の第18回大会が終わった。ご承知のように中国共産党はこの20年余りは5年に1度の間隔でしか大会を開かない。そして大会の役割は主として中央委員(候補も含めて)を決めることである。その選ばれた中央委員が大会翌日に委員会を開いて、総書記、政治局常務委員、政治局員などの首脳人事を決める。しかし1992年以降はトップの総書記と形の上では党大会の翌年春の全人代で選ばれる首相の2人は、2期10年は変わらないことが慣例になっているので、本当の人事大会は2回の内の1回、10年ごとである。今年の大会はそれにあたった。
もう一つ、今年の大会は毛沢東、鄧小平という建国の元勲の影響なしの人事が行われる最初であった。これまでトップないしそれに準じるポストに就いた人々、華国鋒、胡燿邦、趙紫陽、江沢民、李鵬、朱鎔基、胡錦濤のうち、華国鋒は毛沢東の、あとは鄧小平のお眼鏡にかなって首脳の座に就いたのだが、今回の(正確には前回大会で内定)習近平、李克強は名実ともにポスト鄧小平時代の首脳である。
という意味では、今年の大会は歴史的と言っていい大会なのだが、終わって首脳の顔ぶれを見ても、大会で胡錦濤が読み上げた報告やら大会後の習近平の挨拶やらを読んでも、なにも論評すべきことがない。中國を観察するものの端くれとして、なにか言わねば沽券にかかわると意地になっても、言うべき材料が見当たらない。
日本の新聞は最近の尖閣諸島をめぐる対立にひっかけて、胡錦濤報告の「海洋大国をつくる」の部分を抜き出して見出しに使ったりしていたが、胡錦濤はなにも「海洋大国」だけを言ったわけではなくて、「文化大国」も言っているので、今から特別に海だけを重視するというわけでもない。
しいて言えば、胡錦濤報告で2010年比、国民の収入を2倍に増やすとしたことが目新しいと言えなくもないが、それをどう実現するか抜きで、ただ目標として掲げるだけではじつはそれほど意味はない。というのはGDPに占める国民の消費支出の割合が米の約70%、日本の約60%に比べて、中国は約40%と極端に低いことが、中国経済が外需の変動に弱い最大の理由であるとは、リーマン・ショック以来の内外のコンセンサスであり、したがって所得の再配分が今、緊急に求められていることは常識だからである。
となると、結局、今大会の特徴は言うべきことがないことだ、とでも言うしかない。なぜか、と考えると、習近平、李克強はじめ今回選ばれた5人の新人常務委員について、材料がはなはだ乏しいからだ。観察者としてはまことに恥ずかしいのだが。
習、李の2人は50代前半で5年前の前大会で常務委員会入りを果たし、この2人を除く7人は年齢の関係で、今回全員が引退することは既定の事実だったから、この2人が新体制で総書記と首相になることは5年前から明らかだった。ところがこの5年間、この2人がどういう思想、とまではいかなくとも、どんな考え方の人間なのか、さっぱりわからないままであった。
習近平についてわずかに漏れ伝わってきたのは、2、3年前、メキシコでの在留中国人の会合で「お腹がいっぱいになって、することのない西洋人が中国のすることに文句をつけている」と語ったということくらいである。それだけで習近平は「対外強硬派ではないか」と言われたりくらいで、それほど判断材料に乏しい。3年前に訪日した時には、民主党の小沢幹事長(当時)が「一か月前までに連絡」という宮内庁の内規を無視して、天皇との会見を実現したことが話題になったが、あれは習本人の性格とは無関係だろうし、今春、訪米した時にはバイデン副大統領の歓待を受けたが、語り草になるようなエピソードは残さなかった。
李克強の語録としては、「わたしは中国経済についての統計は信じない」というのが、唯一知られている。これはこれで興味深いが、この一言にあまり意味を持たせるのも危険だろう。
このほか米との戦略経済対話で中国側のホスト役を務めてきた王岐山が、党員の腐敗に目を光らせる中央規律検査委員会を担当することになった。この人は一説によれば、かつて米国でトレーダーをしていたこともあると言われ、英語の達人で財政金融の専門家だが、なぜ規律検査に担当替えになったのか、これまた謎である。
あとは党中央宣伝部長としてイデオロギー、報道の分野を取り仕切っていた劉雲山、広東省のトップ時代、サーズへの対応がよくなかったと批判を浴びながらも、江沢民との関係ゆえか、かえって中央の副首相に昇格し、薄熙来失脚後の今春からは重慶市のトップを兼務していた張徳江、それに上海、天津のトップだった愈正声、張高麗の2人を加えて、7人が新しい常務委員会のメンバーである。
順番に篩にかけられて、最後に常務委員という黄金の椅子に座った(このポストは退任後も、秘書、弁護士、医者、運転手など35人もの家来が終生つくそうだ)のだから、それぞれ取り柄はあるのだろうが、それは党の上層部内だけの話で、一般にはなじみのない人間たちがどのように選ばれたのかも知らせずに(中央委員による「選挙」、ということになっているが、票数などは公表されていない)、いきなりあの大国に君臨するのだから、天下の奇観として眺めるしかない。
じつは今度の人事では、もうすこし論じやすい結果になることが予想されていた。この7人のうちの愈正声、張高麗に代わって、広東省のトップの汪洋、党中央組織部長の李源潮の2人が入るという構図だった。2人とも共産主義青年団出身で、李克強と合わせるとその系統が3人となり、習近平、張徳江、王岐山の江沢民系ないし太子党系と同数、それに両派に属する劉雲山で、ちょうどバランスの取れた配置になる。
しかも汪洋は去年の後半から今年の春にかけて大きな問題になった烏坎村の農民と幹部の対立事件では、現場に乗り込んで農民の言い分を聞いた解決策を採用して、喝采を浴び、改革の旗手ともみられていた。また李源潮は中央組織部長として、薄熙来処分の最後の断を下した人物であった。
こういう人間が排除された(2人は政治局委員には残っているから、失脚したわけではない)ことが、今度の大会の特徴と言えば言えるのかもしれない。ただ太子党派、江沢民派対共青団派という図式で、前者が既得権益派、後者は改革派というふうに色分けするのは、必ずしも正しくないと私は思っているので、今度の人事で既得権益派が勝ち、改革派が負けたとは考えない。
確かに対立は相当なもののようであるが、それは基本的には似た者同士の利権争いであって、おそらく中国の大勢には関係ない。その証拠には令計画という人物の一件がある。この人物はつい最近まで中国共産党の中央弁公庁主任というポストにあった。党の総書記の直下にある枢要のポストで、かつては現首相の温家宝も趙紫陽の下で務めたことがある。令計画は勿論、胡錦濤の直系の子分であった。ところがこの人物の息子が今年の春、ガールフレンドを乗せて車を運転中、交通事故を起こして死んでしまった。
それが党大会人事をめぐる首脳間の会合で江沢民派の批判を浴び、令計画は統一戦線部長という格下のポストに左遷され、胡錦涛は人事で守勢に回らざるを得なくなったと言われているのだが、じつはその息子が運転していた車はイタリアのかの高級車、フェラーリであった。フェラーリといえば薄熙来の息子も乗り回していたが、高級幹部の子弟の愛してやまない車のようである。
しかし、党中央弁公庁主任というのは純粋の党官僚ポストである。商売をしているわけでもないし、経済に関係するポストでもない。収入は月給だけのはずである。その息子がなぜフェラーリに乗れるのか。交通事故は問題になったが、フェラーリは問題にならなかった。それは共青団派も、太子党・江沢民派も、同じ穴のムジナだからである。
ともかくこうして歴史的な大会はなんのお話もなく終わった。むしろ今度の大会は、期間中なんと140万人もを一般から動員して警備にあたらせたこと、北京市中心部を走るバスやタクシーの後部座席の窓を開かないようにして、ビラの配布などがおこなわれないようにしたこと、党・政府に批判的な言動をする人間をあらかじめ北京から所払いにしたこと、などで歴史に名を残すかもしれない。それほど民衆を恐れた大会であったと。
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