2011.6.1 福島第一原発メルトダウンのもとで、放射能被害が深刻になってきました。福島県のこどもたちへの年間20ミリシーベルトという文部科学省の外部被ばく線量限度は、福島のお母さんたちの霞ヶ関への直接抗議で、ようやく「年間1ミリシーベルト以下を目指す」と修正されましたが、「ただちに健康には影響しない」と言われていた間にすでに膨大な量の放射性物質が排出され、その後も政府・東電は原発をコントロールできずにいますから、日々蓄積されて、内部被ばくを含め増えています。飯館村ではすでに、2か月あまりで累積20ミリシーベルトを越えました。小出裕章さんの解説では、チェルノブイリ事故の強制避難区域なみです。東京でもようやく、地上18メートルの文部科学省モニタリングポストではなく、こどもたちの背丈の地上1メートルで観測を始めました。福島原発の汚染水量が増えています。年末までに20万トンになるといわれ、フランス「アルバ」社の汚染処理は1トン1億円で総額20兆円になるとか。気の遠くなるような、原発のコストです。梅雨時でまた溢れてきていますから、4月4日の世界を驚かせた緊急放水の後も、海や地下水に流入している可能性があります。下水道の汚泥から、宮城から千葉沖にいたる海底の泥からも、高い濃度の放射性物質が検出されました。大地震・巨大津波で大打撃を受けた東日本の漁業・水産業は、国内外からの放射能汚染の不安が加わって、存亡の危機の中にあります。 日本国憲法第25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が脅かされています。
被災者を救援し原発事故解決を主導すべき政府も東京電力も、相変わらず頼りになりません。ようやく福島第一原発の24時間リアルタイム映像が「ふくいちライブカメラ」として始まりましたが、東電の情報隠蔽体質は相変わらずで、現場で格闘する下請け労働者たちの被ばく量は、十分把握されていません。民主党に大きな影響力を持つ労働組合の連合が、昨夏決めた原発推進政策をとりあえず凍結したのは朗報ですが、労働組合は原発労働者の人権を守ってくれません。肝心の国会での討論は、与野党の政局駆け引きと民主党内抗争に引きずられており、緊急に必要な福島原発の封じ込めも、地震・津波被災者の救済も、先延ばしになっています。何よりも、世界史的事件としての3・11を体験した日本の、将来をめぐる政治路線の選択になっていません。菅首相は、政権にしがみつくためのパーフォーマンスであれ、世論調査向け支持率回復策であれ、浜岡以外の原発を稼働させるための政治宣伝としてであれ、まがりなりにも浜岡原発を停止させました。原発依存からの脱却の強いメッセージにはなっていませんが、エネルギー基本計画を「白紙に戻し議論」し、G8サミットでは再生可能エネルギー重視の方針を国際公約しています。もともと「原子力村」と癒着した自民党こそ、「人災」としての福島原発事故に歴史的責任を負っています。自民党や公明党が、過去の自党の原発政策を深刻に総括し、脱原発への舵取りを明言するなら別ですが、河野太郎議員のような明快な脱原発派はほとんどおらず、むしろ「原子力村」存続と補助金依存のグループが、野党の多数派です。ですから、菅内閣への批判も、すっきりしません。もっぱら首相の初期対応や情報隠しへの批判で、それ自体は正しいにしても、代替政策・代替指導部の顔が見えません。6月2日に内閣不信任案が自民党・公明党共同で提出されましたが、否決されました。民主党内小沢派ばかりでなく鳩山派もそれに賛成すれば、ちょうど1年前の「鳩山おろし」の再来、いや民主党内にとどまらない政界再編の政局がありえたのですが、けっきょく鳩山前首相が引導を渡して、菅総理が民主党代議士会で近い時期の退陣を表明、執行猶予付きで首がつながりました。海外からみれば、「愚かな落日の国ニッポン」でしょう。
本サイトの震災・原発特設ページ「イマジン」のリンクは、連日増えています。ドイツの与党は、2022年までに国内の原発すべての停止を決定しました。スイス政府も、段階的な脱原発を決定しました。チェルノブイリ後に原発を止めたのに、政府が「クリーン・エネルギー」としての原発再開を予定していたイタリアでは、いったん「原発復活を無期限に凍結する」とした政府の先送り案が最高裁で退けられ、脱原発野党の求めた6月12/13日国民投票が行われます。いずれも日本のFUKUSHIMAに衝撃を受けた、国民の強力な反対運動、市民の脱原発デモに応えたものです。ちょうど1年前、昨年日本の6月政変も、普天間基地移転日米合意への沖縄県民の強力な反対運動が背景にあり、民主党連立政府が、これに屈折して応えたものでした。つまり政局・政変は、震災・原発被害者の切実な必要や願いからすれば、矮小で無策の権力争いです。そうであっても、その方向性、屈折の程度を規定するのは、国民の運動であり、マスコミの世論調査・誘導にとどまらない主権者の民意です。マスコミはほとんど伝えませんでしたが、またドイツやスイスには及びませんが、日本でも脱原発の運動は、各地で展開されています。首都圏では、4月10日の高円寺、5月7日の渋谷につづいて、6月11日に、脱原発・全国百万人アクションがあります。東京では午後から各地でデモが行われ、夕方6時に新宿東口アルタ前広場に合流という設定。梅雨模様で放射線入りの雨が気がかりですが、ぜひとも強力な、政治を動かすデモンストレーションにしたいものです。この希望のイベント、全ての情報は http://nonukes.jp/wordpress/で。
前回も述べましたが、「脱原発」は、日本国民にとって重い課題です。1945年以後の日本の核政策・エネルギー政策の歴史からすれば、原発導入を直接に担った正力松太郎や中曽根康弘ばかりではなく、日本の国家と社会の総体が、大きな反省を迫られています。占領期新聞雑誌資料データベース(プランゲ文庫)を調べると、占領期日本の言説空間では、広島・長崎の原爆被害は検閲され隠されていましたが、敗戦を導いた巨大な「原子エネルギー」についての畏怖と希望は、日本国憲法制定と並行して、広く語られていました。「原子力時代」「原子力の平和利用」の言説が、大新聞から論壇・共産党機関紙誌にまで、溢れていました。右派よりも左派が、それを主導していました。占領期新聞・雑誌の見出しでの「原子力の平和利用」の最初の提唱者は、著名なマルクス主義者である平野義太郎『中央公論』1948年4月号論文でした。「社会主義の原子力」を、資本主義を凌駕する「輝かしい希望」の源泉と信じていました。原子力に未来を託す「アトム」の漫画も、手塚治虫より前から出ていました。いわゆる「戦後民主主義」「戦後復興」は、「原子力の夢」にあこがれ、同居していました。
もうひとつつけ加えれば、原発は、核兵器と同じように、旧ソ連中心の東側「社会主義世界体制」の接着剤でした。旧ソ連が、西側NATOに対抗して、東欧諸国をワルシャワ条約機構(WTO)に組み込み「プラハの春」をはじめとした周辺諸国民衆の自立の動きを武力で抑圧したように、ソ連製原発・原子力技術は、東側経済相互援助条約(コメコン)を通じて、東欧諸国をエネルギー基盤の面から支配し従属させるテコでした。そのため現在でも、旧ソ連社会主義の影響下にあった東欧諸国は、原発依存から脱却できないのです。また、下斗米伸夫さん『アジア冷戦史』(中公新書、2004年)が先駆的に明らかにしたように、中ソ対立の背景にも、ソ連の核開発技術供与をめぐるスターリン、フルシチョフと毛沢東の対立があったのです。日本の左翼勢力は、こうした構図のもとで、「脱原発」に積極的になれず、「原子力の平和利用」の神話に呪縛されていました。ちょうど60年代まで、ソ連や中国の核兵器を「社会主義の防衛的核」と容認していたように。だから、高木仁三郎さん、広瀬隆さんらの「反原発」運動は、東西冷戦を背景とした社会党・共産党・労働組合中心の社会運動の中では、孤立を余儀なくされたのです。そうした事情の思想的意味を含む日本の原子力政策史は、吉岡斉さん『原子力の社会史ーーその日本的展開』(朝日選書、1999年)がお勧めです。ただし、アマゾンで古本が2万円です。3・11以後の日本では、思想状況も液状化しています。広瀬隆さん、小出裕章さんらの書物が、大変な勢いで広がっています。それぞれの思惑はともあれ、自民党河野太郎さんばかりでなく、長く「反原発」に対立してきた日本共産党がようやく「脱原発」を明確にし、保守の論客西尾幹二さんが「脱原発こそ国家永続の道」を発表しています。財界でも、ソフトバンク孫正義さんの「メガソーラー」計画や楽天三木谷社長の「経団連脱退」発言が話題になっています。つまり、「脱原発」は、日本の国家と社会のあり方の全般的転換、「戦後との訣別」を意味します。核兵器・核エネルギーを一体のものととらえて考え、「原子力村」の談合による微調整に終わらせることなく、「自主・民主・公開」の広い国民的討論の中で、「脱原発」を選択すべきです。