私は11日の本欄に掲載した「『米中対決』から『米の孤立化』へ 習近平、狙いはマクロン取り込み」という一篇で、仏マクロン大統領が5~7日の中国訪問の後、「台湾問題でヨーロッパは米中の対立に巻き込まれるべきでない」と発言したことについて、これはおそらくウクライナ戦争発生以来、「中ロ・対・米(=西側世界)」という対立図式が定着しつつある状況の中で、中国が「中国と欧州」を一極とすべく動き出した、つまり米欧間を引き離して新しい図式を生み出そうという努力の現れではないか、と書いた。
果たしてその後、米でも欧州でもこのマクロン発言が大きな波紋を呼び、マクロン大統領は何度も釈明する羽目に陥ってしまった。
改めて事の経過を整理しておこう。
マクロン大統領は4月5日から7日まで中国を公式訪問した。大統領には約60人の仏大企業の幹部が随行し、その中に加わっていたエアバス社代表と中国側が同社製のエアバス160機の購入契約に署名するという儀式も設定され、両国の結びつきを謳いあげた。
マクロン大統領と時を同じくして欧州委員会のフォンデアライエン委員長も北京を訪れていて、6日には欧州の両首脳と習近平国家主席は個別の会談のほかに、3人での会談も開かれた。
それらの会談では、ウクライナはもとより台湾問題も話題になり、これについてはフォンデアライエン委員長が個別会談で、「台湾海峡の安定が何より重要だ。平和と現状維持がわれわれの明確な関心事だ。緊張が生じた場合は対話を通じて解決するのが重要だ」と、武力行使の可能性を否定しない中国側に釘をさすような発言をしたと言われる。
これに対して習主席は「一つの中国の原則に言いがかりをつけるなら、中国政府と人民は絶対に許さない。中国が台湾問題で妥協すると期待するのは妄想だ」と反論したという。
マクロン大統領が台湾問題で個別会談、三者会談を通じてどんな発言をしたのかは報道では明らかでないが、「共同声明」ではその第6項にさりげなく「フランス側は一つの中国政策を堅持することを重ねて表明した」とある。
問題はウクライナでのやり取りである。
6日の習・マクロン公式会談での習発言の一部―「中国は欧州が危機を政治的に解決するために建設的な役割を果たすことを支持する。フランスとともに国際社会が理性と自制を保ち、危機をさらに悪化させたり、さらには制御不能に陥ったりさせないように呼びかけたい」(外交部の発表文)
ここで習主席は「フランスとともに」との言い方をしている点に注意していただきたい。
翌7日、マクロン大統領は北京を後にして、南の広州に向かった。すると、習主席もまた広州に向かったのである。これは前から予定されていた行動ではなく、いつ決まったかは不明だが、別々の飛行機で広州に向かい、現地では習がマクロンを案内して『松園』という「嶺南の園林」(新華社)をノーネクタイで散策し、『白雲庁』という建物で「千年の古琴」が「千年の絶唱」(同)を奏でるのを聴いたりした。そしてこの夜も前夜に続いて習がマクロンを接待する夕食会が開かれた。いかに国賓とはいえ国家主席が二晩続けて来賓を接待するのは破格のもてなしである。
そこで問題はこの日の話の中身である。新華社広州4月7日電(記者楊依軍)は「双方は引き続きウクライナ危機などともに関心のある問題について、深く意見を交換した」と伝えている。
そこでの習発言―「ウクライナ問題については、中国は決して私利によって問題を処理しようとせず、終始、公平公正な立場に立つ。関係各国はそれぞれ責任をもって相対し、政治解決の条件をつくりださなければならない。フランスが危機を政治解決するための具体的な方策を出してくれることを歓迎する。中国はそれを支持したい。そして建設的な役割を果たしたい」
マクロンの発言―「フランスも同じように考える。ウクライナ危機を解決するには各方面が合理的に問題をとらえることが重要だ。フランスは中国の国際的影響力を重く受け止め、中国と密接に協力して、危機の早急な政治的解決のためにともに努力したい」
楊依軍記者は、ここで「夜色ようやく深まり、習近平とマクロンは別れの言葉をのべた」という一行を挟んで、「習近平はこう指摘した」と続けるー
「この二日間、われわれは北京と広州で深く、質の高い意見交換をして、互いの理解と信頼を深めた。今後の中仏両国の二国間、国際間での協力の方向が明確になった。そして中仏関係、中国と欧州の関係、さらに多くの国際的および地域的問題でも同様な、あるいはよく似た見方をしていることは大変喜ばしい。これは中仏関係のレベルの高さと戦略性を表している。引き続き貴方とは連絡を密にし、中仏両国の全面的戦略的互恵関係を新しい高みに引き上げたい」
マクロンからー「習主席の暖かいおもてなしに深く感謝する。二日間の意見交換で、中国の悠久燦爛たる歴史、文化について理解、現代中国の政治理念についての理解は深まった。今回の訪問は大きな成功で豊富な成果を得た。必ずや中仏関係のさらに発展させると思う。習近平主席とは密接に戦略的意思疎通を続け、来年、習近平主席がふたたびフランスに来訪されるよう期待する」
今回のマクロン訪中のムードを理解するために引用が長くなったが、ポイントは6日と7日で習近平のウクライナ問題についての発言が大きく変わっている点である。
6日は「ウクライナ問題の解決に欧州が建設的な役割を果たすことを期待し」、「フランスとともに」では「…呼びかけたい」と、まあ平凡な、ありきたりの文言が並んでいる。
ところが7日になると、調子ががらりと変わる。フランスに「和平案を出してくれ、中国が支持するから」と、ウクライナをめぐる国際会議が開かれることを予期し、そこで両国が主導権を握って事態を動かそうという戦略を持ちかけているのである。しかも「建設的な役割を果たしたい」と言いつつ、出されるべき提案の内容には一言も触れていない。言うなれば、どんな案でもいいから出してくれ、そして両国主導で事態の解決―停戦を目指し、戦後の主導権を両国で握ろうという思い切った提案である。
開かれてもいない、もっと言えば、開かれるめども立っていない国際会議での戦略戦術を、それも小声で持ちかけるならとにかく、天下に向かって大声でやりとりするというのは、およそ常識的でないが、中国の立場で考えるとほかに今の苦境を乗り切る手段はないのかもしれない。
中国がプーチン大統領のウクライナ侵攻を支持したことは天下周知のことであり、開戦1年後の今年2月24日に出した「ウクライナ危機の政治解決に関する中国の立場」という文章でも、「戦争に勝利者はいない」などと恰好をつけて、「停戦と交渉開始を主張」しているが(第3項、4項)、肝心の「最初に銃口を開いたのはどちらか」、「どこの軍隊がどこの領土にいるのか」、という事態の根幹に口を閉ざしているから、まったく説得力がない。
一方、負けるわけにはいかないプーチンからはおそらく西側のウクライナへの武器援助に対抗する援助を求められているはずだ。しかし、ここで公けにプーチンを助ける行動に出れば、まさに世界を戦争の淵に立たせることになり、さすがにためらわれるというわけで、習近平としては身動きができない状況に立ちすくんでいるはずだ。
そこで、ここで新しい顔の仲裁役を登場させ、中国がその片棒を担ぐ形になれば、なんとか自分のメンツも立つというのが、7日の非公式会談でマクロンに持ち掛けた「仏が提案、中国が支持」(提案の内容は不問)という苦肉の策だったのではないか。
おそらくマクロンは不意打ちを食らって驚いたはずだ。しかし、だれがやろうと妙案がないのは同じだとすれば、ここは「中仏連携」という目新しさにかけてみる気になったのではなかったか。
さて、このマクロン氏の判断は少なくとも西側メディアの世界では批判の嵐を起こすことになった。米の政治家が台湾に立ち寄る、あるいは台湾の総統が米に立ち寄って政治家と話す、この程度のことで大がかりに軍を動員して、ミサイルを発射するといった中国の態度はどういう理屈をつけようとも大国の軍事力をかさに、威嚇でものごとを自分の思う通りにしたいという傲慢でしかない。西側諸国が反感を持つのは自然な流れである。
問題は果たして中仏共同でウクライナの戦火を消すことができるかどうか、である。ともかくウクライナ、ロシアの双方がそれでいいと納得して、戦火がおさまれば第三国も文句のつけようはないはずだ。しかし、そうはならずに中国が平和の仲介役という飾りを身に着けるだけでは、大きな悲劇の途中にはさまった下手な喜劇の一場にしかならない。
非難合戦はさておいて、次は中国が動くのか、仏が動くのか、それを見守るしかない。(230414)
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