「中国は法治社会か」

――八ヶ岳山麓から(246)――

中国湖南省長沙の裁判所は12月26日、国家政権転覆扇動罪などに問われた人権派弁護士、謝陽氏に刑事処罰免除の判決を言い渡した。謝氏が罪を認めていることや、社会への危害の程度が低いことを理由としている。人権派弁護士に対する刑事処罰免除の判決は異例。(中略)
ただ天津市の裁判所は26日、国家政権転覆罪に問われた別の人権活動家呉淦氏に、政府の悪口を言ったとして懲役8年の実刑判決を言い渡しており、政府に批判的な言論への厳しい姿勢は基本的に変わらないとみられる(共同・産経2017・12・26)。

いま中国では、「依法治国(法によって国を治める)」が強調されています。にもかかわらず、なぜ中国では上記のような摩訶不思議な裁判結果が生れるか。答えは簡単、「中共が一切の社会活動を領導する(中国共産党19回大会の習近平報告)」からです。中共の意向に従えば軽く、従わなければ重罪です。
厳しい監視の目をくぐって、中国のネット上に、こうした中国の法状況に真っ向から挑んだ論説が現れました。呉侃氏のエッセイです。呉氏は中国刑法では条文に犯罪の構成要件が明記されないために、罪刑法定主義が貫かれず、罪刑が法執行者の専断にゆだねられていることを糾弾しています。
呉侃氏の素性はわかりません。以下は彼のエッセイの「さわり」です。( )内は阿部。

中国は法治社会か
                呉侃
今日の中国が「法治」国家であるか否かといえば、まちがいなく「否」である。なんとなれば、憲法の序言に「中国各族人民は中共の領導下、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論……によって導かれ、人民民主専政と社会主義の道を堅持し、……」と書かれているからだ。つまり中共は、「専政(独裁)」を行なうと明言している。独裁政権がどうして法によって統治できるのか。

中共は文化大革命終息後、文革を「10年の大災難」といいつづけ、「四人組」が法制度を破壊し「公安・検察・裁判」をめちゃくちゃにしたといってきた。文革が「公安・検察・裁判」を破壊したのは事実だが、これを中共の法治の後退だというのはまちがいだ。というのは、1979年にはじめて「刑法」ができるまで、どんな法律もなかったのだから(刑法のほか刑事訴訟法、民法・民事訴訟法も79年に公布された)。
中共は建国直前、「(中華民国時代の)法律は統治階級の武力によって強制する、いわゆる国家の意識形態であって、……ただ統治階級の利益を擁護する手段に過ぎない」といい、国民党時代の六法全書は「階級の本質を覆い隠す形式のあらわれ」として政権獲得以前の法をいささかも継承しなかった。
中共は政権樹立後、「反革命鎮圧」を実行したが、そこでは「無産階級の専政」のスローガンで思うままに人を捕まえ、簡単に人を殺した。1979年以前はそもそも法律がなかったのだから、中共の「公安・検察・裁判」は罪刑を決めるのに、いかなる法律にもよらなかったのである。
君は、公安が力ずくで人を連行し、検察、裁判所が無実の罪を着せるのは、今日の現象だと思っているだろう。だがそうではない。それは昔から一貫した中共の作風だ。

とはいえ憲法は1954年に作られている。これはソ連憲法をもとに毛沢東が秘書の田家英など数人に書かせたものだ。だが、彼らのなかには法律がどんなものかわかるものがいなかった。だから54年憲法はスターリンの憲法を下敷きにせざるを得なかったのである。
ところが例外がある。政権樹立の前、江西(瑞金、1930年前後)で武装割拠したとき作った「婚姻法」だ。婚姻関係を保証するものじゃない。離婚を支持するものだ。これはひとこと離婚したいといえば離婚できるというもので、当時はこれを「個性の解放」といった(これは一概に否定できない。婚姻法には封建的な婚姻関係解消の意味もあった)。
あの時代、性関係の紊乱は中共内部に限ったことではなかった。公然であろうが内緒だろうが、紅区(中共支配地域)全体にはびこっていた。中国では結婚離婚は組織の批准が必要とされてきたが、それはこの時代が始まりだったのだ。

文革が終った1977年から、以前幾多の政治運動で打倒された老幹部が権力の座に再登場した。しかし復活したとはいえ、それまでに彼らは深く傷つき、気持に「おびえ」が残っていた。だから、彼らはふたたびみたび政治運動で打倒されるのを避けようとして、法律の制定をつよく求めた。ところが、その一方で民衆の手に法律が握られて、彼らに反抗されるのもまた恐れたのである。
そこで1979年の法律の条文は(犯罪の構成要件が)あいまいな文言になった。できるだけ法律の中にポケットをつくり、いつでも君やぼくなんかを閉じ込めるようにしたのだ。そういうわけで、現代法は一般大衆を保護するものにはならなかった。だから今日中共は法の名のもとに民衆を迫害することができる。これがとりもなおさず中共がいま「依法治国」を強調する理由なのだ。

21世紀に入ってから、中共の法律専門家は文革がもたらしたような退行現象は、再びありえないといったほらを吹くようになった。たとえば、
「建国からの30年、中国の法制は建国初期から一定の発展を遂げ、改革開放後は法治の発展は急速だった。とくに依法治国の推進によって、中国は法治に進む最良の時期、最高の水準になった。これは客観的事実であり、疑うべくもない」と。
1997年「刑法」が改定され、悪名高い「反革命罪」が取消された。とはいえさらに新たに多くの罪名が加わった。たとえば「刑法300条」だが、これは信仰集団を迫害するもので、いわば思想犯罪の取締りだ。宗教を犯罪とするのは人類の信仰、文明に対する誹謗である(中国では邪教とされた法輪功だけではなく、キリスト教各宗派も許可された教会以外は宗教活動を許されない)。
「刑法300条」の文言には異なった解釈がある。たとえば「迷信」は犯罪とされるが、1979年「刑法」の「封建迷信」によって解釈するのか、それとも全国人民代表大会の法律工作委員の解釈によるべきか。ひとによって解釈が異なるのであれば、なにが「邪教」かわかるはずがない。中国史上の暴政といえば、元朝がいつも槍玉に上がるが、元朝はどんな宗教も禁止しなかった。

(2015年に)「国家政権転覆罪」で、709人の弁護士が弾圧された(一般には300人という)。彼らがもし暴力を行使したというなら、国家政権転覆罪は適用されない。その前の条文の「武装反乱・暴乱罪」だ。
司法当局の解釈では、「国家政権転覆罪」は国家政権、社会主義制度を転覆させる行為の着手を必要とはしないという。709人の弁護士の犯したとされる「国家政権転覆罪」は、第2項の「流言飛語、誹謗、あるいはその他の形式で国家政権の転覆を扇動したり、社会主義制度を覆そうとする」という条文によるものだ。
問題は「流言飛語」や「誹謗」だが、なにが「流言」であり、「誹謗」であるか定義がない。どんなふうにでも解釈できるから、いくらでも罪を善良の人にかぶせ、迫害できるのである。さらに中共の法律にはいつも「その他の形式」という補充条項がついている。だが、誰も「その他の形式」が何だかわからない。法の執行者は使いたいときにこれをもちだし、罪を捏造する。
つまり君が政権を転覆しようとしなくても、政府に対する不満を口にしただけで「扇動」の罪を犯したことになり、「国家政権転覆扇動罪」を適用されるのだ。

中共の法律は悪法というだけではない。実際(の法行政)では、罪刑を決めるのに証拠を必要としない。必要なら「証拠」は捏造して、それを犯罪の生産ラインにおくだけだ。そして逮捕・起訴・証拠・法廷・裁判などという文言をもって人を騙す。
中共はさまざまな方法を考え出し、法治の名をもって民衆を統治する。それで間に合わなくなったら、別な手を考えて人々を支配するというわけだ。(2017・12・27記)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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