4-2.イエスの変貌-「自分だけを崇めよ」
この本の第19章の「次第に増して行く熱情と興奮」から以降の諸章はイエスの変貌を追いかける上で非常に興味深い。イエスが次第に「神がかり」になると同時に、弟子に対して「自分だけを崇めよ」と厳しい要求を出すようになる。ここでは、どうしてこういう仕儀に至ったかを、もう少し慎重に追求し、勘考してみたいと思う。
ルナンは前にも同じ言い方でイエスをかばっていたのであるが、…。
「イエスは決して自分を神そのものの化身と思わせようとは考えなかった、このことは疑いえないことである。神そのものの化身と思わせようという考えは、ユダヤ精神とは甚だ無縁の考えであって、共観福音書中には、そんな形跡は少しもない。ただイエスの思想の反映としては、一番受け入れることのできない第四福音書のところどころに現れているにすぎない。折々イエスは、用心して、さような教説を斥けているようだ。自らを神に、あるいは神と等しいものにした、という誹謗は、第四福音書においてさえ、ユダヤ人らのなした誹謗として語られている。第四福音書の中で、イエスは自分を父より小さいものと明言しているし、他の場所では、父は自分にすべてを明かしてはくれなかった、と告白している」。
ここからはイエスは、自制心の強い、柔和で謙虚な心の持ち主で、昨今巷にみられるような自己宣伝の強い連中とは真逆の、控えめな常識人だったと考えられる。つまり、あまり新興宗教の教祖(始祖)らしくなかったともいえる。しかしまた、このままの純真無垢なイエスで過ごしていたならば、おそらくは、彼の起こした新しい宗教も「地方宗教」のまま、熱心な信者に囲まれて埋もれたかもしれないということは容易に想像できる。
そこで面白いのは、1823年生まれのルナン(フランス革命やナポレオン時代の余韻が色濃く残り、またこの書の出版が1848年革命直後―7年後だったこと)の次の言葉である。
「例えば、フランス革命の首謀者らがもし、じっくり省察し納得してかからなければならなかったのなら、何事もしないうちに、皆、老人になってしまったであろう」。
柔和なイエスの変貌に関連しそうな点として次のことが指摘されている。それは、「人間」イエスは、同時に次のような性格でもあったということだ。
「イエスは一生の多くの場合にそうであったように、…当時流行の思想と折り合ったのである。その思想は確かに彼の思想ではなかったのであるが。彼はその『神の国』の教理に、心情や想像を喜ばせるあらゆるものを結びつけた。彼が彼にとって大したものでなかったに違いないヨハネの洗礼を採用したのも、そういうわけである」。
つまり、彼自身それほどの意味をおいてはいなかった「洗礼」や「礼拝」という儀式の採用も一種の世間への迎合であったのである。
また、前回(その3)でも触れたように、「死者(ラザロ)のよみがえり」という奇跡などが、取り巻きの信者による一種の「布教宣伝」として作り上げられたこと、すなわち教団拡大のための神話作りである。そしてこれらの神話・伝説の類が、イエスの意志をも超えて広められる。このことは、私=評者から見れば、「己(自己)はどこまでも他人(他者)である」という廣松の説く「関係の一次性」―イエスとその弟子たちの一体性―を顕著に示している。自他の共犯関係というよりも、まずもって関係があり、そこに自他の区別が生じている。
「…イエスはこれら民衆の創造を、止めようと思っても止めることはできなかったのである。爾来、並外れた人間は両性の普通の交わりからは生まれえないという古代に大変広く抱かれた思想に従ってにせよ、イザヤ書の一節を誤解して、メシアは処女より生まれる、という意味にとったことに応ずるためにせよ、最後に神的実在とされている『神の息吹』は、子を産む力であるという思想に従ってにせよ、彼の誕生を超自然事にしてしまうに違いない数々の話が芽生えているということを、おそらく彗敏な目は看取しえていたことであろう」。
以下、ルナンのこの本から少々長い引用をする。この引用から上記のイエスとそのグループの変質の過程を読みとっていただければ幸いである。
「人間精神のあらゆる基準を軽んじつつ、この上なく命令的に要求したところのものは『信仰』であった。この語は、あの小さな群れの中で、最もしばしば語られた言葉であった。これは民衆のあらゆる運動の合言葉である。もしこれらの運動の激励者が、論理的に演繹した正しい証明で、その弟子たちを三人五人と抱き込まなければならなかったのなら、それらの運動は一つとして行われなかったであろう。…イエスもまた、正常な信念をよりはむしろ曳きずっていくことを目指した。彼は峻厳で、強制的で、何の反対も許さなかった。…生来の柔和さは彼を捨て去ったように見えた。彼は折々気難しかったし、様子が妙であった。弟子たちは時折彼がわからなくなり、彼に向かうと一種の懼れの情を抱いた」。
「…こうした厳格さは発揮せられ、彼は肉体を斥けるまでに至った。彼の要求は、もう限りが亡くなった。彼は人間の性質の穏健な限界を軽蔑し、人々をして彼のためにのみ存在せしめ、彼を飲み合いせしめようと望んだ『人もしわれに来りて、その父母、妻子、兄弟、姉妹、己が生命までも憎まずば、わが弟子となるをえず』。―『人もしその一切の所有を退けずばわが弟子となるをえず』―この時、彼のこの言葉には、何か人間以上のもの、不思議なものが、加わっている、これは生命を根元から嘗め尽くし、一切を恐ろしい荒野にする火のようなものであった。この世に対する嫌悪、過度の自己放棄、こうしたキリスト教的完成を特徴づける厳しい、暗い感情は、その建設者として、初期の才気ある楽しげな人間批評家を出なく、かえって、一種崇高な予感のため次第に人類の外へ押し出されてゆく沈鬱な巨人を持っていた。彼は心情の最も当然の要求と戦うそうした時、生き、愛し、見、感ずる喜びを忘れていたといいえよう。いかなる尺度をも超えて、彼はあえて言った、
『人もしわが弟子とならんと思わば、己を棄てて、われに従え。われよりも父または母を愛する者は、われにふさわしからず。われよりも息子または娘を愛する者は、われにふさわしからず。生命を得る者は、これを失い、われのため、わが福音のために生命を失う者は、これをうべし。人、全世界を羸(もう)くとも、己が生命を損せば、何の益かあらん。』」
「家族、愛情、祖国は、もう彼にとって何の意味も持たなかった。おそらく彼は、この時から、自己の生命を犠牲にしてしまっていたのである。イエスは、彼自らの死ぬことこそ神の国建設の方法であるとみて、わざと、殺される決意を抱いた、と往々我々は考えたくなる」。
無信仰者の私の見るところでは、このイエスの思想は、彼がかつて批判したアブラハムのユダヤ教とどこに相違があるのだろうか。「外に定立されていた神を、自分の内側にすげ替えただけの相違ではないのか」。さらに、こういう他者を犠牲にした自己中心主義的発想は、あらゆる宗教(特に新興宗教やナチス教、スターリン教、あるいは天皇教、等々)に等しくみられる特徴ではないだろうか。そして「弟子たちは時折彼がわからなくなり、彼に向かうと一種の懼れの情を抱いた」と書かれているように、使徒のほとんどは、師・イエスの教えの変質に疑問を持ったはずである。中でもその「危険さ」に気づき、強く反抗したのがユダではなかったのだろうかと私は思う。もちろん、だからと言ってユダが、師・イエスを権力(ローマおよびユダヤ教の祭司)に売り渡したことの重罪さは断じて糾弾されるべきだとは思うが。それよりユダの哀れさ、悲劇は、結局師・イエスの教義を真に批判し、乗り越えきれなかった点にあったのではないだろうか。
また、上の長い引用の最後の部分、「…イエスは、彼自らの死ぬことこそ神の国建設の方法であるとみて、…」の「神の国建設」とは何を指すのだろうか?国の建設は「天国」においてか、それとも「現世」においてか?「天国に」ではおかしい、そこには「神の国」が既にあるはずだからだ。それでは「現世」にか、それもおかしい。それなら現世にとどまって社会革命にまい進すればよい。これらのことを、ローマの執政官ピラトの取り調べの中で述べたイエスの次の言葉から推し量ってみると、結局は「あの世」を考える他なさそうだが、それでも疑問は一向に晴れない。
「イエスは、自分が王であること(『ユダヤ人の王』であること)を告白したが、同時に、『我が国はこの世のものならず』という深い言葉をも述べた。次に彼は、彼の王権の性質を説明した。それは真理の所有と宣言ということにそっくり約言せられるのである」。
実際には、イエスの創始した宗教(キリスト教)が広く世の中を席巻するのは、イエスが磔刑で死んだ後、使徒たちを中心にしたグループによる様々な神話・伝説(一番大きなものは「復活神話」であろうが)を活用しながらの伝道・布教活動によるものであった。しかし同時にこの活動の中で、イエスの教えは、初期のイエスのものとは大きく異なってくる。何度も触れたことではあるが、初期のイエスの教えは、素朴であり、内なる神への「敬神」に基づくものであった。ルナンによれば、「イエスの教訓中には、道徳の適用された跡も、どんなに僅かに宗規の定められた跡もない。ただ一度、婚姻について、彼ははっきりと所存を述べ、離婚を禁じている。また神学もなければ、信条もない。かろうじて父と子と聖霊に関するいくつかの見解があり。ここから後、三位一体と化身論とを人は引き出すわけであるが、これらの見解もなお、不確定な比喩の状態にとどまっていた」。
イエスが「神の子」へと変貌し、その教えが『聖書』という形式を取り、取り巻きの信者が「教会」という教団をつくることで、確かに布教は成功裏に終わったかのように思える。しかし、ここで新たに生み出されたもの(キリスト教団)とは何だったのであろうか。
戒律(規制)・強制・新たな権力構造、そして現世における身分制度の固定化、現状肯定、つまり自由への束縛以外の何ものでもない。これは初期イエスの教えと根本的に矛盾したものではないだろうか?
先ごろ、岩田昌征(千葉大学名誉教授)がちきゅう座に投稿した論文(『叛乱論』東大集会で知る思想の誕生――21世紀の思想とは何か――)に、「主義と言うと主義に従う、支配されると言う含意が強い。思想と言うと、思想に魅力される、charm されると言う含意が強い。毛沢東思想は、毛沢東主義になって、形骸化したのであろう」という一節があったが、まさにこのことを言い当てていると思う。 しかし、ここで悩ましい問題が起きる。それは、ある社会形成を考えるとき、どうしても一定のルールに適ったものを考えざるを得ない。例えば、ヴェブレンの『有閑階級の理論』(岩波文庫版)に次のような一節がある。「社会生活の支配的な経済的法則的特徴が私有財産制度である。近代社会では、道徳基準の際立った特徴の一つは、財産権の神聖ということである。私有財産権を不可侵の状態に保とうとする習慣が、財産の衒示的消費によって得られる良き世評のために富を求めようとする他の習慣によって妨げられるという命題に賛成してもらうためには、主張や説明をする必要はないであろう」。言うまでもなく、ここには資本主義の強制が働いている。
自由を前提にしての、両者の止揚・統一はいかにして可能なのか…。 次回ではイエスの磔刑について触れてこの小論を締めくくりたい。 (つづく)
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