-八ヶ岳山麓から(526)-
はじめに
コメ問題を中心に勉強会をやるから出てくれと言われた。20人くらいが集まった。土曜日の昼間なので別荘地帯の住民はともかく農家の参加はないと思ったら、村生れ村育ちがわたしも入れて3人いた。1人は、田植えが終わってトウモロコシを播くまでちょっとひまになったから来たという。もう一人は亡友の「おかた(細君)」で、「田も畑もいまやっていないから」という。そこでは、参加者からたくさんの問題が提起された。以下、その集会での自分の発言などふくめて思いだすまま問題を順不同で書く。
「せんぎあげ」をどう維持するか
5月の連休、毎年の「せんぎあげ(用水路の修理)」があった。「出払い」といって水田を持つ農家は全員これに出る義務がある。思い思いの道具を持って貯水池の土手に集まった面々を見ると、ほとんどがわたし同様高齢者だった。
わが集落は江戸初期開発の新田で長年水不足に苦しめられた。「せんぎ(用水路、『汐』の字を当てる)」は、江戸中・末期に水の豊富な北八ヶ岳方面の川から等高線状に幾筋かの水路を掘削して八ヶ岳西麓に導いたものである。いまでも集落の担当役員が毎年小さな流れにも「人足2人」などという小さな杭を立てるが、これはわずかな水でも「せんぎ」に導き入れようという工夫である。
「せんぎあげ」に来た人足のなかから、「あと5年経ったらおらとうはたいがい使い物にならなくなるら?」「そうなると『せんぎあげ』はだれがやるかなあ」という話が出た。
「『せんぎあげ』どころじゃないぞ。おれが死ねばおら家はおわる」というものがいた。思えばわたしも弟も友人の何人かも子供たちはみな村から出て生活している。彼らが帰ってくるあてはないから家は絶える。すでに空き家がぽつぽつでてきた。村に残ったとはいえ若い者は農業専業ではない、サラリーマンだから百姓は土日だけだ。農家は事実上賃金労働者の宿舎である。
委託耕作による大規模化
かつて我が村は農業以外の産業はまったくない純農村だった。いまも外見は農村だが、農家は全国並みに減っている(以下数字はセンサスなど役場資料)。2000年には農産物を販売する農家は873戸だった。それが23年には414戸、半分以下になった。同じ時期に耕地面積も106ヘクタールから80ヘクタールに減った。
ただ、3ヘクタール以上の経営は増えている。なかでも5へクール以上の農家は9戸から25戸に増えた。20ヘクタールといった大経営体は意図的に耕地を集中したのだが、多くの農家の場合は友人知人に耕作を頼まれるからである。亡友の「おかた」は他人に全耕地を耕してもらっている。82歳の友人は自分と親戚の水田1ヘクタールを耕作している。70歳後半の友人も水田1ヘクタール程度だったが、2ヘクタール近くになった。一種の借地農だが借地料はまちまちである。
なぜ稲作を他人に頼むか。人手が足りないうえに、コメは野菜ほど手間はかからないが、生産費が意外にかかるからである。先祖から受け継いだ水田を荒地にしては申し訳ないと思うこともある。ところが頼まれた方は、耕作面積が増えたからといって特別手取りが増えるわけではない。。
買って食った方が安上がり
農家から見ると、肥料や農薬は全部輸入品でこの頃やたらに高い。トラクターや田植え機やコンバイン(combine harvester,米麦収穫機)の価格も修理費も軒並み高い。それなのにコメの売り渡し価格は安い。
農林水産省の調査では、令和2022年産米の0.1ヘクタール当たり資本利子・地代全額算入生産費は12万8,932円で、前年産に比べ0.6%増加し、60kg当たり全算入生産費は1万5,273円で、前年産に比べ3.5%増加したという。1キロ255円、1時間当たりの労賃は10円程度だ。農家はだれもが「手間(労賃)を考えればコメは買って食った方が安上がりだ」と言う。これでは若者が農業をやろうという気にはならない。
友人の農機具屋の話では、「中型のコンバインが10年でもとを取る(減価償却)には20町歩(ヘクタール)以上必要だ。それも今のコメの値段ではあてにならない」という。工場の新規購入の機械は1年少なくとも200日は稼働するだろう。コンバインは他家の田んぼの刈り取りをやったとしても20日程度だ。農業が他産業に比べて投資効果が小さいのは運命である。
食糧管理法の時代は、「生産費及び所得補償方式」という計算方法で農林水産省と全国農協農業協同組合中央会がサンプリング調査をして米価を決めていた。たいていは農協の調査価格が農林水産省価格を上回るから、農協は毎年自民党国会議員の農林族を抱き込んで「米価値上げ闘争」をやった。当時から自民党は米価の維持と引き換えに農民の支持を得て権力を維持したのである。
当時は、1ヘクタールほどの水田があれば食って出られる程度の価格だった。玄米1俵60キロの俵をいくつ政府に売り渡すかで貧富の格差が出たものだ。
大規模化の問題
テレビには農業の大規模経営化・スマート化・耕地の大区画化を強調するコメンテーターが登場して、こうしないと生産効率を上げ国際競争に耐えることはできないという。大規模化計画は今に始まったことではない。国はもう60年以上も前から求めていたが、まるで成功しなかった。「百姓は農地を最後のよりどころとしているから手放さない」というのが理由だった。いま、所有権を手放さなくても水田の賃貸は比較的気軽にやる。
だが、50ヘクタールとか100ヘクタールの大経営や1枚5ヘクタールといった水田が実現しても生産性は向上しない。水田が一続きでなければ機械をトラックに載せてあちこち運ばなくてならない。ところが農家の水田は分散している。わが村にも大経営があるが、分散した耕地が能率をそぐことおびただしいという。
これを解決するには個人の力では限度がある。50年ほど前にやった耕地整理(構造改善事業)のときのように、村中で長いこと議論をして耕地の交換分合をやらなくてはならない。これには国の農政の思い切った転換が必要だ。
そのほか大経営が直面するのは用排水路の維持管理だ。幹線水路はもちろん、支線から水田の水口まで、集落の農家を動員して修理をするわけにはいかないから自前でやらなくてはならない。これが意外に労力がかかる。
我が村の水田はすべて棚田である。比較的傾斜の緩い地形では等高線状の一区画1ヘクタール程度の水田をつくることはできる。だが急傾斜地は土手が高く面積が小さい「田毎の月」状態だ。耕運機や田植え機がようやく入る程度で、コンバインは先ず入れない。
日本全体でも大区画ができやすい平場の水田地帯は意外に少ない。大規模合理的経営論者に従えば、平場をコメ主産地とし、中山間地は農家の自給用でよいとして、農政としては切り捨てかもしれない。だが、今回の米騒動によってコメは不足気味だとわかった。平場の水田だけで日本中に流通するコメを生産できるかは別に検討する必要がある。
農協はだれのために存在するか
ひとくちでいえば、農協は金融と保険が重点で農業は二の次だが、それでこの先人を納得させられるかよく考えてもらいたい。失言問題で辞任した江藤拓前農相のとき、政府が競争入札で放出した備蓄米の90%はJA(半角)全農が落札した。ところがなかなか消費者の手に渡らない。誰もが全農から小売業者の間に介在する問屋・卸が値上がりを待ってコメを滞留させているのではないかという疑問を持っている。
テレビなどでの全農幹部の説明は、「コメには伝統的な流通がある」とか、「手続きは100%やっているが通常の流通ルートでは遅くなるのはやむを得ない」とかというものだ。このあいまいさが疑問をますます高めている。コメだけでなく果物・野菜などにも市場では利権を持った仲介業者があって、伝票ひとつ切るだけで価格が上がるといったことはないだろうか。我々の話し合いでは、流通問題に詳しい人がいなかったからこの点は追及できなかった。ご存じの方に教えを乞いたい。(2025・06・05)
初出:「リベラル21」2025.6.9より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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