「再稼働反対」はいまや多数派、脱原発基本法の制定へ!

著者: 加藤哲郎 かとうてつろう : 一橋大学名誉教授
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2012.9.1  日本の夏は暑い。つくづくそう思います。カレッジ日誌(過去ログ) で調べると、ここ5年ほどこの時期はアメリカかヨーロッパ滞在中で、特にヨーロッパの9月は涼しくなってますから、 久方ぶりの日本の暑さはこたえます。それでつい、夜もクーラーをつけたままなんですが、その代わりにTVほかはコンセントからはずし、電球はLEDに切り替えてできるだけ節電。こんな庶民のささやかな工夫がつもりつもったのか、別に大飯原発再稼働がなくても、つまり原発エネルギーがなくても、今年の夏の電力は、大丈夫でした。電力会社から出され政府が発表して脅したシミュレーションの数字は、いい加減でした。日本社会は、原発がなくても、ちゃんとやっていけます。内閣官房国家戦略室の意見聴取会、討論型世論調査、パブリックコメントの結果が出そろいました。政府の当初の思惑は、2030年に原発ゼロ、15%、20−25%の3択で出せば「中道」の15%におちつくだろうと目論んだのでしょうが、結果は圧倒的に原発ゼロ、それも3択からはみ出た「直ちに止めろ」の声も有力。この結果を評価する「国民的議論に関する検証会合」の資料・映像もウェブ上には公開されています。この情報公開はいいことです。ただしこれが政府の脱原発への政策転換につながるかどうかは未知数。恒例首相官邸前金曜デモは、お盆の8月も続けられ、31日も主催者発表4万人。人数は減ってもメディアは大きくとりあげ、ついには野田首相との会見まで実現。これも動画で公開されたのはいいことですが、どちらかといえば、永田町政局のなかで計算された、ガス抜きパフォーマンスでしょう。

その政局が、政党政治の末期症状です。日本で初めての「二大政党下の本格的政権交代」と一部で期待された民主党内閣の残したものは、けっきょく、3・11への無策と、使途不明の消費税増税と、政治不信の深化ということになりそうです。末期というのは、民主党の分裂ばかりではありません。谷垣自民党は、他野党提案の自公民3党合意による消費増税強行を理由とした首相問責決議になぜか賛成して可決。これで国会審議はストップ、民主・自民の党首選に突入して「近いうちに」総選挙というのですからあきれます。その総選挙向けに、政府・民主党は、どうやら脱原発の多数派世論に応えたかのように「原発ゼロ」のシミュレーションを始めたり、使用済み核燃料の直接処分を検討したりというイメチェンを始めました。しかし野田内閣の1年を見れば、どうみても「脱原発依存」をまじめに検討した跡は見られませんし、まともに実行されるとも思われません。それに、アメリカとは普天間とオスプレイ、韓国とは竹島、中国とは尖閣列島と外交上の難問が噴出、その3国は、トップの交代期です。さっき届いたTea Party のメールでは、あのマイケル・ムーア監督がオバマを見捨てて共和党ロムニー支持とか。アメリカ大統領選も、共和党の草の根保守掘り起こしで、民主党オバマ再選ではなくなる可能性が出てきました。こうした混沌のなかで、金曜デモでは「再稼働反対」と共に叫ばれるスローガン「人事案反対」のターゲットになった新設原子力規制委員会の田中俊一委員長以下の委員承認は、政局で国会採決が見送られましたが、民主党興石幹事長は、生まれたばかりの委員会設置法の例外規定を使って首相に任命させようとしています。原子力基本法に「安全保障」を忍び込ませたり、武器輸出3原則をこっそり変えたりといった、自民党でもできなかった強引な法解釈・運用が進んでいます。ただし、脱出口も見えてきました。デモ・集会も、経産省前テント村も、浜岡原発の静岡県で実現しそうな住民投票も有効な方法です。でも、地震国全体での「国策」の転換には、やはり国民投票か脱原発法が必要です。1980年代末、チェルノブイリ事故と広瀬隆『危険な話』ブームを受けて、故高木仁三郎さんらが尽力したがかなわなかった脱原発法制定の試みが、フクシマ後によみがえりました。大江健三郎さん、前日弁連会長宇都宮健児さんらの脱原発基本法案策定で、すでに骨子も発表されました。「近いうち」に行われる総選挙で、この法案をかかげて民意を問う、クリーンでグリーンな政党ができるのならば、末期症状の政党政治も、何とか息を吹き返すのですが。

前回紹介した『アサヒグラフ』1952年8月6日特集号以後の、国会議事録検索で、1950年代の中曽根康弘の原子力言説を追いかけ、DB化してみました。日本における原発導入とCIAエージェント正力松太郎の関係は、山崎正勝さん・有馬哲夫さんらの研究で、かなり明らかになってきましたが、もう一人の中曽根康弘の役割は、広島原爆体験と原子力への関心の出発点、反吉田自主防衛論とアメリカとの距離、軍事利用の思惑と平和利用の原子力基本法案立案の関係など、「常識的にはややわかりにくいストーリー」(吉岡斉『新版 原子力の社会史』)ではっきりしません。何しろ今でも存命で、3・11後も堂々と「原発政策推進」を述べていたキーパスンです。1954(昭和29)年01月29日 の衆院本会議では、「アメリカの国務長官ダレス氏は、かのサンフランシスコの平和条約締結に際して、この条約は和解と信頼の条約であると述べた。和解と信頼とはいかなることであるか。それは、お互いが過去を水に流し合つて、将来親睦、提携することであります。日本はかの広島、長崎の原子爆弾の残虐ですら条約上水に流したではないか。(拍手)しかるに、何ゆえ今日八百人の戦犯がいまだに巣鴨につながれておるのであるか」と吉田内閣の再軍備への微温的態度を糾弾し、反米的ともみえる発言があります。その2か月後、3月2日に、突如として中曽根原爆予算、原子炉のための2億3500万円が与党の補正予算の一部として提案され、強引に通過します。それを突破口として、55年12月には、生まれたばかりの自由民主党と左右が統一したばかりの社会党の全議員の名による「国策」として、かの「自主・民主・公開」を盛り込んだ原子力基本法ほか関連法案を一気に採択させます。その提案理由は、こんな風です。「[原子力を]エネルギー源の問題を主として外国は取り上げておる。日本は広島、長崎のエレジーとして今まで取り上げてきておった。この国内の雰囲気の差と国外の界囲気の違い、これを完全にマッチさせるということが、まず第一のわれわれの努力であります。広島、長崎のエレジーとして取り上げている間は、日本の原子力の進歩は望むことができません。外国と同じように、動力の問題として、産業の問題としてこれを雄々しく取り上げるように、われわれは原子力政策を推進したいと思うのであります。」 (1955年12月13日衆院科学技術振興対策特別委)、「原子力はわが国におきましては、一部ではまだ野獣と思われていますが、外国ではすでに家畜になっている家畜になって、人類に奉仕しているということを国民によくお示しして、心からなる協力を得るような努力がなければならない」(12月15日参院商工委員会)。ーー 原子力が本当に人類の「家畜」になったか、そもそも1955年段階で「家畜」を語りえたか否かは、これから検討します。その一端は9月29日(土)午後、早稲田大学20世紀メディア研究所第70回公開研究会で発表する予定です。関心のある方はどうぞ。

「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
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