暴論珍説メモ(126)
先週の7月27日は朝鮮戦争休戦協定が調印されてから60周年にあたった。今年に入ってから、この日のことをいったい何度、われわれは北朝鮮から聞かされてきたことか。この日に向かって、北朝鮮はいったい何をしてきたのかを、まず見ておこう。
一昨年12月、父・金正日急逝の後を引き継いだ金正恩がその路線を踏襲しながら、自らの手法でかねての課題、国際社会における安定的な地位の獲得を目指す上でのゴールと思い定めたのがこの日であった。
休戦協定は朝鮮人民(北朝鮮)軍総司令官と中国志願軍司令官を一方とし、米国を中心とする国連軍総司令官をもう一方として、「最終的な平和解決」が成立するまで武力行使を停止することを決めたものである。ここでは北朝鮮は中国と肩を並べて国連軍と向き合っているが、韓国は登場しない。この枠組みは北朝鮮にとってはなんとも誇らしいものであろう。げんに北朝鮮は休戦協定成立を「大勝利」と位置づけて、当時、その調印場所として急遽建てられた建物は今でもきれいに整備されて、北側からの板門店観光の目玉の一つでとなっている。
したがって、この枠組みでの「最終的な平和解決」が成立し、国連軍の主体であった米と国交を結ぶことが出来れば、国力で大きく差をつけられた上に、同志であったはずのソ連(当時)、中国が自分の頭越しに韓国と国交を結ぶという屈辱を味あわされてきた恨みのなにがしかを、韓国にお返しすることができるはずであった。
問題はそれをどう実現するかである。国際社会が押し付けようとする、核やミサイルの放棄だの、民主化だの、開放政策だの、を飲まされての「平和解決」では、祖父、父と2代にわたって突っ張ってきた軍事強国路線を放棄して、世界の最貧国へ仲間入りするだけであるから、そんなことは到底できない。
結局、先代譲りのミサイルと核を最大限に活用して、こわもて路線で目的を達する道を探るしかなかった。脅して自分を大きく見せて、取引に応じてもらおうというシナリオである。そしてたどり着いたのが、今となっては小さなギャグでしかないが、あの「戦争勃発」芝居であった。
昨年12月に長距離ミサイルを発射し、国連で新たな制裁をうけてもひるむことなく、2月には3度目の核実験を強行、「休戦協定」にもはや束縛されないと声明し、さらに南北間のホットラインの閉鎖と、緊迫感の盛り上げ工作を続け、極め付きは戦争が迫ったからと、ピョンヤンに駐在する外交団に国外への撤去を勧告するというところまでやった。
もっとも米韓側も折からの共同軍事演習を機に、B52を再登場させたり、はては最新鋭のB-2ステルス爆撃機を朝鮮半島上空に飛ばしたりと、見ようによっては、北朝鮮の芝居のお囃子方をつとめたのであった。
とはいえ、所詮、芝居は芝居、だれにも真面目に受け取ってもらえず、おそらく中国から一喝されて、やむなく路線転換。5月以降、今度は一転して相手かまわず対話を求め始めた。米の元バスケット・ボール選手にオバマ大統領に電話をくれるよう金正恩第一書記がじきじき頼んだり、日本の小泉元総理秘書官(現内閣官房参与)を招いて、ナンバー2の首脳が会うなど破格の待遇をして、安倍総理訪朝を促したり(と言われている)と、この間まで戦争、戦争と騒いでいたのを忘れたような豹変ぶりには世界中がしらけている。
そして7月27日。本来なら核保有国として米と国交を結び、現体制を認知させて、金一族支配の弥栄を寿ぐ日となるはずであったのが、なにもないただの記念日となってしまった。それでも外国メディアを呼んで、そこそこの軍事パレードを見せたり、花火を打ち上げたりして、一応恰好だけはつけたものの、金正恩本人が言葉を発することもなく、空疎な騒ぎという印象は否めなかった。
むしろこの日は金正恩路線が用意したすべての出し物が成果なしに終わり、この国が好んで設定する「次なる目標日」も種切れとなって、金正恩体制が漂流を始めた日として記念されることになるのだろう。
そこで金正恩体制の漂流先を考えてみたい。
まずこれまでの軍事強国路線を継続することができるかどうか。金正恩自身、あるいはその周辺の人々の意図は不明であるが、中国がそれには反対であることを今回、あらためて明瞭にしたことが注目される。
中国は7・27記念日に李源潮国家副主席を派遣した。同副主席は金正恩と会談したほか、様々な行事に付き合って、表向き親密さを演出したが、会談では「3つの堅持」を突き付けていた。7月27日の「中国新聞社」電によると、李源潮は「中国は(朝鮮)半島の無(非)核化実現を堅持し、半島の平和安定の維持を堅持し、対話交渉を通じて関係する問題を解決することを堅持する、という3つの堅持を重ねて表明した」。
いずれもこれまでも言われていたことではあるが、これを「3つの堅持」としてあらためて突き付けたのは、これに外れる行動はもはや認めないことを念押ししたと見ていいだろう。核実験はもとより、砲撃だの、船舶攻撃だのという行動には、中国は反対であることを通告したのである。それに従えば軍事強国路線は行き場を失う。
そればかりでなく、このところ中国では北朝鮮を突き放したような論調が目立つ。
7月24日、中国外交部の洪磊報道官は李源潮副主席の北朝鮮訪問の目的を「朝鮮戦争停戦60周年記念活動に参加するため」と発表した。これを韓国の「中央日報」が26日、「中国はこれまで『抗米援朝戦争』と言っていたのを『朝鮮戦争』と改めた」と報道した。
すると27日、中国の「環球時報」は「朝鮮戦争と抗米援朝戦争は別の概念である。朝鮮戦争は南北間の内戦であるが、2日後に米国がこの内戦に出兵し、また兵を送って台湾を支配したことで、戦争の性格が中朝(に対する)侵略戦争に変ったのだ。そして10月25日、中国軍が参戦し、そこから抗米援朝戦争となったのだ」と論じた。そこまではいいのだが、続けて「国人(中国人)が客観的に見れば、朝鮮戦争は戦うべきでなかったが、抗米援朝戦争は戦わなければならなかったと判断することもできるだろう」と言ってのけたのだ。
北朝鮮は今でも戦争は米韓側からの攻撃で始まったとしている。この立場を崩しては北朝鮮政権の正統性が揺らぐ。その立場を認めれば、中国も朝鮮戦争を「戦わざるを得ない戦争」と認めないわけにはいかない。しかし、「朝鮮戦争は戦うべきでなかった」と言えば、すなわち北朝鮮が仕掛けた内戦という見方に立つことになる。
始まった以上、国を守るために参戦しないわけにはいかなかったが、本来、北朝鮮はあの戦争を仕掛けるべきでなかったと言うのは、中国の本音であろうが、これまで活字になったことはなかったのではないか。
また同日の「環球時報」の社説にはこうある。「ここ数年、こんな風に言う人がいる。もし中国があの戦争に参戦しなかったら、台湾はすでに統一されていたろうし、中米も対立することはなかった。改革・開放も20年早まっただろう、と。しかし、この仮説は不真面目だ」と言った後、「あの戦争はもはや遠い昔の夢のようなものであり、中国人の生活は天地の差ほどに変った。これは60年間に得た大きな成果だ」と自賛し、北朝鮮について次のように述べる。「60年前と比べて、朝鮮は国際環境、人民の生活ともに目立った改善は見られず、半島の危機も終わっていないが、これには朝鮮自身が一定の責任を負わなければならない」。「一定の」と制限をつけながらも、現状は北朝鮮の自業自得と言わんばかりの突き放した口ぶりである。
最早、「血で結ばれた友情」が中朝関係のこじれを解きほぐす最後の呪文ではなくなったことは明らかである。こうした中国の態度の変化は今年1~6月の中朝貿易が前年同期比5.8%も減少し、特に中国からの輸出額は13.6%も減少したことにも現れている(『日経』7・30)。中國が国連決議の制裁を実行した結果であろう。
となると北朝鮮はどの方向に進路を向けるのか。「経済も核も」と言うだけでは、何も言わないに等しいと思っていたら、最近、奇妙なことが報道され始めた。「馬息嶺速度」である。昔、速い発展スピードを形容する言葉として「千里馬」がさかんに使われた。金正日の最後の頃には熙川ダムの建設スピードが大いに持ち上げられたが、その後、どうやら金正恩時代の象徴となりそうなのが、この「馬息嶺」である。
馬息嶺は江原道東部の地名である。じつはなんとそこに広大なスキー場が建設されているのである。金正恩の指示で建設は昨年の7月に始まったが、今年5月末に彼の現地指導(視察)が行われるまで、建設自体報道されなかった。視察後の6月4日、金正恩は「『馬息嶺速度』を創造して社会主義建設のすべての戦線で新たな全盛期を切り開こう」というアピールを発表、この言葉が登場したのである。6月23日の労働新聞は「最高指導者が直接掲げた新たなスローガンは、本質において金正恩時代の新たな社会主義建設速度、21世紀社会主義国家建設の基準速度である」と書いている。
報道によれば、建設中のゲレンデは10を数え、その総延長は110㎞(?!)。ほかにホテルは勿論、マウンテンバイクコース、乗馬コース、プールなどなどが併設され、海外のスキー・リゾートに劣らないものとなるそうである。建設主体は熙川ダム同様軍隊だが、その参謀長は「人民たちの文化生活を向上させようという金正恩第一書記の意図を実現するために、馬息嶺スキー場建設をかならず今年中に終えて見せる」と意気込んでいるという。
しかし、それにしてもおかしくないか。北朝鮮国民が慢性的に食糧不足に苦しんでいることは世界周知のことだ。一体誰がそんな広大なスキー場でスキーを楽しめるというのか。ミサイル発射の時にも、その費用で食糧を買えば、どれほどの国民がどのくらい食べられるという計算が行われたが、今度もそんな広大なゲレンデを整備する力があるなら、それを農地に向けたらどうだという声が上がるのは必至であろう。
どだい金正恩という人間は遊園地がことのほか好きなようである。3年ほど前にヨーロッパ直輸入の大規模な遊具を備えた遊園地をピョンヤン市内に作った後、さらにイルカのショウを見せる遊園地をオープンさせ、郊外にも大きな遊園地を建設中と伝えられる。
フランス革命で断頭台に消えたマリー・アントワネットは、人民には食べるパンもないと聞いて、「それならケーキを食べればいいじゃない」と言ったという話だが、どこかそれを思わせる。食べるものに困ったことのない3代目の独裁者は国民を喜ばせるには遊園地を作ればいいと考えているのではないか。
それにしてもこの半年ほど、ミサイルだ、核実験だ、戦争も辞さず、と国中が騒いでいるときに、山を切り開いて、誰が使うともしれないゲレンデの整備に駆り出されていた軍隊はなにを感じていたのであろうか。あの3代目の漂流の行方は皆目見当がつかない。
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