民主党政権が設けた「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が報告書をまとめ、27日菅首相に提出した。「政権交代」という、1年前はあれほど新鮮だった言葉が今やすっかり色あせてしまった現実にわれわれは直面しているわけだが、この懇談会はタネが播かれたのが、政権交代がまだ新鮮だった頃であったから、報告書が今出てきたにしても、新鮮さがあるいは残っているのでは、とわずかに期待していた。
しかし、残念ながらその期待は空しかった。それはこの報告書について『産経』社説(28日)が「日本の平和と安全を守るために見直しは妥当なものであり評価したい」と述べている一事をもってしても明らかである。同じく『読売』社説もこう述べる、「民主党政権が人選した有識者懇談会が、昨年の自民党政権下の懇談会と同様の提言をした意味は大きい。有識者の間では、こうした認識が共有されていることの証左であり、政府は、それぞれの課題に正面から取り組むべきだ」
「自民党時代」を変えるはずの民主党政権が、結局、それを肯定する役回りを演ずる皮肉をわれわれは普天間問題での鳩山首相によって見せられたのだが、ことは個別の問題でなく、安保・防衛全般が自民党時代の政策に収斂し、それが「国論」の称号をまといつつある現実に、今われわれは直面しているのである。
政府はこの報告書を踏まえて、年末までに『防衛計画の大綱』の改定を進める。勿論、改定がこの報告書をどこまで取り入れるかはこれからのことであるが、もともと安保・防衛となると、まとまりのつかない民主党であるから、結局は形となっているこの報告書が新大綱の土台となる可能性が高い。
********
では、一体何が書かれているのか(以下は新聞報道による)。
まず、基本的な情勢認識として、報告書は「国家存立を脅かすような本格的な武力侵攻は想定されない」とする。これについては異論はない。今、わが国にどこかの国が宣戦布告してくるとは考えられない。したがって、軍備は縮小すべきだというなら、筋が通るのだが、報告書はそうではない。冷戦が終ったのだから「基盤的防衛力」の考え方ではだめだという。
「基盤的防衛力」とは1976年策定の防衛計画の大綱で打ち出されたもので、「防衛上必要な各種の機能を備え、後方支援体制を含めて、その組織及び配備において均衡のとれた態勢を保有することを主眼とし、これをもって平時において十分な警戒態勢をとりうるとともに限定的かつ小規模な侵略までに対処することができ、・・・」とされている。
分かりにくいが、要するに守りが主眼で、「小規模な戦闘までに対処」するという考え方である。なぜこれではだめなのか、というと、かつて旧ソ連の進攻に備えて北海道に陸上自衛隊を配備したようなことはもう古い。新しい情勢に対応する態勢を作れというわけである。
具体的には、従来のように装備や部隊の量・規模に着目した「静的抑止」でなく、平素から警戒監視や領空侵犯対処を含む適時・適切な運用を行い、高い部隊運用能力を明示することによる「動的抑止」を重視せよということになる。
なんのためか。中国、インド、ロシアなど新興国の台頭と米国の圧倒的優位の相対的後退、大量破壊兵器とその運搬手段の拡散の危険の増大、地域紛争、国際テロなど増加といった最近の情勢に対応するためである。
じっと国を守っているだけでなくて、きな臭い国際社会に自分も一枚加わって武力をもって踊りたいのだ、と言ってはいいすぎだろうか。同じアホなら踊らなやソンソン・・・
********
そこで自民党時代からの安保・防衛問題での懸案、つまり非核3原則、武器輸出3原則、集団的自衛権について、報告書は明快に方向を打ち出す。
非核3原則については、菅首相が「当面、改めるつもりはない」と言ったこともあり、また米艦船が現在、核兵器を積んでいないとされていることもあって、報告書は「当面、改めなければならないという情勢にはない」と、現状維持を肯定してはいる。しかし、その言葉のはしから、「最も大切なことは核兵器を使わせないことであり、一方的に米国の手をしばることだけを事前に原則として決めておくことは、必ずしも賢明ではない」とのべて、3原則の改定に未練たっぷりである。
武器輸出3原則については、はっきり見直しを提言する。「国内防衛産業が国際的な技術革新から取り残されないためには、装備品の国際共同開発・共同生産に参加できるようにする必要があり、・・・武器禁輸政策を見直すことが必要である」。これはまぎれもなく武器商人の立場である。
集団的自衛権については、政府の肩を押す姿勢を明確に打ち出している。「米艦防護の問題や米国領土に向かう弾道ミサイルの迎撃の問題は、いずれも従来の憲法解釈では認められていない。日本として何をなすべきかを考える政府の政治的意思が重要であり、自衛権に関する解釈の再検討はその上でなされるべきものである」。集団的自衛権はある、米と一緒に行動するという政府の意思がまずあれば、憲法解釈はどうにでもなるだろうというわけである。昔、民社党に春日一幸という代議士がいて、「政治は妥協だ。理屈は後から貨車で来る」と言い放ったが、それを思わせる文言である。
*******
次ぎの問題は、政府が年末にまとめる防衛計画の大綱にこの報告書がどこまで反映されるかである。この懇談会は鳩山内閣の時に平野官房長官が中心になって人選を進めたとされる。メンバーを見ると、座長は京阪電鉄のCEO、座長代理以下のメンバーには大学教授が6人、団体理事長が1人という構成である。しかし、そのほかに専門委員というのが3人いる。そこには元防衛次官、前駐米大使、前統幕議長が天下り先の現職の名義で並んでいる。
「脱官僚主導」を大きく掲げた鳩山内閣であったが、発足早々にこういう懇談会を組織していたわけで、普天間での迷走の挙句のあの決着もむべなるかな、である。
この報告書を受け取った菅首相は「検討材料の一つとして取り扱わせていただく」と述べて、全面的に採用する気はないようであったが、それにしても菅内閣の余命もわからないし、菅、小沢どちらの内閣ができても、この秋から年末にかけては、おそらく党内外の障害物に囲まれて身動きもままならないであろうから、「防衛計画の大綱」など不要不急の問題はいい加減に「既製品」ですませてしまう可能性が高い。歴史を誤るのはそういうドサクサの時である。危ない危ない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion107:100829〕