「国民生活が第一」を捨てた内閣改造の向かう先は、自民党政権でもできなかった、自民党政策の実行?

2011.1.15 新年の日本のマスコミは、民主党の党内政局一色。それもなぜか、菅首相のにわかづくりの「やる気」に注目しながら、仙石官房長官をおろし、小沢元代表を放逐するススメの論調。これだけなら、いつもの党内人事刷新による世論調査支持率浮揚策の伝授ですが、今年の新趣向は、その政策指向・内実に立ち入った大新聞社説・主張の数々。その基軸は二つ、消費税増税と、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加。つまりは2009年民主党マニフェストの放棄。そこで発揮された菅総理の「やる気」の表現が、昨日の内閣改造・お色直し。官房長官に、仙石氏の弟分だが参院選敗北時の幹事長だった枝野幸男を配するだけでは、支持率浮揚に役不足と見てか、つい数日前まで「たちあがれ日本」の代表格だった与謝野薫を、経済財政担当相への一本釣り。もともと小選挙区の東京一区では、二大政党の相手海江田万里に敗れ、自民党の比例代表で復活していたのに、その海江田を経済産業相に横滑りさせて、与謝野を消費税増税の旗振り役に。これでは日本一の名門選挙区の有権者の選択は、いったい何だったのか。そこで、ライバル海江田に割り振った役回りが、もう一つの懸案とマスコミから言われた、TPP「開国」の突撃隊長。これで「有言実行」と胸を張ってみたが、その「言」は、2009年政権交代時の「国民生活が第一」とは正反対の方向。というより、自民党政権が切望しながらできなかった懸案の、民主党による「実行」シフト。沖縄普天間基地名護移転、新防衛大綱の「動的防衛」や「武器輸出3原則見直し」方向と、同じ構図です。自分が主役であることにようやく目覚め、セリフも覚え、演出まで手がけてみたが、肝心のシナリオ・ライターは別にいて、しかも芝居のストーリーは変わってきたことに気づかぬお粗末。新年早々の不気味なニュースは、前原外相訪米時のアメリカ側の異例の厚遇。どうやらシナリオライターたちは、すでに主役の代役も準備してあるようです。

 毎年新年の本サイトでは、その年の世界の行方を占う3つのイベントを紹介し、定点観測を推奨してきました。世界のビジネス・金融・政財界エリートがスイスの山奥で1月末に開く世界経済フォーラム、通称ダボス会議、それに対抗して世界のNGO 、労働運動、平和運動の担い手が集う世界社会フォーラム、そして、米国大統領の年頭一般教書演説です。今年はこれに加えて、もう一つのイベントが加わります。中国胡錦濤国家主席のアメリカ訪問、1月19日の米中首脳会談です。「世界経済問題、北朝鮮やイランに関連する安全保障問題、さらに政治改革と人権に関する重要な問題が議題に上る見通し」といいますから、おそらく1月25日のオバマ大統領一般教書演説、1月26日からのダボス会議の内容にも、大きな影響を与えるでしょう。今年のダボス会議には、内閣改造の期日を早めた日本の菅首相が出席するそうですが、それはマイナーニュース。主催者側が「ウィキリークス(WL)」創設者で編集長のジュリアン・アサンジュを招待する」というビッグな情報が、流れています。また、来年2012年からは、中国とインドの首脳が出席できるよう、日程を1月中旬に前倒しするというニュースもあります。他方の世界社会フォーラムは、昨年は「グローバル・アクション/モビライゼーション・イヤー」として世界各国で分散して開かれましたが、今年はセネガルの首都ダカールで、2月6ー11日に開かれます。21世紀初めの開催地ブラジルも、その後に開催国となったインドも、いまやBRICsとしてG20に組み込まれ、「もう一つの世界は可能だ!」の焦点はアフリカに移り、開催期日もダボス会議とぶつけるかたちをとらず、内部に論争を抱え、独自の道を歩み始めたようです。それでもこれらのイベントは、世界の動きを知るには最適です。最近孫崎享さんのツイッターで知った世界の言論集約サイトReal Clear Politicsなどと読み比べれば、現在の日本の政治、というより政局が、小さく小さく見えてくるでしょう。本サイトは、今年も、グローバルな世界の情報の流れを、追っていきます。

 そんな新年の誓いの矢先に、二つの悲しいニュースが、流れてきました。一つはモスクワから、日本人のスターリン粛清犠牲者須藤政尾の遺児スドー・ミハエルさんの訃報。もう一つはドイツから、私のドイツ・ボン在住の親友で、昨年9月も親しく過ごしたバングラデシュ出身のイスラム教徒、ヤシム・ウディン・アハメッドさんが亡くなったという知らせです。スドー・ミハエルさんは、1932年7月生まれでしたから、享年78歳。父須藤政尾は、当時日本から旧ソ連に渡ってウラジオストックの労働組合で日本人を組織する指導者でした。その日本人の父が、1937年、モスクワで「日本のスパイ」として突然逮捕され、銃殺されました。旧ソ連日本人粛清の初期の犠牲者の一人です。ロシア人の母も検挙されて強制収容所に送られ、ミハエルさんは「孤児」として育ち、独学で地質学の博士・教授になり、戦後も差別されながら父のルーツを求め、その無実の罪をはらし、名誉回復を成し遂げました。私の著書『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー、2002年)の主人公の一人です。1994年には、父の弟・妹が存命する日本への訪問も果たしました。私は、そのスドー・ミハエルさんのルーツ捜しを助けると共に、他の多くのスターリン粛清日本人犠牲者国崎定洞勝野金政健物貞一、寺島儀蔵、小石浜蔵、松田照子らの粛清文書を探索し、名誉回復を進め、日本のご遺族・関係者に命日や埋葬地を知らせる活動のさいに、資料の眠るモスクワ在住で、自分自身のことのように他の犠牲者家族を案じるスドー・ミハエルさんから、絶大な助力・協力を得ました。残念です。心からご冥福を祈ります。

もう一人の、ヤシム・ウディン・アハメッドとは、昨年9月にも会ってきたばかり、この10年闘病生活中とはいえ、まだまだ大丈夫だとクリスマス・カードを交換した矢先の突然の喪失でした。大学を出たばかりの1972-73年、旧東独での生まれて初めての海外生活でのドイツ語語学学校の同級生、同年輩で学生寮のルームメイトでした。ヤシムはその時、すでに、独立したばかりのバングラデシュ農業大学の経済学助教授、開発経済を学んで将来のバングラデシュを背負ってたつはずの新興国エリートでした。寮の同室で、毎日5回イスラム教の礼拝を繰り返すヤシムに、はじめは驚き違和感を持ちましたが、次第に同じアジアからの留学生としてうち解け、生涯の友となりました。後ヤシムの夫人となったドイツ人女子学生カローラを交えての共通の話題は、世界の情勢からイスラム教とキリスト教、仏教の違いまで、アルコールの入った最後の話題は声をひそめての旧東独社会と国家体制への疑問、マルクス主義やコミュニズムの問題点でした。ヤシムは、カローラの願いを聞き入れ、そのまま故国に帰らず、東独籍の夫人と共に西独ボンに移住、IT技術者として働きながら、西独ムスリム移民社会のリーダーになりました。1989年のベルリンの壁崩壊の頃からたびたび会い、私の現存社会主義批判、粛清犠牲者救援、インドやメキシコへの注目への、隠れた視点を与えてくれました。一緒にインターネットの本サイト英語版から、世界に散ったかつての東独語学学校での同級生によびかけ、ロシア人のニーナや、ミャンマーの解放運動闘士とは、連絡を回復することもできました。特に21世紀に入って、9・11以後の「帝国」アメリカ対イスラム世界の対立の読解には、ほぼ毎年意見と情報を交換して、グローバルな世界での異文化共存のあり方を議論してきました。30年以上故国を離れても、ヤシムの魂は、バングラデシュとムスルム世界の将来に、向けられていました。ただし、20世紀の終わりから病魔にむしばまれ、心臓に負担のかかる長時間の空の旅は無理で、幾度か誘い夢見た日本への招待、東京での再会は、幻に終わりました。葬儀はボンのイスラム教寺院で行われるとのことです。合掌!

「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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