「国策」を「脱原発」に転換するために、この夏、何が必要か?

2011.7.15  久しぶりで、外信で日本が、大きくとりあげられました。13日記者会見での菅首相の「脱原発」宣言です。ウォール・ストリート・ジャーナルは「国策の転換」として扱いました。もっとも「国民投票や政府の様々な議論を経て脱原発への方針転換を決めたイタリア、ドイツと異なり、菅首相の政策転換は突然だった」と、その実現可能性には冷ややかですが。5月のフランスでのサミットでは「安全性を高めて継続的使用」と世界に福島原発事故を弁明していたのですから、疑われるのは当然でしょう。案の条というべきか、野党の社民党や共産党からは歓迎されたものの、お膝元の閣僚からも民主党内からも権力維持のための延命パフォーマンスという声が出て、14日の枝野官房長官の説明では「首相の希望、内閣の目標でない」「脱原発は将来の思い、当面は原子力活用」。15日の国会では自ら政府方針ではないと弁明する醜態で、何とも弱々しいメッセージです。世論は確実に「脱原発」に向かい、永田町でも「再生エネルギー法案」国会審議がようやく始まりましたが、JR東海葛西会長の「原発推進しか活路はない」宣言をはじめ、原発推進・継続勢力の巻き返しも強まっています。「国策」の行方は、まだまだ不透明です。

 「脱原発」を進行させない大きなバリアが、九州電力の「やらせメール」で明らかになった、電力会社・経済産業省・御用学者一体の「原発再開」世論操作、「原発安全」キャンペーンです。その歴史的起源は古く、1986年のチェルノブイリ原発事故で世界が「脱原発」に向かいはじめ、日本でも広瀬隆さん『東京に原発を』『危険な話』がベストセラーになり、高木仁三郎さんらが「脱原発法」制定をめざし署名運動を始めた1980年代末、「原子力村」は原発継続・増設のために反対意見を封じ込め、テレビのコマーシャルや雑誌・新聞記事ばかりでなく、政府のパンフレットや学校教育まで使ってプロパガンダを強め、「安全神話」を広めてきました。政府の公聴会や地元説明会でも「やらせ」が当たり前であったからこそ、福島原発の悲惨がいまなお続いているもとでも、玄海原発再開の是非を問う政府主催の説明会に、「いつもの手法」で乗り切ろうとしたのでしょう。もともと安全審査の公開ヒアリングさえお手盛りだったのですから。かつて小泉内閣のもとで行われた「タウン・ミーティング」の手法と同じで、民主主義の体裁を整えるだけの目眩ましでした。自民党内閣のさいには「やらせ質問」者に謝礼が払われていたことが問題になりましたが、九州電力は、原発再開賛成意見の「例文」までつくって、社内の上司から部下へ、親会社から下請・系列会社に流していました。その「例文」も「電力が不足していては、今までのような文化的生活が営めないですし、夏の「熱中症」も大変に心配であります。犠牲になるのは、弱者である子供や年配者の方であり、そのような事態を防ぐためにも、原子力の運転再開は絶対に必要であると思います。併せて電力会社の方には、万全な安全対策をくれぐれもお願い致します」と、岩手・宮城・福島で被害弱者になっているこどもやお年寄りをも、原発再開の口実に使っていました。むごい話です。資源エネルギー庁は原発反対世論の監視のために多額の予算を出し、他方、事故後に誤った原子炉情報をテレビで流していた原発推進の東大教授らには、電力会社・原発メーカー・政府から「寄付金」「委託研究費」の名で「8億円原発マネー」が分配されていたとか。そのとばっちりは、圧倒的多数のまじめな研究者の研究費、社会科学や人文科学でも重要な日本学術振興会科学研究費補助金にしわよせされ、今年度科研費の一律3割減額?というかたちで、大学・研究機関に深刻な混乱を招いています。

 

 もう一つのバリアは、1974年田中角栄内閣時につくられた、電源3法による交付金・補助金に群がる原発立地の地域利権構造です。それがどういうものであるかは、前福島県知事佐藤栄佐久さん『福島原発の真実』(平凡社新書)に、生々しく書かれています。話題の東大修士論文開沼博「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)は、歴史的・構造的問題として描いています。もともと1973年の石油危機で石油価格が高騰し、「石油から原子力へ」の気運が生まれたところへ、70年代にようやく本格化した商業原発の立地を増やそうと、角栄得意の金権補助金で過疎地域に原発を誘致させ、地元の地主・政治ボス・土建業者を太らせながら、「原子力ムラ」は増殖してきたのです。この補助金利権構造が、佐賀県玄海原発再稼働の推進力になっていることは、九州電力の「やらせメール」問題の余波で、明らかになりました。玄海町岸本町長の弟が地元建設会社の社長で16年間で少なくても54億円を九州電力から受注していた事実、また佐賀県古川知事父親は九州電力社員・元玄海原発PR館館長で、知事自身も九電幹部から政治献金を受けていたことが発覚しました。原子力発電は、土建国家と一体で、汚職の温床である利益誘導政治の展開の中で、世界第3の規模にまで増殖してきたのです。

その起源をさらに遡ると、1955年の原子力基本法の成立、中曽根康弘と正力松太郎が暗躍して日本の原子力政治が出発した時点に、行き着きます。前回本サイトは、1954年第5福竜丸事件で「死の灰」を経験し、1955年8月に第一回原水爆禁止世界大会が開かれた原水禁運動の出発と並行して、日本の原子力発電導入が進み、同年12月に原子力基本法が成立して今日の悲劇にいたる経緯が重要だと述べましたが、日本原子力産業会議編『原子力はいまーー日本の平和利用30年』(丸の内出版、1986年)を読んで驚きました。第1章「ヒロシマ、ビキニを超えて」の冒頭が、いきなり「『札束』登場」の見出しで、1954年3月、中曽根康弘が最初の原子力予算を通過させる際に「議論にあけくれる学者を札束で目をさまさせた」武勇伝がでてくるのです。反原発派の藤田祐幸さんの論文you tubeで「札束で頬をたたく」という当時の流行語は知っていましたが、原発を推進してきた日本原子力産業会議(現原子力産業協会)の公式の30年史、それもチェルノブイリ事故直後の1986年11月に出版された書物の冒頭に、得意げにこのエピソードが書かれているのです。ちょうど54年当時「改進党の青年将校」だった中曽根康弘が総理大臣に上りつめた時期で、上に述べた80年代後半の「原発安全」キャンペーン、反原発派批判の「安全神話」づくりの情報戦も、原子力専門家やマスコミを「札束で頬をたたく」手法で推進派に巻き込み、進められたことをうかがわせます。しかもサブタイトルは「平和利用30年」、「原子力の平和利用=原発」と「核兵器廃絶の原水禁運動」が同時に出発し、両者が交わることなく併存してきたことが、日本の「脱原発」を困難にしてきた第3のバリアで、この点がようやく国民的論議にのぼってきたところに、「3・11フクシマ以後」の新しい特徴があります。今年の8月ヒロシマ・ナガサキの原水禁運動・平和運動の中で、どこまで「反原爆」と「反原発」が合流できるか、これこそ、頼りにならない菅首相のパフォーマンスよりも明確な、世界へのメッセージになります。さしあたり、ヒロシマナガサキ市長の「平和宣言」に注目しましょう。全国8府県1457市町村にのぼる「非核平和都市」の皆さんも、自分の自治体の「非核」の意味がどのようなものであるかを点検し、改めて「宣言」を発すべきでしょう。この夏を、「原発がなくても電力をまかなえる夏」「ヒロシマ・ナガサキをフクシマから見直す夏」にすることによって、「国策」転換の国民的討論がスタートできます。

 

 本当は、さらにその根底にある、敗戦直後からの日本人の「原爆」「原子力」「アトム」イメージの問題アメリカ及び旧ソ連の原子力開発・援助競争の再検討が必要です。「短い20世紀」の後半を特徴づける東西冷戦の時代は、同時に「核時代」であり、核兵器と核エネルギーによって、地球全体が「恐怖の均衡」に巻き込まれた時代でした。いや、膨大な核兵器・核実験、原発増殖・原発事故によって、人類が経験したことがない人工の放射性物質が蓄積され、地球生態系と生活圏が攪乱され汚染されてきた歴史でした。それが、産業革命後とも石炭・石油エネルギーの時代とも異なる、「近代合理性の倒錯」の極限であることは、社会科学者でありながら、つとに坂本義和教授が見抜いていたところです(坂本義和「近代としての核時代」坂本編『核と人間(1)』岩波書店, 1999年)。イマジンに入れた吉岡斉さん原子力の社会史ーーその日本的展開』(朝日選書、1999年)やウェブ上の東京外語大学科学史研究吉本秀之さん原子力と検閲」と共に、必読です。私個人は、前回も述べましたが、米国9・11に際して書いた「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)を、見直します。「戦後民主主義」を支えた「平和」意識に内在する(1)アジアへの戦争責任・加害者認識の欠如、(2)経済成長に従属した「紛争巻き込まれ拒否意識」、(3)沖縄の忘却、(4)現存社会主義への「平和勢力」幻想、の4つの問題点(情報戦の時代花伝社 、2007)に加え、3・11によって「根底から今までの原子力問題に対する態度の甘さを認識させられ」た反省のもとに、(5)核戦争反対と核エネルギー利用を使い分ける二枚舌の「平和」、を歴史的に検討していきます。相変わらず政府や東電の発表は信用できませんから、福島原発事故の推移については小出裕章非公式まとめ」を、放射能汚染については週刊誌と中部大学:武田邦彦さんブログを、毎日チェックしていきます。

「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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