「平成時代とは何であったか」を考える2019年に!

著者: 加藤哲郎 かとうてつろう : 一橋大学名誉教授
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2019.1.1 かと  目出度さもちゅう位なりおらが春 (一茶)

かと 新年ですが、明るい気分にはなれません。久しぶりで親族の不幸がなく、年賀状を書けますが、返事だけにします。ちょうど運転免許の更新時期で、いつもの運転免許試験場に出かけたところ、70歳以上には「高齢者講習」が必要とのことでした。それは試験場では受けられず、指定された民間の自動車教習所で予約の上、2時間受講必須とのことです。この予約がまた大変で、多くの教習所では2ヶ月、3ヶ月先まで満席です。ようやく小さなドライブスクールで、年内の予約が取れました。朝8時45分集合、5100円です。早起きは苦手ですが何とかでかけ、3人一組のコースをなんとか受講。高齢者の交通事故や道交法改正の一般的説明、車庫入れ駐車や一時停止の簡単な実技で受講終了証明書をもらい、ようやく改めて試験場へ。こちらは視力検査と写真だけで、なんとか更新ができました。ところが、できあがった真新しい免許証を見て、びっくり。「平成34年の誕生日まで有効」とあります。どこにも西暦年号はありません。国内の身分証明書としては始終使うので、今まで気にしなかったのですが、どうやら完全に日本国籍者向けのようです。そういえば受け取るときに、戸籍の確認もありました。要するに、完璧にドメスティックです。海外ではパスポートと国際免許を使ってきましたが、いまさらながら「元号」いや「天皇制の時間の仕切り」の拘束に驚き、憤りました。何しろ「平成34年」なんて永遠にこないことは、誰でも知ってることですから。

かと 先の国会で強行成立させた改正入管難民法との整合性を気にしてか、新年3月以降の運転免許証には西暦表示も併記することにしたそうですが、今年は、平成天皇の「退位=譲位」がらみで、天皇制の時間・空間への拘束が、いっそう強まることでしょう。もっとも平成天皇が「個人として」生前退位の希望を述べた「おきもち」や、自然災害被害者慰問や「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵」という85歳誕生日の「おことば」に、それ自体が日本国憲法の「象徴」規定を逸脱する政治的発言ではないか、という疑いの声がある一方、特に安倍内閣のファシスト化や軍事化への歯止めとして、「おことば」を「戦後民主主義の最後の砦」風に歓迎する声も強くあります。しかも、ややこしいことは、かつての「右翼=天皇制支持・国体護持」「左翼=天皇制反対・共和主義」という図式があてはまらず、逸脱論が右からも左からも出る一方、世論と左派・リベラル派に歓迎論が溢れていることです。 「天皇制廃絶」を戦前・戦後と長くアイデンティティとしてきた日本共産党が、象徴天皇制容認論に「変節」「転向」したことが 背景にありますが、「平成が戦争のない時代」という「おことば」自体、日本という「時間的・空間的仕切り」の中での、しかも沖縄や自衛隊海外派兵を捨象した話です。「平成時代」は、日本経済・外交にとっては「失われた30年」でした。「平成」の通用する国境の仕切りを離れると、ベルリンの壁開放・冷戦終焉・ソ連解体後の世界の再編期で、湾岸戦争・イラク戦争他地域紛争が頻発し、「平和」とは言えない時代でした。そこで日本が依拠し自衛隊まで派遣した米国の国際的孤立と衰退が深まり、中国やインドが大国になる過程でした。「戦争のない時代」とは到底いえません。日本の「平成時代」を象徴するものは、バブル景気でも政権交代でもありません。「もう一つの核戦争」ともいうべき世界史的災禍、2011年3月の東日本大震災・フクシマ原発事故です。

かと 私自身は長く天皇制に反対し、象徴天皇制が米国の世界戦略から導かれた対日占領政策の一部として成立し、日本国憲法の中で戦後も政治的に利用されうる「天皇制民主主義」の問題性を指摘してきました。無論、天皇制と天皇個人は区別さるべきであり、天皇家の人々の基本的人権も考慮さるべきです。にもかかわらず、平成天皇の活動に戦後民主主義を投影させ、被災地訪問や戦争犠牲者慰霊の旅を国民の多くが歓迎するのは、昭和天皇の戦争責任が米国と日本の支配層によって曖昧にされ、安倍内閣のような強権的政治が続いているからです。政府は年末に、国会の議論もなく、IWC(国際捕鯨委員会)からの脱退を決定しました。共に選挙区に捕鯨基地を抱える二階自民党幹事長と安倍首相の謀議によるものといわれますが、世界全体が米中対立を軸に揺らいでいる状況下の国際機関からの脱退は、米国トランプ政権にならった、孤立主義への一里塚です。韓国との自衛隊機レーダー照射をめぐる対立も、従軍慰安婦問題、南北朝鮮接近、徴用工裁判の流れで見ると、反韓嫌韓世論喚起の情報戦の一環に見えてきます。一時安倍外交の「成果」に見えたロシアとの平和条約交渉も、ロシア側の「日本の主権」への疑いから、暗礁にのりあげたようです。その根拠とされたのが、沖縄県民の度重なる民意表明を無視した辺野古米軍基地埋め立て工事強行であり、米国中間選挙結果を「トランプ大統領の歴史的勝利」と祝い高価な武器を押し売りされた安倍首相の対米追従が、国際的に不信を買い、嘲笑されている事態です。その米国では、中国との経済摩擦から株価が乱高下し、日本とのFTA交渉での自動車・農業・サービスを含む強硬な態度が見え見えです。「強固な日米同盟」など日本の片想いにすぎないことが、年初には明るみになるでしょう。安倍内閣の高支持率を支えてきた「アベノミクス」という言葉さえ、聞こえなくなりました。国債に依存した100兆円を超えた予算案には、増大する防衛費5兆円など、日銀の株買いによる財政破綻につながりかねないリスクも、透けてみえます。「いざなぎ越えの好景気」など誰も実感できず「毎月勤労統計調査」の労働・賃金統計さえ改竄されて、格差は拡大しています。

かと そこに天皇制の「改元」が入って、2019年4−5月には、一大国家イベントが挙行されます。新元号や新天皇がどうなろうと、巨大な「象徴天皇制の政治利用」が、4月統一地方選挙と7月参院選をはさんで、進められます。10連休で悲鳴をあげる日給非正規労働者や、金融信用システムの予期せぬトラブルもありうるでしょう。またしても、消費税を口実にした、衆参ダブル選挙さえささやかれています。安倍内閣によって仕上げられる「平成時代」とは、平和でも豊かでもなく、局地戦争と核軍拡が進む世界の中で、日本が米国の忠犬・財布としてしか存在感をなくし、少子高齢化と非正規雇用増大・貧困格差拡大のもとで、立憲主義も権力分立も専守防衛も壊され、安倍内閣のもとで「忍びよるファシズム」が進行する時代でした。政治改革も財政再建も幻に終わりました。2019年は、この「平成時代」を深く解析し反省しない限り、「失われた30年」を40年、50年と引き継ぎ続けるか、近隣諸国との戦争や軍事国家へのギャンブルに出る端緒になるでしょう。憂鬱な年明けで、「おめでとう」とは言えません。

かと 2019年も、本サイトは引き続き、政府のいう「Society5.0」や「第4次産業革命」「AI革命」などに幻惑されず、「改元」以前の西暦の20世紀にこだわり、戦争と平和、科学技術「進歩」と人権の問題を追究していきます。その一端である、2018年春に上梓した『731部隊と戦後日本』(花伝社)の延長上で、元731部隊軍医少佐であった長友浪男が、軍歴を隠して旧優生保護法強制不妊手術を担当する厚生省高官になり、北海道副知事に上り詰める問題等を、探求していきます。昨年11月八王子12月東大での講演は、どちらもyou tubeに収録されています。昨年末にウェブ公開が解禁になった、中部大学年報『アリーナ』誌第20号(2017年11月)に発表された長大論文「米国共産党日本人部研究序説」(藤井一行教授追悼寄稿)を、そのきっかけとなった、インタビュー1970年代「エピローグとなった『序説』への研究序説ーー『スターリン問題研究序説』と70年代後期の思潮」(中部大学年報『アリーナ』第16号、2013)とともに、歴史の記憶と記録として残しておきます。新年には、さらに遡った戦時思想検察資料太田耐造関係文書」(クリスマスの『朝日新聞』記事)及び懸案戦時在独日本大使館員崎村茂樹の問題にも取り組んでいきます。

 

初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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