「朝日」攻撃の先にあるもの

――八ヶ岳山麓から(121)――

「週刊文春」(10月9日)と雑誌「文藝春秋」(11月)の「朝日問題」を読んだ。この2冊しか読んでない。
「週刊文春」の「『朝日新聞問題』私の結論!」に出てくる人は34人、「文藝春秋」の「隠蔽された朝日新聞の『罪と罰』」に出てくる人は27人。一番知りたかったのは「朝日」の人の意見だが、現役記者の発言はない(これは社内事情かな)。元「朝日」の人は二つの雑誌で二人だけだった。

自分で原稿を書いたのか話を編集部がまとめたのかは定かでないが、両誌掲載の「識者」に共通する見解は、二、三の例外をのぞけば「朝日」糾弾である。怨みつらみも多い。慰安婦問題の吉田証言の訂正がなぜ30年も遅れたか、東電「吉田調書」についての記事がなぜ「原発所員の9割が所長命令に違反して撤退」になったのか、といった分析検証はないに等しい。池上彰のコラム不掲載問題も同じ。
印象に残ったのは「週刊文春」では半藤一利「朝日バッシングに感じる『戦争前夜』」で、「文藝春秋」では大沼保昭(元「アジア女性基金」理事)「慰安婦救済を阻んだ日韓メディアの大罪」だった。保守・右翼を自認する人の中では佐伯啓思「サヨク進歩派の欺瞞」が読ませるもので、ジャーナリズム論としては浜矩子「よきエコノミスト三つの条件」が説得力があった。

「朝日たたき」は結果として、安倍内閣、「読売」、「産経」への応援になっている。安倍首相はNHKで、従軍慰安婦問題について「日本兵が人さらいのように慰安婦にしたという記事が世界中で事実と思われ、非難する碑ができているのも事実だ。取り消すなら世界に向かってしっかり取り消すことが求められる」と述べた。日本に対する国際世論が――とくに日中戦争・第二次大戦を中心とする過去に関して、安倍内閣の右傾化傾向に対して――悪化した責任は、「朝日新聞のでたらめな報道にある」としたいのである。
「朝日」が慰安婦問題の報道の根拠とした「吉田証言」が偽りだったからといって、そこに「強制性」がなかったというものではない。朝鮮・台湾の植民地化と日中戦争と東南アジア侵略の責任から逃れられるわけのものでもない。

「朝日たたき」の矛先はいまのところ、「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認め、謝罪を表明した「河野談話」に向けられている。「産経」は「吉田証言」が虚偽であったからには「河野談話」などにおける慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹は、もはや崩れたといったという(2014・8・6)。自民党は「河野談話の根拠が揺らいだ」として、当時政調会長だった高市早苗が「河野談話」に代わる「新たな内閣官房長官談話」を出すよう主張、桜井よしこは「河野談話の取り消しなくしてぬれぎぬは晴らせない。潰すべき本丸は河野談話なのである」といった。この人は「朝日」廃刊を主張したというからいよいよ鼻息は荒い。

塩野七生は「文藝春秋」のエッセイで安倍晋三に巧妙な忠告をしている。
彼女は、外国人記者にとって戦場での女の存在は歴史的な現象であり、問題は唯一、国による強制的な連行の有無にあったという。私もその通りだと思うが、そのすぐ後に「その問題には朝日もいまだに、広い意味での強制性はあった、と言いつづけているのである」と続く。強制性はなかったという考えのようである。
だから、彼女はこれを払拭するために、「朝日」を含めたこの問題の関係者を全員国会に呼び出せ、そうすれば中国・韓国からの、日本は歴史に向かい合っていないという非難を事実をもって反論できる。その際外国人記者に、日本の右傾化は日本の良質な新聞まで廃刊に追い込んだとして報道されないように肝に銘じて発言すべきだというのである。

そんなことをやっても強制性は否定できまい。早い話がオランダやフィリピンだ。オランダでは「蘭印」で日本軍の性奴隷にされた女性たちの話がゆきわたっている。それは吉田証言ではなく、犠牲にされたオランダ女性の証言によるものだ。
「河野談話」が明らかにしたのは、やはり強制性である。米国下院、オランダ下院、カナダ下院、欧州議会、韓国国会、台湾立法院、フィリピン下院外交委員会などの日本政府への抗議、勧告決議があるが、そこで問題にしているのは、吉田証言による強制連行の有無ではない。日本軍による慰安所での強制的な性奴隷状態である。

いま私はメディアの「朝日」たたきの論理に反対する。
安倍晋三に代表される人々や、「朝日」たたきを目的とする「読売」や「産経」の「河野談話」否定の先に、歴史の過去を美化し罪をごまかそうという意志が明かだからである。
だが、歴史のごまかしや悪行の無視は、どう逆立ちしても国際的には通用しないのだ。考えてもごらんなさい。現ドイツ政府が、ナチの戦争犯罪の記録に間違いや誇張があったからといって、その訂正を求めるようなことがあれば、国際的にどのような反応 を呼び起こすか。安倍政権とその太鼓持ちの思惑は国際的にはまったく通用しないのだ。
さかのぼって、日清戦争中の旅順虐殺事件、その後三浦公使らによる韓国皇后閔妃惨殺事件等々は、どう説明できるのか。さらに「南京事件」だ。日本軍による殺人の規模が、中国主張のように30万人でなくて、ナチ党員だったラーベがヒトラーへの上申書で推測するように、「およそ5万から6万人」だったとしても、大虐殺の事実は消えない。日中戦争に続く「大東亜戦争」について、司馬遼太郎はこういった。
「あの戦争は、多くの他民族に禍害を与えました。領地をとるつもりはなかったとはいえ、以上に述べた理由で、侵略戦争でした。……真に植民地を解放するという聖者のような思想から出たものなら、まず朝鮮・台湾を解放していなければならないのです」(『この国のかたち4』)。
私もまたこの見解に追従する。

しかし、「朝日たたき」に賛成はしないが、私は現在の「朝日」に対して数々の批判をもっている。
今回、「朝日」の社長は記者会見で30年ぶりに慰安婦の吉田証言を虚偽だったとし、東電吉田調書報道は誤報だとし、池上彰の記事不掲載は間違ったとした。これがなぜ生じたか。「朝日」は自らの手でそれを明らかにできるか。できないだろう。そして、これからも同じ間違いを繰返す恐れがあると思う。慰安婦問題に限らないいくつかの誤り、不適切を過去の報道に見るからだ。
たとえば1966年にはじまる中国の文化大革命だ。毛沢東は自らのカリスマ性を用いて革命功労者から一般農牧民に至るまで千万の国民を、人権無視のはちゃめちゃな論理で、暴行・拷問・殺害・長期投獄の憂き目にあわせた。日本でこれを批判をしたのは産経新聞と日本共産党だけだった。1966年9月から日本のジャーナリストは「赤旗」も含めて軒並み北京から追放されたが、「朝日」だけは残り、秋岡記者らの文革追随のちょうちん持ち記事を載せつづけた。
朝日新聞社にはかつて「朝日ジャーナル」という週刊誌があった。大学紛争のときは、この雑誌によってひとつの宗派ができた。同誌には大学教師をやめようともしないで大学解体を叫ぶノーテンキな主張が掲載された。
「荒れる中学」問題では、メディア総体の傾向は中学高校の教師をバカ扱いしながら責任を問い続けるものだった。なかでも徹底していたのは「朝日ジャーナル」だった。我々バカ教師は「明日ドーナル」と思いながら、中学で校舎一階のガラス窓をことごとく壊して入学してきた生徒たちと対峙していた。学校問題が教師を叩くだけでは何のくすりにもならないのに、それがわからないジャーナリストに歯ぎしりした。大きなメディアは権力である。権力の前に我々は無力だった。

とはいえ、私は「朝日つぶし」に加担する気持ちは全くない。「朝日」が安倍首相の「戦後レジームからの脱却」だの、A級戦犯合祀後の閣僚の靖国参拝だの、河野談話の見直しだのを批判してきたことは、それなりの見識だと思うからだ。
だが、いまの「朝日」はあまりにも心もとない。だいたい社長以下責任者は即座に辞任を表明すべきなのに、「立てなおし」をやってから進退を判断するとか言っている。その腰抜けぶりからすれば、国会に呼び出されたら弁明に窮して右往左往するだろう。たたかれたあげく「朝日」は思想転向するかもしれない。そうなると「護憲・軍縮・共生の社会」を目指すあれこれの勢力に与える打撃は大きい。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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